第96話 持論“読書のススメ”:本を読んでいるオレってイケてねぇ!

「読書を嗜むことで自分に酔え!」、「本を読んでいるオレってイケてねぇ!」

 これこそが、自分が本を読む理由である。


 電車のなかでは、スマホ片手に時間の流れをやり過ごすというのが日常的である。7人掛けの座席で、7人全員がスマホを眺めているという光景も、もはや珍しくない。

 そんななかで、紙の本で読書をしている人は目を惹く。


 美人だったらなおのこと(もちろん、イケメンでもそうであろう)。スポットライトを浴びたように、その一点だけ、清涼な風に吹かれた神々しいまでの端麗な、そして、少しだけレトロな空間に包まれる。

 ブックカバーをしていても構わないが、できれば本のタイトルだけでも覗いてみたくなる。たとえそれが、「男に媚びない女の立ち振る舞い」的な、意識高い系の本だったとしても。


 ド派手なギャルメイクの姉ちゃんが、バッグから隆慶一郎の『死ぬことと見つけたり』を取り出した時には、うっかり座席からズリ落ちるかと思った。朝の満員電車のなかで「一流のデキる男になる」的な自己啓発本を真剣に読んでいる中年よりは、フランス書院文庫をカバーなしで呼んでいる人の方が器のでかさを感じる。

 帰宅時間、50歳ぐらいのおっちゃんサラリーマンが、「スケボー入門」的な本に見入っていたり、早朝、小学生くらいの制服の子がバッハの名曲「ブランデンブルク協奏曲第5番」の楽譜と向き合っていたり、真っ昼間、ヤクザっぽいイカツイ風貌のオヤジが「子育て本」を小脇に抱えていたり、終電のなか、和服の美女がドラッカーの『マネジメント』を熟読していたり、日中、「漢検」過去問集を解いているおばちゃんがいたり、皆さんカッコいいと思う。


 極めつけは、誰もが知っている名作を、改めて手にしてみるという方法もある。

 『マクベス』や『若きウェルテルの悩み』や『ソクラテスの弁明』をわからないながらも持ち歩く。それだけで内面の知性を感じさせる効果がある。

 アドバイスとしてひとつ。できれば新品ではなく、読み古した風情に仕立てておくと、「なかなか読みこなせないからずっと読んでいるんだよね」とか、「じいちゃんの書斎から借りてきて読んでいるんだけどさ」という、しびれる言い訳ができる。


 エジンバラ大学留学中のことである。

 陽気のいい木漏れ日の陰で、樫の木にもたれながら本を読み、時々談笑しつつティータイムを過ごしていたラボ仲間が実にカッコよかったな。

 スコットランドという異国の地で、草木のなかに浮かぶ横文字のペーパーバックを少しまぶしそうな表情で読む。緑と白とのコントラストによるその姿が素晴らしく映えていた。サリンジャーを読んでいたような記憶があり、いまでも脳裏に焼き付いている。


 タクシーの列に並んでいたときに経験した、どうでもいい話をする。


 たまに上京すると、都内の交通網はよくわからない。東京駅から講演会場までタクシーを利用しようとしたのだが、乗り場は長い列だった。ボーっと待っていても仕方がないので、いつものように文庫本を取り出して読んでいた。意外にも集中してしまい、列が進んでいることに気が付かなかった。

 後ろにいた女性がしびれをきらしたように、「前、進んでいますよ」と一言。「あっ、すみません」と慌てて列を詰めようとしたところ、即座に、「夢中で読むんですね」という言葉。半分あきれたような、それでいて半分嬉しそうな笑顔に対して、「ええまあ、申し訳ありません」と、テレながらのお詫びの繰り返し。

「ちなみに何の本を読んでいらっしゃるのですか?」と、さらなる問いかけを受けたので、「えっと、あの・・・・・・、『星の王子様』で有名なサン=テグジュペリの『夜間飛行』で、です」と答えたところ、「あっ、なるほど。アナタも、男固有の独りよがりなヒロイズムが世界を拓いたと思っているのですか?」と問われた瞬間に、「お客さん、着きましたよ」と。

 目が覚めると講演会場のホテル前だった。


 きっと、読書って、初対面の人との自然な会話きっかけになる。読書好きは妄想癖があるので、その後の展開を想像する楽しみが増えた。

 安直かもしれないが、本はもちろん、本を読む自分ごと好きになるということである。冒頭で示したように、読書をしている自分はイケていると思い込むことである。


 喫茶店で美しい装丁の本を姿勢よく読む真面目な姿も素敵だし、電車のなかで書店のカバーのかかった文庫本を片手で読んでいる姿もクールだし、スタバで横文字の本を待ち合わせ時間まで読んでいた日には、私が女子だったら一発で惚れるだろう(デュラスやラディゲなど、現代フランス文学の翻訳本でも可)。


 本を読んでいれば、語彙が豊富になる。

 映画を観たあとに「面白かったな」ではなく、「いやーっ、まったくあの展開には眼福でしたわ」なんてつぶやけるし、「すごくお世話になりました」ではなく、「ひとかたならぬお世話になりました」と、さりげなく言える。


 読書は自己評価、つまりセルフイメージを上げることにつながる。まずは、その本にチャレンジしたという自信が生まれる。「シェイクスピアやセルバンテスやショーペンハウアーを読もうとした」という自尊感情である。

 くどいようだが、「自分は、外でも本を読むくらい文学が好きなんだ。だからすごいんだ」、この自己暗示をあちこちで実践し、優越感に浸りながら本を読むことである。


「そんなことで優越感を感じるなど、なんて器の小さいヤツだ」と言いたいでしょう。そのとおりである。小さいのは百も承知である。しかし、その器を大きくしていくためのひとつの方法もまた読書ということである。

 思い込みが本当の自信につながる日まで。

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