9.最期の願い

 フランボワーズの処刑のことを、フィナンシエたちが知らないはずはないだろう。けれど、フィナンシエもアマンディーヌも、一切の事をわたしやビスキュイの前では語らなかった。キュイエールでさえもそうだ。わたし達に悟られないように気を配っているのか、全く口にしようとしない。わたしの方からそれとなく、捕まったフランボワーズがどうしているのか気にかけてみせても、ただ誤魔化されるばかりだった。けれど、隠していることは明らかだった。その証拠に、誰もが暗い顔をしている。無理に明るく振る舞おうとしても無駄だ。

 グリヨットの言う事は間違いはずだ。かといって、馬鹿正直に広場へ行きたいと言ったところで、その傍から閉じ込められるのが落ちだ。わたしもビスキュイも悪賢くなる必要があった。何も知らない、何も気づいていない、そんな無垢な良血妖精を装って、タイミングを窺うことに決めたのだ。

 その企みは、うまくいった。わたしもビスキュイも無事に屋敷を抜け出せたし、誰にも捕まることなく王立歌劇場前の広場へとたどり着くことが出来た。そのままの姿では当然ながら目立ってしまうが、路地裏で拾った薄汚れた布がフードとなってわたし達の姿をうまく誤魔化してくれている。

 いや、そもそもこれがなくとも、ひょっとしたらこの場にいたほぼ全ての人々の関心はわたし達などに向かなかったかもしれない。フィナンシエたちがひた隠しにしてきたのも虚しいほどに、今日のこの場所は以前とは全く違う空気に包まれていた。王立歌劇場の前には簡素な足場が組まれ、そこには険しい顔をした人間たちが立っている。ざわめく群衆たちを黙って見つめているその姿は、異様に怖く見えた。

 ここに集まった者達は、フィナンシエたちとは全く違うように思える。フランボワーズと戦い、多くの妖精を殺したあの男たちによく似ている。しかし、集まっている人々の姿を一人ひとりよくよく確認してみると、誰も彼もが当たり前に暮らしている民衆に違いないことが分かった。女性もいるし、子供もいる。いずれも見知った顔ではないが、特段変わった人間たちというわけではない。ごく普通の人々だった。そんな人々が集まって、これから何をしようというのか。信じたくはない事だが、グリヨットの情報は確からしい。

 広場の喧騒がより一層騒がしくなって、わたしは彼女の登場に気づいた。フランボワーズだ。最後に見た時よりも顔色は悪い。やつれている。ただ、背中の翅だけは美しいまま。その翅をわざと強調するような衣服を着せられ、そこにいた。両手は後ろ手に縛られ、口も塞がれている。見ているだけで心が痛む姿だったが、この場にいる人間たちにはどう見えているのだろう。

 人々はざわついていた。フランボワーズの姿に傷心してのことではなさそうだ。彼らの視線はフランボワーズの背中に向いていた。そして聞こえてきたのが、「ペシュ」という響き。そう、それは、人々にとっての恐怖ともいえる歴史上の妖精だ。「ペシュの再来」という言葉が、何を意味しているのか。そして、何を引き起こしてしまうのか、わたしにだって分からないはずもない。

「フランボワーズ様!」

 堪らずにわたしはその名を呼んだ。しかし、喧騒はわたしの声を完全に飲み込んだ。周囲にいた者すらわたしの言葉に気づいていない。それほどまでに騒ぎは大きかった。制服姿の男が何か言っている。その言葉が全く聞こえてこなかった。わたしの視線はただフランボワーズに向いたままだった。飛び出しそうだと不安に思ったのだろう。隣にいるビスキュイがわたしの手をしっかりと握り締めていた。わたしはただただフランボワーズを見ていた。わたしやビスキュイと同じ、菫色の目が淀んでいる。何が見えているだろう。何を想っているだろう。

「本当にやるつもりなのか?」

 周囲で戸惑いの声が聞こえてくる。

「ああ、お偉いさんの愛玩妖精を殺してしまったらしいからね。ああ見えて凶暴な妖精らしい」

「可哀想だが、仕方ないさ……」

 人々の雑談が耳に入り、わたしは拳を握った。衝動的に前へと向かおうとして、ビスキュイに引っ張られた。しかし、力の限りそれに抗うと、群衆をかき分けて前へ前へと向かおうとした。訴えたかったのだ。手遅れになる前に。フランボワーズの罪が軽くならないかと。まだ間に合う。わたしがやったのだと訴えれば、きっとフランボワーズは殺されずに済むと信じたかった。そのためならば、わたしはどうなったっていい。そのくらいの覚悟はあった。だから、わたしは自ら向かったのだ。妖精のための処刑台へ。けれど、強引に前へと進むわたしの姿が見えたのだろうか。あれほど憔悴していたフランボワーズが、突如、翅を大きく震わせたのだ。直後、恐らく人間たちには聞こえなかっただろう“声”が確かに伝わってきた。

『止まれ!』

 わたしは息を飲んで前を見つめた。フランボワーズは確かにわたしを見ていた。そして、群衆を見渡したかと思うと、人々には聞こえないはずのその“声”で語り掛けてきた。

『ここで私が逃げてしまえば、人間たちは納得しないだろう。危険な妖精の存在を排除するまで、彼らは妖精を狩り続ける。犠牲が増えてしまう』

 ──ですが。

 言い返したかったが、わたしには翅がない。“声”を伝える手段もないまま、わたしは必死にフランボワーズを見つめていた。

『いいんだ。仕方ない事だ。私は負けてしまった。弱かった。弱いくせに妖精の正義を貫こうとした。これはその報いでもある。だが、たとえ肉体が滅んでも、私の希望まで潰えることはない。兄弟姉妹よ。妖精たちよ。仲間たちよ。どうか私の話を聞いてほしい。私の命はここまでだ。けれど孤独ではない。私が救えなかった仲間たちの元に行けると思えば心強いくらいだ。そして、私と同じ血を引く者達が新しい世界で生きられるのならば、喜んで人間たちの恐怖と怒りを鎮める生贄となってみせよう。だから、助けようとしないでほしい。助けようとして、全滅してはいけない』

 そこまで聞こえた直後、人間たちがフランボワーズの身体を押しやり、足場の上に伸びる小さな柱へと括りつけてしまった。翅はまだ動くらしい。“声”は続いた。

『これから先、新しい王国が出来てからも、私たちはきっと数々の苦難と屈辱を味わうことがあるかもしれない。けれど、兄弟姉妹よ。希望を捨ててはいけない。最後の女王ミルティーユ様はおっしゃった。耐え忍べ。今は希望の種を地中深くに埋めておくのだ。未来を思うのであれば、美しく死ぬのではなく泥まみれになってでも生き続けよ。滅ばぬ限り希望の種はいつの日か芽吹くはずだから。私はこれから無残な死を迎える。けれど、決して後を追ってはならない。命を懸けて救おうとするくらいならば、この場で息を潜め、どうか見届けてほしい。そして、祈って欲しい。安らかな、死を』

 人間たちが何かを用意しはじめた。その様子に、わたしは息を飲んだ。木槍だ。フランボワーズがこれまで多くの妖精を救ってきたあの武器が、人間たちの手の中にある。どうするつもりなのか。何に使うつもりなのか。考えるまでもない。フランボワーズが空を見上げる。目を閉じて、その時を待っている。嫌だ。絶対に嫌だ。止めなくては。そう思うのに、身体が動かなかった。壇上の人間たちが何か言っている。喧騒が頭に響く。目を閉じることも、動くことも出来ないまま、事は始まろうとしていた。嫌だ。奇跡でも何でもいい。誰か、フランボワーズを助けてほしい。

 けれど、現実は残酷だった。

 処刑執行人が木槍を構え、躊躇いもなくフランボワーズの身体を貫いた。その途端、フランボワーズの翅が大きく震え、風が生まれた。風は音となって、音は“声”となる。言葉にはなっていなかった。悲鳴のような、怒声のような、そんな声だった。しかし、まるで歌のようでもあった。別れを告げる悲しみの歌。けれど、強い願いを託すような力強い旋律でもあった。群衆をかき分けて追いついてきたビスキュイに手を掴まれながら、わたしはその旋律を聞き続けていた。言葉はなくとも、その想いの全てが沁み込んでくるようだった。これで終わりだ。歌が終わり、フランボワーズは項垂れる。それからはもう動かなかった。

 終わってしまった。潰えてしまった。わたし達の希望が。わたしの憧れが。認めたくなくとも、諦めたくなくとも、結末は決まってしまった。

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