第125話 10年振りのメール:今度もまた、先生から応援してもらいたくて・・・・・・

 特別な間柄というわけではけっしてなかったが、そのメールは10年振りに届いた。

 送り主のその女性とは、患者と医者という単純な関係よりはもう少しだけ深い関係――つまりは2回の入院において治療を担当させてもらった患者ではあったが、プライベートの付き合いも、これまた2回ほどあった。


「ご無沙汰しています、覚えていますか? 本日は、お誕生日おめでとうございます。お元気そうで何よりですが、私は静かに過ごしています。先生の人生をずっと応援しています」というものだった。


 SNS情報から、僕の誕生日を知ったのだろう。そのお祝いメールのようだった。が、しかし、これが毎年、もしくは少なくとも2-3年に1回というのであれば――もちろんそれは、嬉しいことだし――さして不自然ではなかったが、冒頭で示したように、そのメールはざっと考えてみると、実に10年振りだった。


「お祝いいただき、ありがとうございます。はい、覚えています。お久しぶりですね」

 お礼に加えて、かろうじて覚えているかのようなニュアンスを伝えたが、それはなんていうか、照れ隠しのようなもので、強烈な印象を残した人物であることに間違いはなかった。というのは、僕にとって彼女は、研修期間の修了した3年目に、はじめて単独で受け持った入院患者だったからだ。


 当時の彼女は、30代前半だった。既婚だったが、子供はいなかった。ベリーショートの髪型はサッパリしていて、背は低かったけれど、確かママさんバレーをしているという理由で、体は引き締まっていた。目鼻立ちのはっきりした欧米人顔に加えて、上唇のホクロがどことなく魅力的だった。つまりそれは、個性的な美人と言えなくもなかった。

 彼女は“重症筋無力症”という病を発症し、治療を目的に入院してきたのだった。寛解を維持するには数ヵ月を要する見通しで、見習い期間の修了した直後の僕にとっては、いささかハードルの高い疾患だった。が、経験を積むうえではとても貴重な症例となり得るだろうと考えていた。


 問診によって彼女は、もと看護師であることがわかった。僕の病院のある街からそう遠くないところの総合病院で働いていたようだが、結婚を機に職を一旦退き、とりあえずは専業主婦として家にいた。

 半年くらい前から“倦怠感”と“眼瞼下垂”とが出現し、検査の結果、上記の疾患がはっきりしたのだ。

 当時の治療のスタンダードは、“ステロイド薬”の内服と、“胸腺摘除”という手術との二本立てだった。長期的な治療となることは間違いなく、胸の真ん中を切るという処置を施す必要があることから、女性にとってはかなりの負担を強いることになるだろう。僕は、精神的なサポートも欠かせなくなると予見していた。


 幸いなことに、彼女の性格は明るく、入院後も常に笑顔を振りまいていた。看護師としての経験があるからだろう、医療現場の様子も熟知していて、いろいろと気配りができた。

 血管が細いので、僕が点滴で苦労していると、「ワタシの血管刺しにくいから、注射じゃなくて、その薬飲んじゃおうか!」と言って、本来は血管内に入れなければならない点滴薬を、内服でも構わないと冗談を言ってプレッシャーを解いてくれた。

 僕は、彼女のそんな人柄に救われていた。患者と医者という節度もあったから、深い部分には立ち入らなかったけれど、毎日の会話は、僕らに少しずつの信頼感というか、気心というか、ともすると心の拠り所のようなものを育てていった。


 黙って治療に耐えてくれた彼女ではあったが、ときどき外出・外泊を繰り返していた。家に戻ること、あるいはちょっとしたところを訪問することで気分転換を図っていたのだ。そんなときは必ず、「お土産を買ってきたよ」と言って、僕にお菓子やら飲み物やら、ときにTシャツなんかをプレゼントしてくれた。

 まあ、悪い気はしなかったので、遠慮はしつつも受け取ることが多かった。


 そんなこんなで、あっという間に2ヵ月が過ぎた。“行いの良さ”のためか、彼女は徐々に安定し、いよいよ胸腺摘除術を行うというところまで、状態をもっていくことができた。

「木痣間先生、来週手術だから・・・、その前に、いつものように今週末、外泊してきてもいいですか?」と、彼女は問うてきた。

 僕は、「はい、もちろん結構ですよ。家でゆっくりしてきてください。手術の後はしばらく帰れませんからね」と、快くそれを許可する考えを示した。

「それでね、先生・・・、ひとつ頼みがあるの・・・」

 ん、頼み・・・とは!?

「はい、何でしょうか?」

「外泊するときにね・・・、もしできたら、先生の車で送ってもらえないかなぁ、と思って。週末だから先生もお休みでしょ。そしたら途中、どっかで食事もできるから・・・・・・、ねっ! 素敵な提案でしょ」

 素敵っていうか・・・、まあ、普通の関係ならそう言えなくもないが・・・、はたしてそれは素敵で、適切なのか。



 10年振りの、突然のメールの意図はいったい何なのだろうか? たまたま昔を想い出して、連絡をしたくなっただけなのか・・・?

 胸騒ぎのした僕は、続けて、「その後の生活はいかがですか?」、そして、「幸せに暮らしていますか?」というようなことを問いかけてみた。


 多少の前置きの後に、真実が伝えられてきた。

「・・・・・・先生に治療してもらってから、少しずつ体調は戻り、ほとんど元気いっぱいというところまで回復しました。ところが1年くらい前からかな・・・、めまいや顔面マヒ、頭痛、聴力の低下など、前とは違う症状がときどき出るようになって。気になったので、近くの脳神経の病院で診てもらったら、神経線維腫など、脳の中に腫瘤が3つも4つも! MRIを見ると『よくもまあこれだけ』というくらいに、腫瘤が脳を占領。『良性なので大丈夫』とのことですが、とりあえずは早めに手術をしたほうがよいとのことでした・・・・・・」


 なんと、彼女は新たな病気を抱えていたのだ。

「そうだったのかぁ」、僕はつぶやいた。そんなことがあれば、不安になるのも無理はない。


 大学を辞めた僕にとって、残してきた患者は少なくない。こう言っては欺瞞に聞こえるかもしれないが、僕を慕ってくれた患者もいたはずだ。そうした人たちを・・・、そんな患者を・・・、僕は後ろ髪を引かれる想いで断ち切ってきた。そんな、もと患者から連絡が入ってきても、なんら不思議はない。



「そうですねぇ・・・・・・、確かに休みだし、せっかくだから送りましょうか! あくまで友人としての親切ですけれどね・・・」

 恥ずかしさもあったが、僕は彼女の要求を受け入れることにした。

 自宅へと送る途中、イタリアンの店でパスタを食べて、お茶を飲んで、病院ではしないようなプライベートな話しをして、“ちょっとしたお付き合いをしている2人”のような振る舞いを楽しむことができた。というのは、繰り返しになるが、彼女は極めて明るくて、暮らしを楽しむようなタイプの人だったからだ。


 僕が、「患者さんに対してこういうことははじめてだし、あんまり適切な行動ではないんじゃないかなぁ」なんてことを白状すると、彼女は、「えっ、なんでそんな固いこと言うの。前の病院では、こんなことくらい普通にあったよ。もし『ダメだ』って言うなら、ドクターとナースっていう関係でいいじゃない・・・。現にワタシ、ナースを辞めたわけじゃないし」という理屈で返してきた。

 なるほど、そう言われてみれば、そう言えなくもない。いまはたまたま患者というだけで、ここを離れればナースだし、もっと言えばひとりの女性だ。

 しかし待てよ、“人妻”でもあるということだが、これに関してはどうなのだろうか?


「奥さまですよねぇ、それは大丈夫なの?」

「まだそんなこと言う。ワタシがいいって言ってんだから、それはいいのよ、何か問題ある??」

 そうか、こちらには何の問題もないわけだから、それだったら、それもいいのか・・・・・・。


 彼女のメールの最後には、「胸の手術のときは、さすがのワタシでもちょっとは怖かった。でもあのとき、先生がデートに付き合ってくれたから、ワタシは無事に手術に耐えることができたのよ。だから今度もまた、先生から応援してもらいたくて・・・・・・」ということが打ち明けられていた。


 自宅に至る最後の曲がり角で、車を止めさせた彼女・・・・・・。そこで僕らはちょっとした愛の証明のような行為をしたのが、つい昨日のようで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る