13.お節介な野良妖精

 手を組んで、目を閉じて、集中して、カモミーユに伝えたいことを思い浮かべる。伝えたい事、それを意識し始めると、感情が溢れだしてどうにもならなかった。けれど、そんな感情の洪水の中から言葉を掬いあげていくと、次第に伝えたいことは定まっていった。カモミーユに会ったら伝えたいことは、まず再会した時に話したかったことだ。彼女からの返事はないけれど、伝わるのならばそれでいい。次に伝えたいのは、会えなくて寂しい事だ。言っても仕方ない事ではあるけれど、わたしにとってのカモミーユが、今すぐに会いたくなるほどの妖精だったことは伝えたかった。

 後は、何だろう。何を伝えたいだろう。考えに考えた末に出てきたのは、とにかく、痛みからも苦しみからも解放されたならば、ゆっくりと休んで欲しいという事だった。しばらくカモミーユのために祈り続けて目を開けてみれば、先に目を開けていたらしきビスキュイが顔を覗き込んできた。

「どう? 気持ちは落ち着いた?」

「少し、ね」

 自己満足かもしれないけれど、落ち着きはしたかもしれない。だが、お祈りが終わってみれば、すぐにわたしは気持ちが揺らいでしまった。本当にこれでカモミーユに届いたのだろうか。まだまだ胸は痛むし、気持ちは上向かない。空と大地に見守られていようと、心細さは変わらなかった。せっかくビスキュイが慰めてくれたのに。そうは思うのだが、気持ちに嘘はつけなかった。わたしの気持ちの落ち込みも、隣にいるビスキュイに伝わってしまったのだろう。彼もまた寂しそうに息を吐いた。

「そうだよね。少しだけだよね」

 彼の言葉にわたしは頷き、そのまま俯いてしまった。

 いつだったか、生家で飼われていた犬が死んでしまったことがあった。その時に人間たちは売れ残った妖精が死んだ時よりも悲しんでいて、そのことが印象に残っていた。特に子供らはこの世が終わるかのように泣いていたものだった。けれど、そんな彼らもしばらく経つと、犬の為に泣くことも少なくなっていき、やがて新しい犬を飼い始めた。それと同じかもしれない。親しい者の死の痛みに効くものは、時間の経過なのだろう。だけど、わたしにはその時間の経過が残酷なまでに遅すぎた。いったいいつになったら、気持ちは楽になるだろう。そんな事を思い、途方もない気持ちに浸った。

 ちょうどそんな時だった。

「あれ……き、君は」

 隣にいたビスキュイが突然誰かに声をかけ、わたしは驚いて顔をあげた。すぐにその相手は見つかった。わたしとビスキュイの正面に、先ほどまではいなかったはずの者がぽつんと立っていたのだ。妖精だ。みすぼらしい恰好からして、野良妖精に違いない。フィナンシエの庭に来たことがないわけではないが、誰も彼も見知った仲ではない。そう思っていたのだが、こちらを見つめて来る彼女──恐らく少女だ──の顔を見ていると、ある事を思い出した。

 あの妖精だ。ヴェルジョワーズの庭で一度だけ見た翅有妖精。記憶よりも少し大きくなっていたが、間違いなかった。ぼさぼさの茶髪に、濁った川のような色の目。その目がきらきらしているのも同じ。その輝く目で興味深そうにわたし達を見つめていた。じろじろ見られたのが不快だったのだろう。ビスキュイがやや怒ったような声でその野良妖精に話しかけた。

「何処から入ってきたの。ここは君のような子が来る場所じゃないよ」

 いつもとはまるで違うその喧嘩腰に、わたしはぎょっとしてしまった。だが、野良妖精はにこにこしているばかり。いや、にやにやしていると言った方がいいかもしれない。ともかく、動じていないようだった。

「ねえ、ビスキュイ」

 わたしは小声で彼に言った。

「この子、見た事ある。ヴェルジョワーズ様のお庭で」

「うん」

 ビスキュイもまた頷いた。

「僕も覚えているよ。一年くらい前に噴水で水浴びをしていたあの子だよね」

 小声でこそこそ話していたのだが、野良妖精は笑い出した。どうやら地獄耳だったらしい。

「へえ、よく覚えてんね。うん、たぶんそれあたしだ。何か知らないけど、たくさん人間たちがいたんだよね。でも、身体が痒かったから水浴びさせて貰ったの」

 無邪気に笑うその声は、やっぱりまだまだ子供っぽい。しかし、翅があったということは羽化した後なのだろう。つまり、わたし達と同じくらいの年ということになる。

「意外だなぁ。良血さんはあたしらみたいな連中になんて興味ないと思っていたよ」

 やや棘のあるその言葉に、ビスキュイがますます不快そうな顔になった。

「用がないなら帰ってくれるかな。さっきも言ったけれど、ここは君たちみたいな野良が来るところじゃない。フィナンシエ様の許可を貰ってからうろついてよね」

「野良ぁ? ふふん、あたしは野良って名前じゃないよ。ちゃーんと、グリヨットってお名前があるのさ」

 澄ました顔の彼女に、ビスキュイはため息を吐いた。どうやら簡単には帰ってくれなさそうだ。わたしもそれを察して、慎重にその少女──グリヨットに声をかけてみた。

「じゃあ、グリヨット。わたし達に何か用事でもあるの?」

 すると、名前を呼ばれて嬉しかったのか、グリヨットは笑顔で頷いた。

「あんたらさ、お祈りしたいんでしょ? ちゃんとしたお祈り。さっきから聞いていたんだよ。親しかった花の妖精が亡くなったんだって? それなら、ちゃんとした所でちゃんとしたお祈りをした方がいいよ」

「お祈り……」

 思わぬ言葉にわたしは立ち上がってしまった。

「あなたは正しいお祈りの仕方を知っているの?」

 すると、グリヨットはやや首を傾げた。

「うーん、あたしじゃなくて、あたしの仲間に知っている妖精がいるって感じ。修道蝶々のお話をさっきしていたでしょ? 知り合いにいるんだよ。もしよかったら、連れてってあげるけれど」

「本当?」

 思わず食いついてしまったわたしの腕を、ビスキュイがとっさに掴んできた。

「マドレーヌ……」

 小声で名前を呼ばれ、わたしは我に返った。いけないことだ。一緒に行くなんて、フィナンシエが許可を出してくれるはずがない。自分の立場を忘れてはいないか。わたしは良血妖精なのに。けれど、そんな事情など全く知らないグリヨットは、首を傾げるばかりだった。

「あれ? もっと喜ぶと思ったんだけど。特にそこの男子……」

「僕はビスキュイだよ」

 警戒心をたっぷり含んだ声でビスキュイが言うと、グリヨットはうんと頷いた。

「そっか。じゃあ、ビスキュイ。あんただって花の妖精のためにお祈りしたいんでしょう? 名前はえっと、カモミーユだっけ?」

「お祈りしたいのは確かだけれど、会ったばかりの君を信用することは出来ないよ。僕たち良血妖精を攫う事件だってあるわけだし」

「攫う?」

 グリヨットは首を傾げた。

「よく分からないけど、背後に人間がいるとでも思っているの? あは、笑っちゃうな。じゃあいいよ。信じてくれないならそれで」

 そう言って、グリヨットは片手をあげた。帰ろうとしている。その事を察すると、わたしは途端に引き止めなくては、と思ってしまった。ビスキュイの手を振り払うと、呼び止められつつもグリヨットに駆け寄り、わたしは言ったのだった。

「ねえ、お願い、わたしを連れてって」

 そこにはもうフィナンシエへの忠誠心など入り込む余地もなかった。グリヨットは振り返ると、あっさり頷いてくれた。

「いいよ。えっとあんた──」

「わたしはマドレーヌっていうの」

「そっか。じゃあ、マドレーヌだけは」

 グリヨットがそう言いかけた時、ビスキュイが慌てたように立ち上がり、こっちに向かって駆け寄ってきた。

「待って! マドレーヌが行くなら僕も行く!」

「ビスキュイ」

 驚いてその顔を見ると、ビスキュイは腑に落ちない様子ながらもわたしに告げた。

「どうしても行きたいっていうのなら、一人で行かせるわけにはいかないよ。一緒に行って、一緒に帰って、そして一緒に怒られよう」

「うん……ありがとう」

 その手を握り締めると、ビスキュイは照れくさそうに笑った。そんなわたし達を見て、グリヨットは呆れたような顔をしていた。

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