9.良血同士の会話
ノワゼットに連れられて祈り場に入ってみれば、ルリジューズは一人きりでそこにいた。どうやら、グリヨットは別室にいるらしい。ならば、せめてノワゼットは一緒にいてくれるだろうかと期待したが、どうやらそうはいかないらしい。
「お連れしたわ」
ルリジューズに一声かけて、ノワゼットはわたしを用意された椅子に座らせた。ルリジューズはいつもの壇上から振り返ると、ノワゼットに言った。
「ありがとう、ノワゼット。話が終わるまで、あなたはグリヨットに付き添っていてくれるかしら?」
ルリジューズの言葉にノワゼットは頷いた。わたしの肩を軽く叩くと、そのまま彼女はあっさりと立ち去っていってしまった。その背中に名残惜しさを覚えながら見送ったが、どうにもならなかった。二人きりにされると、重たい沈黙が襲い掛かってきた。まるで、兄弟姉妹の中でわたしだけが教育係の夫人に怒られることになってしまった時のよう。忘れかけていたその時の感覚を思い出していると、ルリジューズの方から口を開いた。
「マドレーヌ。どうかしばらく私の話にお付き合いください」
「……はい」
小さく返事をすると、ルリジューズは口元にほんの少しだけ笑みを浮かべ、そしてすぐにその笑みを引っ込めた。
「あなたのお陰で話し合いが円滑に進むこと。それは確かな事であり、有難い事でもあります。クレモンティーヌ様はきっと、あなたの勇気ある行動をだいぶ高く評価なさっていることでしょう。それは私も認めております」
ルリジューズはそう言った。だが、純粋に褒めてくれているわけではないというのはすぐに分かった。
「けれど、あなたに話しておきたい事があるのです。これは、蝶の妖精としてというよりも、同じ良血蝶々に生まれた者としてのお話です」
その口ぶりに、わたしはかつての事を思い出していた。アンゼリカは、ルリジューズは、自ら望んでここへ来たわけではない。そんな彼女たちにとって、選択する権利のあるわたしの事はどれほど贅沢に思えることだろう。その事に苦いものを感じつつも、わたしは再び頷いた。
「──はい」
前回、ルリジューズに言われたことを忘れていないわけではない。彼女は、わたしがここへ来ることをよく思っていない。それはつまらない嫉妬などではない。ルリジューズにはルリジューズの考えがあり、真面目な気持ちで忠告してくれたのだ。しかし、わたしはまだ知らないことがある。アンゼリカがここに居た理由は知っていても、ルリジューズに何があったのかは、いまだ知らないままだった。
グリヨットが昔言っていたことを思い出す。彼女は修道蝶々として生まれ、育てられてきたのに、殺処分が決まってしまい、命からがらここへ逃げてきた。そんな彼女が、わたしに伝えたい事とは何なのだろう。それを語り出す前に、ルリジューズは両手をあげた。何をするのかと注目しているうちに、彼女は手探りでその目を覆う黒い布を緩めてしまった。唇をきゅっと結び、思い切って布を顔から取り払う。その瞬間、彼女がこれまでずっと隠し通してきた素顔が露わになった。
わたしは息を飲んだ。この息遣いすら、ルリジューズに悟られていないことを祈りたい。そのくらいの衝撃と動揺が、わたしにもたらされた。隠されていたのは、見るも無残な酷い傷だった。切り傷だ。閉じた瞼の上から鋭利なもので深く抉られ、そのままくっついてしまっている。もう二度と開けない。本当に、彼女は何も見えないのだ。傷の酷さは見れば見るほど伝わってきて、正直、目を逸らしたくなる。しかし、逸らしてはいけない気がして、わたしは黙ったままじっとルリジューズの顔を見つめていた。きっと傷がつく前は、綺麗な顔をしていたのだろう。その片鱗も感じ取れるだけに、ルリジューズのこの姿は非常に痛々しいものがあった。
ルリジューズはしばらく黙ってわたしを見つめてから、口を開いた。
「この傷は、私がここへ来る原因となったものです」
静かに語るその声に、わたしは耳を傾けた。
「あなたに聞いて欲しい事は、他ならぬ私に起こった出来事です。そして、今もここで暮らす私のことです。同じ良血蝶々として生まれた私のことを話すことで、もしかしたらあなたは冷静な判断を下せるかもしれない。だから、プライドも苦痛も粉々にして語らせてもらいます。たとえ、あなたが聞きたくなくとも」
ルリジューズの言葉に、わたしは頭を抱えてしまった。一人で聞くのが怖かった。せめて隣にビスキュイがいてくれたら。しかし、聞きたくなくとも聞かなくてはならない。これは一種の試練なのだと納得して、わたしは椅子に座り直した。冷静な判断のためには避けられない事。この先、どうするかをビスキュイと二人で迷っているからこそ、絶対に逃げてはいけない場面に違いない。
「……話してください」
覚悟を決めてそう言うと、ルリジューズは口元に再び笑みを浮かべて頷いた。
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