12.死んだ妖精への祈り
カモミーユが死んだと聞かされてから、灰色のような時間が過ぎていく。一日一日があまりにもあっさりと過ぎていき、気持ちはいつもどんよりと曇っていた。そんなわたしの落ち込みを心配して、アマンディーヌとビスキュイは毎日のようにフィナンシエの屋敷を訪れた。ビスキュイは常にわたしの傍にいてくれた。屋敷の何処にいようと傍に座り、時折、話しかけてくれる。その優しさに心の中では感謝していたけれど、彼の気遣いに応じられるだけの気力がわかなかった。
わたしの心境を察してくれたのだろう。ビスキュイは無理に気取った言葉を探すことをやめて、とにかく傍にいてくれるようになった。そんなわたし達の姿を数日間見守り続けて、思うことがあったのだろう。やがて、フィナンシエはわたし達に対し、自由に庭に出てもいいと許可を出してくれた。つまり、人間たちの付き添いなく、ということだ。滅多にない許可に、いつもならば舞い上がり、広いお庭で冒険の一つや二つくらいしただろう。けれど、そんな気持ちにもなれなかった。
ただ、庭は良かった。壁に囲まれている屋敷の中よりも、高い空と壁のない開けた空間にいることは、気持ちも締め付けられず、楽になれる気がした。時折、聞こえてくる野鳥のさえずりなども、ビスキュイのようにわたしの心に寄り添ってくれた。テラスの隅っこで膝を抱えながら、微かに聞こえてくる鳥たちの音楽を耳にし、庭先に咲く色鮮やかな花々を見つめた。
花の子──カモミーユの赤ちゃんはどうしているだろう。女の子だったと聞いているが、生まれてすぐに母親を亡くしてしまい、さぞかし寂しい思いをするだろう。わたし達のようにたとえ父母が分からなくともどうにかなる蝶の妖精とは違う。花の妖精たちは、生みの母親に存分に甘えて、可愛がられながら育つと聞いている。カモミーユの子は、どのように育つのだろう。カモミーユ自身は、どのように育ったのだろう。
あらゆる事を思っていると、ふと、この口から言葉がぽろりと漏れ出した。
「もっと色んな話がしたかったな」
すると、隣に座っていたビスキュイもまた頷いた。
「そうだね、僕もまたお話を聞きたかった」
「でも、もう会えないんだよね」
「そうだね……」
ビスキュイはそう言って、落ち込んでしまった。慰めようとしてくれた彼だけれど、突然の訃報に傷ついているのはわたしと同じだ。しゅんとする彼の横顔を見ているとそんな当たり前の事にふと気づいて、少しだけ気持ちが冷静になった。どんなに嘆いたって、時間は遡らない。だから、とことん泣いた後は、前を向くしかない。そのことを静かに思い出してから、わたしはふとビスキュイに言った。
「死んだ妖精は、何処に行くのかな」
少なくとも、亡くなった人間たちと同じところに行くとは聞いたことがなかった。人間たちは誰かが死ぬと厳かなお葬式をするものだけれど、妖精のお葬式など聞いたことがない。わたしが知らないだけで、する時もあるのかもしれない。けれど、少なくともカモミーユのお葬式があるとは聞かされなかった。では、死んでしまったカモミーユは何処に行ったのだろう。亡骸は何処かに葬られるだろうけれど、その墓参りに連れてってもらえるだろうか。そこにカモミーユはいるのだろうか。いると言えるのだろうか。死んでしまったわたし達の心は、意識は、魂は、どこへ消えていくのだろう。
「前にアマンディーヌ様が教えてくれたことがある」
ビスキュイがぽつりと言った。
「この国の人間たちはね、僕たち妖精には人間のような魂がないって信じているんだって。だから、人間のようなお葬式はしないの。けれど、かつて蝶の王国ではそこに暮らしている蝶や花の妖精のためのお葬式はしていたらしいんだ」
彼はそう言って、空を見上げた。
「マドレーヌは知っているかな。僕たち蝶の妖精の中に修道蝶々って呼ばれる一族がいるんだって。輝くような黒髪に、この空のような青い目、さらにかつては黒くて綺麗な蝶の翅を持っていて、王国民のために祈りを捧げ、様々な式典を執り行ったらしい。今もその血筋は守られていて、人間たちの式典で活躍しているんだってさ」
「修道蝶々……」
初めて聞いたその名前を呟いて、わたしもまた空を見上げた。この空のような青い目をした蝶々。見たことのない彼らの姿を思い浮かべ、わたしは少し懐かしい気分に浸った。今は亡き王国の話に触れると、カモミーユがやはり恋しくなってしまう。寂しさを紛らわせるために、わたしはビスキュイに訊ねた。
「その修道蝶々なら、妖精が何処に行くのか知っているのかな」
「たぶんね。でも、僕もアマンディーヌ様に少しだけ聞いたよ」
「本当?」
思わず彼の顔を見つめると、彼もまたわたしをじっと見つめてきた。その愛らしい顔に薄っすらと笑みを浮かべ、ビスキュイは頷いた。
「アマンディーヌ様によるとね、死んだ妖精たちの魂は、彼らの望む場所に向かうんだって。ある者は空へ、ある者は大地へ。空に行ったものは慈雨として大地に生命力を与え、大地に行ったものは森を命で満たしてくれるんだって。そして、魂とは別にね、妖精たちが生きている間に重ねてきた思い出は、この世界に残り続けるんだって。生きていた頃に関わった妖精たちが寂しくないように、彼らの心の中で生き続けるの。だから、修道蝶々が妖精たちのためにお祈りをするときは、遺された人たちの心の中にいる死者のために祈るんだって」
「心の中……」
わたしは繰り返し、自分の胸を抑えた。寂しいと感じると少し痛むその場所に、カモミーユはいるのだろうか。カモミーユが死ぬ瞬間、空を願ったか、大地を願ったかは分からないけれど、いずれにしてもわたし達の傍に居続けているということだ。けれど、やはり寂しかった。世界にいようと、心の中にいようと。
「そのお祈りをしたら、わたしの心の中にいるカモミーユも安心するのかな」
「たぶん」
ビスキュイの返事に縋るように、わたしは彼に訊ねた。
「ねえ、ビスキュイ。アマンディーヌ様はご存知かな。どうしたら、カモミーユのためにお祈りが出来るんだろう。修道蝶々たちのお祈りって、どういうものなんだろう」
ひょっとしたらという期待はあった。アマンディーヌも妖精の専門家ではないだろうけれど、わたしよりもずっと詳しいのは確かだ。その話を気軽に聞けるビスキュイだってそう。けれど、彼の表情から察したのは、わたしの望む答えがそこにはないことだった。
「ごめん……」
ビスキュイは悲しそうに言った。
「修道蝶々も今では人間の為にしか祈らない。もしかしたら、かつてのような妖精のための御祈りは知らないかもしれないって」
「──そっか」
そんな事、分かっていたはずだった。現にわたしやビスキュイだって、蝶の王国のことを人間たちに訊ねないと分からないのだから。しかし、がっかりするわたしをビスキュイは勇気づけてくれた。
「ねえ、マドレーヌ。そんなにがっかりしないで。こういうのは気持ちなんだよ。確かに正当なお祈りは分からないけれどさ、ちょっと一緒にお祈りってやつをしてみようよ」
「どうやるの?」
「前にちょっとだけ人間のお葬式っていうものを見たことがあるんだけどね、こうやって手を組んで、目を閉じて、じっと集中するの」
「手を組んで、目を閉じて、集中して……それでどうしたらいいの?」
「たぶん、カモミーユに伝えたい事とか思い浮かべるといいんじゃないかな。心の中にカモミーユがいるなら声をかけたいこととか」
「分かった。ちょっとやってみる」
正直、よく理解できてはいない。半信半疑ではある。けれど、何もしないよりはましだと信じ、わたしは手を組んで、目を閉じて、そして頭の中にカモミーユへの思いを巡らせた。
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