8.再会の約束

 期待しすぎるのは良くないと言われたものの、それが実現すると決まったからにはもう落ち着いていられなかった。久しぶりにビスキュイと会える日と、カモミーユとの最大の思い出作りが重なる。特別なその日の訪れは、カモミーユとのしばしの別れの悲しみをだいぶ薄めてくれた。それに、ビスキュイと久しぶりに会ってみれば、彼のいなかった寂しさを思い出してしまった。再び一緒にいると、あまりにしっくりくる。ほんの数分一緒にいるだけで、恋の季節で半月も離れ離れであったことが嘘のように思えた。

 フィナンシエとアマンディーヌはどうだろう。実は二人がわたし達に内緒でこそこそあっていたことくらいは知っている。内緒にするつもりはなかったのかもしれないが、きっと離れ離れにする手前だろう。目の前でイチャイチャすることはなかった。そもそも、イチャイチャできるほど二人の仲も進展していないらしい。今日のお食事会が、わたしだけではなく二人の思い出にもなるといいのだけれど。わたしが二人を見ながらそんな事を思う傍らで、ビスキュイは無邪気にカモミーユへと話しかけていた。

「実は僕、花の妖精とお話するのは初めてなんだ」

 そう言って、彼は愛らしい笑みを浮かべた。

「だから、びっくりしちゃった。花の妖精って本当に何でもよく知っているんだね」

 フィナンシエの屋敷のテラスに設置された丸テーブルでは、わたし達妖精三人が互いに向き合いながら座っている。近くの丸テーブルではフィナンシエとアマンディーヌ、そしてシャルロットの三人だ。人間と妖精が分かれているおかげで気兼ねなく話をすることが出来るのは有難い。

 けれど、こんなに近くに座り合って、カモミーユの蜜の香りはビスキュイにはきつくないだろうか。お節介にもそう思ったのだが、どうもこの甘い香りも今のビスキュイにはさほど影響がないようだ。手元にたくさん置かれた花蜜の茶や菓子類のお陰もあるかもしれない。ビスキュイに倣って花蜜パイを一つ食べていると、カモミーユは見ていてうっとりするような笑みを浮かべてビスキュイに答えた。

「わたくしも覚えている話をお話しているだけです。なので、記憶違いもあるかもしれません。話半分に聞くくらいがちょうどいい。そう思っていただければ幸いです」

「分かったよ。あんまり鵜呑みにしないでおく」

 ビスキュイはこくりと頷くと、すぐにまた笑みを浮かべて言った。

「だからさ、良かったらもっとお話して。時間一杯、カモミーユのお話を聞きたいな。マドレーヌが聞いたお話を出来るだけ僕も知りたくて」

 愛らしくおねだりするビスキュイの姿に、カモミーユは微笑んだ。

「いいですよ。それではお聞きください」

 カモミーユはそう言って、ビスキュイに乗せられるままに語りだした。わたしにすでに語った話は勿論、わたしに語りそびれた話まで次々に語り出す。そんな彼女の話の世界に、わたしはビスキュイと共に夢中になっていた。あらゆる夢物語に入り込みながら、わたしはそっとビスキュイの反応も窺っていた。久しぶりに会うせいだろうか。ビスキュイは記憶にある以上に愛らしくなったような気がする。カモミーユとしばらくお別れなのは辛いことだけれど、彼とまた楽しく過ごせる日々が来るのだと思うと怖くない。

「──という経緯もあって、その代の女王陛下は恋心を封印し、雀蜂の妖精たちと対等に渡り合えるような強くて賢い男性を伴侶に選んだのだとか」

 たった今、カモミーユが語り終えたのは、蝶の王国の近くにあった蜜蜂の王国の終焉と、その当時、支配域を広げていた雀蜂の王国との関係についてだった。人間に滅ぼされる以前も、蝶の王国はいつだって平和だったわけじゃない。別の種族の妖精たちとの関係は複雑で、時には友好関係でもあり、時には敵対関係でもあった。けれど、人間が賢くも恐ろしいことを妖精たちが知る以前は雀蜂の妖精こそが強さの象徴だったという歴史すらも、その世界を知らずに生まれ育ったわたしにとってはおとぎ話のような話に聞こえてしまった。

「そっか、女王様って大変だったんだね。好きな人と結ばれることも出来なかったんだ」

 ビスキュイは無邪気にそう言った。そして、すぐに何かに気づいたようにカモミーユを見つめた。

「あ、でも、花の妖精……とりわけ女性はもっと大変だったんだね。いつ、誰の子を産むことになるか分からないって、僕だったらちょっと怖いかも」

 素直な感想に、カモミーユは穏やかに答えた。

「今とさほど変わりませんよ。それに、花の妖精にとって、誰の子を誰が産むのかは重要なことではないのです。わたくし共は自分たちの王国で暮らしていた頃からそうでした。誰の子か分からないというのは当たり前でしたので、辛い事ではなかったのです」

「そうなんだ」

 ビスキュイが不思議そうな顔をすると、カモミーユは微笑み、頷いた。

「──もっとも、今の時代は少し違いますけれどね。主人があなた方ではなく、人間たちになってからは、誰の子か分からないという事はなくなりました。あらかじめ、誰の子を産むのかを聞かされて知れるようになりました」

「それで……嫌な相手の時はどうするの?」

 わたしはふと気になって、そんな問いを投げかけてみた。すると、カモミーユは少し遠い目をしてから呟くように答えた。

「……どうでしょうね。シャルロット様はどのように反応されるかしら。そればかりはその時になってみないと分かりません。けれど、わたくしは聞くつもりもありません。シャルロット様が納得して選んだのであれば、相応しい相手だと信じておりますから」

 そう言って、カモミーユは赤い目を細める。決して無理をしてそう言わされているわけではない。彼女の表情からは、絶対的な信頼を感じ取れた。きっと、わたしがフィナンシエに対して抱く想いと同じようなものだろう。そこに妙な共感を覚え、わたしはそっとカモミーユに言った。

「愛されているのね、カモミーユも」

 その言葉にカモミーユは笑みを深め、しっかりと頷いた。

「愛されている自信があるからでしょうね。マドレーヌ様との日々が終われば、わたくしもすぐに母となる準備を迎える事になっています。昔はこの日を迎えるのが怖かったこともある。でも今は、ちっとも怖くありません」

「母になる準備?」

 ビスキュイが繰り返し首を傾げる。わたしもはっとして、カモミーユに訊ね返した。

「カモミーユ、これからお母さんになってしまうの?」

「はい。お屋敷に帰ったらすぐに。小さな花の子を産んで、しばらく育てて──」

「じゃあ、次はいつ会えるのかな」

 不安のあまりわたしは訊ねた。次の恋の季節が来るまでに、カモミーユの子育てが終わるとは思えない。その通り、カモミーユは少しだけ寂しそうな笑みを見せてわたしに答えた。

「花の子が人の手に託されるまでに一年ほどかかります。母体から生まれるまでにかかるのがおよそ半年と少し。全ては順調に行っての事ですが、マドレーヌ様と再び過ごせるのは二年近く先のことになるでしょうね」

「そっか、二年も先なんだ……」

 あまりに長い。身勝手ながら、わたしはその事ばかりにがっかりしていた。けれど、すぐに我に返った。少なくともカモミーユは我が子を抱くことを楽しみにしているように見えたのだ。だから、寂しさをうんと飲み込んでしまうと、わたしは慌ててカモミーユに笑みを向けた。

「寂しいけれど、でもまた会えるんだよね」

 そんなわたしにカモミーユはにこりと笑った。

「マドレーヌ様がその時に、わたくしがいいとご希望くださればきっと」

「約束する。フィナンシエ様にお願いするから。カモミーユにしてくださいって」

 正直、二年も先の事なんて分からない。けれど、少なくとも今は、カモミーユ以外には考えられなかった。

「ありがとうございます。マドレーヌ様と再び会うことを楽しみにしていますね」

 カモミーユはそう言って、小さく息を吐いた。蝶の王国の夢物語を語っていた時とはまた違う幸せそうな表情だった。その顔を見て、わたしは悟った。口ではあのように過去を懐かしんでいたけれど、カモミーユも今は今で納得して暮らしているのだろうと。

 その後、楽しい時間は瞬く間に過ぎていった。蜜などなくとも花の妖精との交流は面白い。わたしもビスキュイも、カモミーユの話にすっかり夢中になり、その日は十二分に満足することが出来たのだった。

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