10.願いを託されて
先ほどまでとは打って変わって閑散とした広場を、わたしとビスキュイは路地裏からそっと眺めていた。涙は止まらなかったが、大声で泣くわけにもいかず、声を必死に押し殺しながらすすり泣くしかない。同じく、現場を目撃していたらしいグリヨットと、マロンも一緒に項垂れていた。彼らと合流した後も、言葉を交わすことは出来なかった。ただ黙って同じ場所に屯し、静かに寄り添い合う事しか出来なかった。それほどまでに現実は重たく、苦しかった。
あの後、フランボワーズの亡骸は人間たちの手で運ばれていった。その後どうなるのかは分からない。誰に聞いたところで分かる者はいないだろう。せめて、骨だけでも取り返したいというのが多くの妖精たちの気持ちだろう。けれど、狂気に満ちたあの場で、周囲の目も気にせずにフランボワーズの亡骸を追いかけるなんてことは、とても出来なかった。そんな事が出来る者がいたとしたら、それこそフランボワーズくらいだっただろう。
心が少しだけ落ち着いてくると、流れ出す涙の量も減っていった。だが、相変わらず現実を現実と受け止めることが難しい。悪夢でも見ているかのようだった。けれど、夢なんかではない。フランボワーズの最期の悲鳴が今も耳にこびりついて離れなかった。思い出す度に熱いものがこみ上げてくる。これは、フランボワーズの想いの塊なのだろうか。希望を全て仲間たちに託して、全てを背負って逝ってしまった。
しばらく経つと、頃合いを見計らってマロンが口を開いた。
「ありがとう」
静かに彼はそう言った。
「フランボワーズ様の事を見届けてくれて」
マロンの言葉に何と答えればいいか分からず、わたしはただ俯いていた。ビスキュイも同じく言葉が見つからなかったのだろう。同じように口を閉ざしていた。そんなわたし達に対して、マロンは言った。
「何も出来なかったってどうか思わないで。フランボワーズ様の願いは、全ての妖精たちの幸せだったんだってクレモンティーヌ様が仰っていた。出来るだけ多くの妖精が生き残る事が、フランボワーズ様の願いでもあったんだ」
「マドレーヌたちは責任を感じなくていいんだよ」
グリヨットもまたそう言った。
「ルリジューズも言っていたもの。良血妖精には良血妖精の生き方があるの。だから、これからもどうか無茶はしないで」
そして、グリヨットはわたし達に言ったのだった。
「ごめんね。あたしのお節介のせいで、こんな想いをさせてしまって」
謝られるのは二回目だ。たしかに、グリヨットのお節介が全ての始まりだった。カモミーユのために祈ろうとしたあの日、グリヨットに話しかけられなければ、わたしはきっとあのまま納得して、それからもずっと何も疑問を持たずに良血妖精として幸せに暮らしていたかもしれない。
グリヨットと知り合わなかったら、そして、その誘いに興味を持たなかったら、わたしはフランボワーズたちのことも何も知らないまま、今日のこの日の事をただ他人事して、些細な感想しか抱かないほどの遠い世界の出来事として認識していただろう。いや、認識すらしなかったかもしれない。フィナンシエがわたしにわざわざ離さない限り、知る機会すらなかっただろうから。
けれど、わたしは知ってしまった。広すぎる世界も、先祖たちの誇りも、取り返しがつかないほどに知ってしまったのだ。知ってしまったからこそ、いま、心が引き裂かれてしまったかのように、とても悲しくて悔しい気持ちでいる。ならば、知ってしまったことを後悔しただろうか。いいや、わたしは後悔なんてしていなかった。
「お願い、謝らないで」
わたしはグリヨットに言った。
「確かに何も知らなかったら、幸せのままだったかもしれない。でも、わたしは知ったことを後悔なんてしていない。知れてよかったって思っている。知らないままの方が怖かったとすら感じている。だからね、グリヨット。マロンも聞いて。この先、わたしがどんな選択をしたとしても、自分たちのせいだって思わないでほしいの。良血妖精には良血妖精の幸せがあるかもしれないけれど、わたしの幸せはわたしにしか決められないはずだから」
グリヨットもマロンも窺うようにこちらを見ている。だが、ビスキュイは違った。静かに頷くと、彼もまた口を開いた。
「僕たちが今後どうなったとしても、グリヨットやマロンたちは何も悪くない。僕もマドレーヌと同じ想いだよ。だから、それだけは覚えておいて」
彼の言葉に、グリヨットとマロンは顔を見合わせ、おずおずと頷いた。さて、これからどうしようか。真っすぐ帰ってフィナンシエたちの顔を見るのが怖かった。グリヨットたちがもう間もなく旅立つのならば、と思わなくもない。けれど、旅立つならば旅立つとして、これまで世話になった人間たちに挨拶くらいはと思わなくもない。
沈黙のままに思案していると、ふと広場の方からこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。慌てて振り返ると、ランプの灯りで目が眩んだ。
「昼間でも暗いな」
そう言って狭い路地裏に入り込んできたのは、間違いなく人間だった。逃げなくては。いや、逃がさなくては。真っ先にそう思ったが、グリヨットとマロンは固まってしまっている。わたしはとっさにビスキュイと二人でグリヨットたちを庇おうと立ちふさがった。すると、ランプを手にしたその人間は、苦笑しながらわたし達に声をかけてきた。
「やっぱり君たちだったね」
その声に、わたしは気を抜いてしまった。フロマージュだ。しかし、目が慣れて制服の色が見えると、すぐにまた警戒心が生まれた。
「ああ、怖がらないでおくれ。危害は加えないよ。お友達を連れて行ったりもしないから。……と言っても、あれを見てしまったのなら、信用できないのも無理はないね」
そう言って、フロマージュは肩を落とした。人間贔屓のわたしの目の錯覚だろうか、彼もまたフランボワーズの死を悲しんでいるように思えてならなかった。だが、彼は特に触れることなく、わたしとビスキュイに向かって言った。
「ご主人様がすごく心配されているよ。フィナンシエ様のお屋敷で待ってらっしゃる。暗くならないうちに、一緒に帰ろう」
優しいその口調に、わたしはビスキュイと顔を見合わせた。フロマージュのことはある程度、信頼している。恐ろしい制服を着ていたとしても、彼は嘘を吐いたりしないだろう。すなわち、グリヨットとマロンに手を出したりはしないはず。でも、逆らったらどうなるか。ここで一緒に逃げれば、話は変わってくる。わたしはビスキュイに目配せしてから、フロマージュに向かって頷いた。
大人しく、従うべきだ。フロマージュはホッとした様子でわたし達に手を伸ばしてきた。その手を握ろうと前へ進んだその時、突如、グリヨットがわたしの名を呼んだ。
「マドレーヌ!」
そして、わたしの背中に抱き着いて、その“声”を伝えてきた。
『旅立ちは明朝。その前に、少しだけ顔を見せるから』
明朝。その言葉をしっかりと胸に秘めると、わたしは振り返った。グリヨットはわたしの顔をじっと見つめると、悲しみを消しきれない笑みを浮かべて口を開いた。
「また会おうね」
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