10.花蟷螂の妖精

 花蟷螂の妖精とは、どういう一族だったのだろう。ヴァニーユの祖先だって、かつては人間とは無関係の場所で暮らしていたはずだ。その頃はきっと彼女らもまた、わたし達の先祖を脅かす敵対部族の一つだったのだろう。しかし、生憎、わたしは祖先の事を十分に知っているとはいえない。わたしが知っていることはほんの僅かなことだ。だが、その僅かな中にだって肉食妖精と蝶たちとの戦いが常に命懸けであったことは散々語られていた。

 蝶の戦士は勇ましかった。きっとババのような男が多かったのだろう。また、女だったとしても、フランボワーズのように勇ましく、凛々しい姿をしていたに違いない。きっと、わたしのような戦士なんていなかった。王国時代に生まれていたとしても、わたしがやるべき仕事は、もっと違うことだったかもしれない。

 でも、今だけは、と、わたしは祈っていた。鋭く尖った廃材を構えながら、それが一角獣の角先であるように想像する。相手はその一角獣に憧れながら活躍していたババの命を奪ったこともあった。しかし、そのババの亡霊をこの身に宿すような思いで、わたしはヴァニーユを睨みつけ、飛び掛かった。その渾身の一撃を、ヴァニーユはひらりとかわした。食べ始めたばかりのグリヨットを抱えたまま。もともと体の小さい少女ではあるが、きっとヴァニーユにとって蝶の妖精を担ぐことなんて簡単な事なのだろう。

「誰かと思えば、マドレーヌ様」

 目を細めてヴァニーユは言った。

「よくここが分かりましたね。褒めてさしあげたいところですが、今は少し都合が悪いのです。あとでお話は聞いてあげますから、今はどうかそこで大人しくなさってください。間違っても邪魔をなさらないでくださいな。わたくし、お食事を邪魔されることが何よりも嫌いなのです」

 威圧するように言われ、震えが生じる。しかし、怯んで等いられなかった。早く引き離さないと。あれ以上食べられてしまったら、取り返しがつかない。わたしは再び声をあげた。思う存分叫びながら、ヴァニーユに向かって廃材を振り回した。無謀であることは分かり切っている。正面からぶつかり合って、勝てるはずがない。それでも、こうするしかなかった。

「あらあら、良血蝶々とは思えないはしたなさ」

 ヴァニーユはそう言いながら、わたしから距離を取った。避けるだけだ。しかし、避けている間はグリヨットが食べられることもない。チャンスは転がりこんでくるはずだ。そう思うと少しは恐怖が薄らいだ。

「グリヨットを離して!」

 そう言ってもう一度、わたしはヴァニーユに襲い掛かった。ヴァニーユはじっとわたしを見つめていた。また、さっきのようにぎりぎりまで引き付けて避けるつもりだろう。そうやって、愚直に突っ込んでくるわたしに対して思い知らせようというわけだ。持って生まれた関係性を。捕食関係は覆らないことを、思い知らせてくるつもりだろう。

 しかし、それならわたしだって同じだ。諦めない事の怖さを、しつこさを、彼女に叩き込んでやりたかった。グリヨットは取り戻す。絶対に。今まで出したこともないような叫び声をあげて、わたしは廃材を振り回した。自分の力に自分の身体がついて行かない。よろけそうになりながら、早くも手や足が痛くなってきながらも、どうにかヴァニーユにキツイ一撃を食らわせてやりたかった。

 けれど、わたしが思っている以上に、この世の摂理はシビアなものだった。

「可愛いものね」

 ヴァニーユはそう呟くと、あっさりとグリヨットを手放した。地面に崩れ落ちる彼女の姿を見て、あたしはとっさに前へと駆けだしてしまった。そこへ、今度はヴァニーユの方から突っ込んできたのだ。瞬時に対応することなんて、戦う術を知らないわたしには出来なかった。あっという間に腕を掴まれ、そのまま力ずくで廃材を手放させられた。無防備になるとすぐに抱き込まれてしまい、完全に身動きが取れなくなってしまった。

 こうやって白い妖精に抱かれたことがある。カモミーユ。この野良の世界に飛び込むきっかけとなった美しい花の妖精に、このヴァニーユはよく似ている。似ているけれど、全く違う。身体の仕組みから何まで。間近にわたしを見つめて来るこの視線すらも全てが違った。

「マドレーヌ様」

 ヴァニーユは耳元で囁いてきた。

「いいえ、マドレーヌ。やっと捕まえた」

 今だって、状況を忘れれば妖艶な花にしか思えない。これこそが花蟷螂の妖精というものなのだろう。数多の蝶たちが彼らを花と信じて抱かれ、そのまま食べられていったのだ。

 では、わたしも?

 わたしもこのまま食べられてしまうの?

「ずっと前からあなたを連れて行こうと思っていた場所があったの。アンゼリカもそこへ連れて行くはずだった。でも、状況が悪くて、そうはいかなかった。ねえ、マドレーヌ。グリヨットを助けたいの?」

 ヴァニーユに囁かれ、わたしは震えてしまった。答えることが出来ない。感じたこともない恐怖だった。

「助けたいのなら、取引しましょう」

 思わぬ言葉を囁かれ、わたしは少しだけ我に返った。

「取引?」

 震えながら訊ね返すと、ヴァニーユはにこりと笑った。

「大人しくついて来てくれるのなら、グリヨットのことは見逃してあげる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る