第131話 「すべて申し送られるから注意しな」

 医療界に限った話しではないと思うが、でもとりわけ病院内で語り継がれる伝統について明かす。


 “看護部”という組織は、現代においても珍しいほどの縦社会である。よく「軍隊のようだ」と形容される。

 看護部長を筆頭に、看護師長、主任、あるいはチームリーダーなどという役職が与えられ、先輩後輩の統制がきちんと取れている。日勤、準夜勤、夜勤など交代制だから、患者状態の“申し送り”というシステムが一糸乱れず機能している。ひとたび急変ということが起これば、そこは戦場化する。指示系統に混乱が生じてはならない。言った言わないが発生しないよう、すべての情報伝達は基本、文字媒体であり、リスク管理が徹底されている。

 

 そんな状況で働く人間たちの集団が看護部であり、そして、そのほとんどが女性である。


 コミュニケーションの欠かせない現場ということと同時に、良いも悪いも情報の伝わりが速く、しかも伝統的に代々受け継がれていくということである。観察眼がするどく、それはつまり、自分の新人時代の不甲斐なさを知っているのも彼女たちだということである。


 研修医時代、ある診療科をローテートしたときだった。僕に割り当てられた指導医は、運の悪いことに、怖くて有名な先生だった。厳しいだけならまだいいのだが、はっきり言って性格にも難があり、一口で言えば横柄でイヤミったらしい先生だった。

 こちらとしてはまだまだ見習いだし、丁寧に教えてくれて、たとえ失敗したとしても温かく見守ってくれるような先生がよかったが、その指導医の口にするいちいちの言葉は、「いまどきの若いヤツは・・・」だった。


「木痣間先生さぁ、秀ちゃん(その指導医の愛称)の下で・・・・・・、可哀想ね」

 夜勤の合間、彼を知るベテランナースから発せられた労いの言葉だった。

「まあ、仕方ないっすよ、こっちはまだ医者になったばかりの新人で、何もわかりませんから・・・」

 立場的弱者は僕のほうだ。受け入れるしかないのは事実だった。


「でも、あの秀ちゃんが、あんなに偉くなるとは思わなかったわ。彼が医者になったときは、もうぜんぜんビビっちゃって何もできなかったのよ」

「えっ、そうなんですか!? いまは、ものすごく自信ありげに僕に教えていますけど」


 このベテランナースの暴露によって、彼の過去は次々とバラされていった。

「いやいや・・・、すごく生意気で威張りくさるようになっちゃたけど、入職したてのころはもっと素直でいいヤツだったんだけどね。変な自信持っちゃってね、医者って変わるのよねぇ・・・」


 ここでひとつの教訓・・・、特に新人に対して忠告しておきたいことは、「キミのいまからを見続けるモノが必ず近くにいて、それが代々語り継がれていく。将来、キミがどのように成長するかはわからないけれど、もし万が一、あまり良い成長の仕方をしなかった場合には、それはすべてブーメランとして、すなわち、一生消えないカッコ悪い伝説として跳ね返ってくる」ということである。


 そういう、ナース間における情報伝達網の精細を知り、その洗礼を入職直後に受けたものだから、その後僕は、一貫して変な悪目立ちをしないよう、余計な波風を立てないよう、人の噂には耳を貸さないよう、自らに規律を課して行動してきたつもり・・・・・・だった。


 5年くらい前のことである。同じ部署で働いたことのある、大学病院時代に仲の良かった4つ年下のナースに久しぶりに会った。僕と同じころに大学を辞め、現在は地元近くの小さな病院で働いている。


 当時、食事やドライブに行ったり、一緒に山に登ったり、映画を観たりといった趣味を共有させてもらい、ちょっと気になる存在だったが、恋愛関係に発展することはなかった。それでも女友だちとして、何でも相談できるようなそんな間柄だったから、懐かしい想い出話しに花が咲いた。


「いまだから言うけれど、木痣間先生の若いころの噂って、ホントいろいろあったよ・・・」

 一瞬、何を言われているのか、よくわからなかった。

「えっ、そんなはずないでしょう、おとなしくしていたもの」

 僕は、下手な取り繕いでその場をやり過ごそうとした。

「何、言ってるの、アンタがそんなはずないじゃない!」

 焦る僕を尻目に、彼女の追い打ちは続いた。

「いちいち全部は覚えていないけれど、アンタの噂は伝説になっていたから」

「・・・・・・」

「まずは、○○ちゃんと付き合っていたでしょ。でもそれだけじゃなく、××さんや○×さんなんかとも関係があったんじゃない。研究費のことや論文捏造のことで、医局で問題を起こしたのも知っているよ・・・・・・」

「・・・・・・(汗)」

 FBI並の恐ろしいほどの情報網、ぐうの音も出ない。


「だから私、大学病院で一緒に働いていたとき、親切で言ったと思うよ・・・・・・、いまでも覚えているけど」

「なんだっけ??」



「『私たちに申し送られるから注意しな』って」

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