13.上空からの眺め

 星空の下をフランボワーズは飛んでいる。木槍はともかく特別に着飾っているわたしの身体はきっと重たいだろうに、その負担を一切感じさせずに自在に飛び回っている。かつてわたし達の先祖は皆、同じような翅を持っていた。最後の女王ミルティーユも、その娘たちも。けれど、たまたま翅無の状態で誕生したエクレールの血によって、空を飛ぶ術は完全に失われてしまったのだ。

 フランボワーズの中にはエクレールの血は入っていないのだろうか。入っていたとしても、限りなく薄いのだろうか。人間たちに尊ばれる翅無の血だけれど、こうして一緒に富んでいると、失ったものの大きさを実感した。

 わたしも飛んでみたかった。先祖たちのように、自由に空を飛んでみたかった。それは、フィナンシエのもとを逃げ出したいからではない。自分の力で見て観たかったのだ。大空から眺める、この美しい王都の夜景を。息を飲んで下を見つめていると、フランボワーズは話しかけてきた。

「怖くないようだね」

「……はい。むしろ、とても綺麗です」

 星のような光が、王都の一か所に集まっている。外灯の多い王都の中心部分だろう。普段はあまり眺めたりしない太陽の国の王城もよく見えた。その美は、人間たちが造ったなんて思えないほどだった。目に映るあらゆる景色に息を飲んでいると、フランボワーズは言った。

「そうだろう。この都は美しい。私が空を飛べるようになった頃から、いや、そのずっと前からこうだったわけだ。人間たちの持つ力と、私たちの持つ力はあまりにも違う。ここは確かに美しい。でも、私たちが暮らすには適していない。私はね、この翅で時折遠くまで行くんだ。仲間たちが守っている遠くの拠点まで飛んで、様子を見てから姉に伝えている。あの場所はここと比べて静かだ。けれど、夜には美しく光る小妖精たちが飛ぶから、とても綺麗なんだ。たくましい木々に囲まれたあの場所こそ、私たちの暮らすべき世界なのだろうね」

 そう言ってから、フランボワーズは一人苦笑した。

「君はまた事情が少し違ったね。愛する主人に恵まれているのならば、妖精はここでも幸せに暮らすことは出来る。それなのに、君は私たちに勇気を捧げてくれる。見て見ぬふりをしてもいいのに」

「出来なかったんです。見て見ぬふりなんて」

 わたしは正直に言った。

「ヴァニーユの事を知ってしまった以上、じっとなんてしていられなかったんです。グリヨットを死なせてしまっていたら、きっとわたしは後悔したまま生きていくことになったかもしれない。そう思うと、見て見ぬふりなんて出来なかったんです」

「その結果、自分が食べられそうになっても?」

 フランボワーズに問われ、わたしは答えに詰まった。結局は、こうして助けられて首が繋がった。あのまま助けが来なかったら、ヴァニーユに食べられてしまっていたら、わたしはこの世界を呪わずに死ねただろうか。後悔せずに逝けただろうか。考えてみれば分からなくなる。けれど、わたしはどうにか答えた。

「グリヨットを助けられたのなら」

 そう答えると、フランボワーズは小さく笑った。

「君は純粋なのだね、マドレーヌ。さっきも言ったけれど、グリヨットが助かったのは君のお陰に違いない。誰もが怯えて踏み出せなかったところを、君たちは飛び出していけた。それは誇っていいことだよ」

「……ビスキュイ」

 その名を思い出し、わたしはそっとフランボワーズに訊ねた。

「彼はどうしていますか?」

「グリヨットを祈り場へと運んだ後、仲間たちに送らせたよ。先に君たちのご主人様のところに帰っているはずだ。王立歌劇場、で間違いないね?」

 その問いに頷くと、フランボワーズもまた頷いた。

「それならこのまま飛んでいくよ。ご主人様たちの元へ」

 そう言って、フランボワーズは滑空した。冷たい夜風を浴びながら、わたしは必死にフランボワーズの身体にしがみついていた。

 王立歌劇場の場所は、ここからしっかりと見えている。その周囲に人がいることも、妖精の目をもつわたしにはよく見えた。フランボワーズにはきっと、もっとよく見えているのだろう。あの場所に、ビスキュイたちは待っている。フィナンシエとアマンディーヌも待っている。二人の主人には翅のあるフランボワーズの姿はどう見えるだろう。グリヨットのことは可愛いと言ってくれた二人だけれど、立派な蝶の翅を持つ彼女に対してはどうなのか。私には期待と不安があった。二人ならばきっと怖がらないはずだ。美しさを認めてくれるはずだ。そんな期待がある一方で、その期待が裏切られることへの恐怖を抱いてしまう。

「見えてきたね」

 フランボワーズが口を開いた。気づけば王立歌劇場はすぐそこだった。彼女の言う通り、入り口付近に馬車が待たされており、その近くにビスキュイとアマンディーヌ、ヴェルジョワーズとシュセット、そしてフィナンシエがいた。

「君のご主人様が待っているようだ。気を抜かずにしがみついていて」

 そう言って、フランボワーズは地面へと急降下していった。彼女が降り立ったのは、フィナンシエたちの真正面だった。驚く二人の人間のその視線を恐れることもなく、抱えていたわたしに前へ行くよう促してきた。ふらつく足でどうにか歩くと、呆気にとられていたフィナンシエが慌てて駆け寄ってきた。彼の手に支えて貰うと、その様子を見届けたフランボワーズが二人に向かって堂々と声をかけた。

「どうか怒らないであげてください」

 木槍は持っているが、敵意は全くない。その表情には懇願の色が浮かんでいた。

「今宵、私たちはその二人のお陰で仲間を救うことが出来ました。かけがえのない、唯一無二の仲間です。だから、どうか怒らないで」

 彼女の言葉にフィナンシエもアマンディーヌも、ヴェルジョワーズとシュセットもまた驚いているようだった。たまたま立ち会うことになった他の人間たちなどは、突如現れたフランボワーズの姿に動揺していた。それもそうだろう。彼女には立派な翅があるのだから。だが、フィナンシエはいち早く動揺から立ち直ると、フランボワーズに声をかけた。

「送り届けてくれて、感謝する」

 紳士的なその振る舞いに、フランボワーズは目を細めて挨拶を返す。そしてすぐに蝶の翅を広げると夜空へと飛び去ってしまった。

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