11.幻となった約束
シュセットに連れられて向かったのは、フィナンシエとアマンディーヌの定位置となっているダンスホールの片隅だった。そこにはヴェルジョワーズもいて、招待客たちの喧騒に囲まれていたが、その賑やかな周囲の空気とは打って変わって、彼らの周りだけやけに暗い空気が漂っていた。暗い雰囲気だけでも近寄りがたい。だが、呼ばれた以上、遅かれ早かれ行かなくてはいけなかった。シュセットと共に近づいていくと、フィナンシエが真っ先に気づいて手招いてきた。駆け足でそれに応えると、現れたわたしに目を向けたヴェルジョワーズが、何とも言い難い複雑な表情を浮かべ、小声でフィナンシエに言ったのだった。
「本当に、この子にも聞かせていいの?」
その表情、その言葉だけでも、よくない話題だと分かった。それは、フィナンシエの表情からも分かる。本当はわたしに聞かせたくない話なのだろう。しかし、彼には彼なりの正義があるようだった。
「もともと隠し事は苦手なんです。それに、上手く隠したところで真実は変えられない。遅かれ早かれこの子は知る事になるでしょう。それならば、いっそ」
彼はそう言って、俯いてしまった。そんな主人の様子を目の当たりにして、わたしは処罰でも受ける前のような気持ちで佇んでいた。フィナンシエだって、それが正しいのかどうか、きっと迷っている部分はあるのだろう。それが伝わったからか、ヴェルジョワーズは尚も気乗りしない様子だった。しかし、そんなヴェルジョワーズに助言をしたのは、彼女の妖精であるシュセットだった。
「教えてあげて」
それは、従順さが求められる良血蝶々にしては馴れ馴れしく、かつ、絶大な信頼を向けていると分かる声だった。
「真実を隠される方が辛い。少なくともわたしならね。遅かれ早かれ知るのならば、いつ聞いたって一緒だよ。それなら、今すぐ楽にしてあげて」
愛する妖精の訴えは、ヴェルジョワーズにとって強い動機となったらしい。いよいよ彼女は覚悟を決めると、ぎこちなく頷いたのだった。
「そうね。確かに、そうかもしれないわね」
そして、ヴェルジョワーズはわたしを見つめた。優しいその眼差しが、今だけは怖かった。深呼吸をする彼女の覚悟を伴う言葉に、わたしは耐えられるだろうか。不安で仕方なかった。ヴェルジョワーズは言った。
「マドレーヌ。どうか落ち着いて聞いてね」
すぐに逃げ出したくなる気持ちをどうにか抑え、わたしはヴェルジョワーズを見つめ返した。その時、ふと手がぎゅっと握られた。フィナンシエかと思って振り返ってみれば、そこにはビスキュイがいた。どうやらいつの間にかついて来ていたらしい。彼の優しい寄り添いに少しだけ勇気を貰いながら、わたしはいよいよ覚悟を決めた。けれど、その言葉は、わたしの覚悟を優に超えるものだった。
「カモミーユが死んでしまったの」
わたしはヴェルジョワーズの顔を見つめたまま固まってしまった。決めたはずの覚悟は一瞬にして砕け、ついでに膝から下の感覚をも奪おうとしてくる。それでもどうにか耐えながら立っているわたしに、ヴェルジョワーズは語り続けた。
「難産だったのですって。もともと花の妖精には多いの。この二百年のうちにある時代から何故だか多くなってしまったの。もちろん、シャルロットだってそんな事は分かっていたわ。カモミーユのお母さんだってそれで失ったのだもの。妖精医を呼んで、出来る限り安全に産めるように準備をして……でも、駄目だった。赤ちゃんは無事だったけれど、母親は助からなかったのですって。お医者さまも手を尽くしたのだけれどね」
ヴェルジョワーズの言葉をわたしはただ茫然と聞いていた。これは悪夢なのだろうか。
「花の妖精には珍しくない。とはいえ、シャルロットもだいぶ参っているみたい。カモミーユのお母さんはシャルロットのお気に入りだった。遺された子供のなかでも一番出来の良かったのがカモミーユだったのよ。だから、こんな形で失って、相当落ち込んでいるみたいで……」
語られる情報が、なかなか頭に入ってこなかった。カモミーユが死んだ。そんなバカな。だって、順調だって言っていたのに。産後はまた会えるって、そう教えてくれたのに。会ったら話そうと思っていたことがいっぱいあった。カモミーユの産んだ子を見るのがとても楽しみだった。花の子だけ見られたって意味はないのだ。そこに自慢の可愛い我が子を見せて満足げに微笑むカモミーユがいなくては。彼女自身から、幸せを分けて貰うことを夢見ていた。けれど、もう無理だなんて。
信じていた未来が、急に幻と化してしまった。そのことがあまりに恐ろしくて、あまりに信じられなくて、気づけばわたしは何度も呟いていた。
「そんな……そんな……」
どんな言葉で嘆いたって、事実は変わらない。カモミーユは死んだのだ。こみ上げる吐き気を必死に堪えて、やがて、耐えられなくなって、わたしはビスキュイの手を振り払って駆けだした。呼び止める声が聞こえてきたけれど、構っている余裕がなかった。急いで走り、駆け抜け、わたしが向かったのは出来るだけ誰もいない空間だった。
何処だっていい。ヴェルジョワーズの屋敷の中ならば。そして、走り続けてようやく見つけたのは、誰も彼にも忘れ去られた廊下の隅っこだった。日当たりの悪いその場所に駆け込むと、わたしはそのまま壁に身を寄せた。気を失いそうになりながら、必死で意識を保ちつつ、それでもどうしようもない感情を抱えたところで、涙をこらえることは出来なくなった。
どんなに泣いても事実は変わらない。残虐非道な死神はカモミーユのことを返してくれないだろう。泣くことに意味などないと、頭では分かっていた。けれど、一度流れ出したこの涙が枯れるまでにはかなりの時間を要した。
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