3.未来を決めるために
フロマージュが帰ると、わたしとビスキュイはすぐに着替えさせられた。そして、着替え終わるとビスキュイ共々わたしの部屋に押し込められてしまった。疲れているだろうから、と、キュイエールが運んできてくれた温かい花蜜茶を一緒に飲みながら、わたし達はひとまず静かに向かい合っていた。今宵はビスキュイも一緒だ。心強いところだけれど、気持ちがまだ落ち着かない。殺されそうになったせいだけではない。フロマージュの話が頭から離れなかった。
フィナンシエもアマンディーヌも一緒になって庇ったお陰で、少しはフランボワーズの印象も変わったと信じたい。けれど、フロマージュ一人の評価が変わったところでまだまだ安心できないのが現実だ。印象をがらりと変えるには、もっともっと多くの人間たちに真実を知ってもらわないといけない。だが、その
「マドレーヌ」
ずっと考え込んでいると、ビスキュイがふと手に触れてきた。その温もりは、花蜜茶の味のように親しみ深く感じた。
「心配しないで。フランボワーズ様ならきっと大丈夫だよ」
ビスキュイはそう言った。だが、それはまるで自分自身に言い聞かせているようにも見えた。
「そうだよね」
わたしもまた言った。
「フランボワーズ様だもの」
自分に言い聞かせるように。その後、再び沈黙が生まれてしまった。この状況が歯痒く、苦しい。わたし達は一体どうしたらいいのだろう。答えの見えない問いに延々と向き合っていると、ビスキュイがふと口を開いた。
「フランボワーズ様のことも、クレモンティーヌ様のことも、心配はしていないんだけど……」
そう言って、彼はわたしの目を見つめてきた。
「実を言うと取り巻きの妖精たちのことは心配なんだ」
「心配?」
「うん。特にフランボワーズ様の熱狂的支持者だっていう妖精たちはね、保護されたグリヨットの姿にかなり怒ったんだ」
「それは当然だよ。だってひどい怪我だったし、シトロンも保護されたばかりだったし……」
思い出すと寒気がする。どれだけ痛かったことだろう。生きて保護できたことだけが救いと言ってもいい。
「うん、僕も当然だとは思う。でもね、彼らの怒り方はちょっと過激に思えたんだ。フランボワーズ様ならもう少し慎重に動くだろうけれど、彼らはどうだろうって」
ビスキュイは深刻な顔でそう言った。わたしはその様子を直接見てはいない。だが、思い出したことがある。初めて祈り場に行った際、あまり顔を見せない方がいいと助言されたことだ。きっと、ジャンジャンブルとは比にならないほど、人間や良血妖精のことを嫌っている野良妖精もいるのだろう。彼らの立場を知れば知るほど、そうだとしても不思議ではなかった。
「いずれにせよ、何か起こる前に旅立ちの日が来たらいいのだけれど」
わたしがそう言うと、ビスキュイはさらにわたしの顔を窺ってきた。
「マドレーヌ。君はどうしたい?」
「どうって?」
「このまま愛される良血妖精でいるのか、それとも……」
彼は言葉を濁した。しかし、言わんとしていることを理解し、わたしは「なるほどね」と、頷いた。頷いたものの、すぐに答えは出てこない。わたしはどうしたいのだろう。フィナンシエと暮らし続けることに不安も不満もない。だが、本当にいいのだろうか。グリヨットたちが自分達の世界へ旅立つ時に、見送るだけでいいのだろうか。悩むわたしの脳裏には、フランボワーズにしがみつきながら目にした夜景が浮かんでいた。あれに負けない美しい王国を、彼らは築こうとしている。
「わからない」
結局、わたしの答えはこうなった。
「まだわからない」
グリヨットたちと一緒にいると、心がほっとするのは確かだ。けれど、フィナンシエとアマンディーヌと一緒に暮らすこともまた幸せではある。それならば、どうしたらいいのだろう。これから、わたしはどうすればいい。はっきりとした答えの出せないわたしに、ビスキュイは優しい声で言った。
「それなら僕と一緒だ。僕もまだわからないんだ。どうしたいのか、どうしたらいいのか」
しかし、これでは時間が過ぎていくだけだ。時計の針は絶対に待ってくれない。いずれは決めなくては。彼らが新しい王国へ去ってしまうまでに。
「ねえ、マドレーヌ。提案なんだけど」
小声で彼は囁いてきた。
「ちょっとだけ、アマンディーヌ様たちの話し合いを覗いてみない?」
「え、どうして?」
急な誘いにわたしはぎょっとした。少し前ならば、こんな事は考えられなかった。フィナンシエたちが話し合いからわたし達を遠ざけているのは明らかなことだ。たとえ、はっきりと命じられていない事であっても、わたし達はその意図を汲んで従わないといけないというのが良血蝶々の美徳でもある。だが、わたし達には今更すぎる。それに、ただの好奇心に終わらない理由があるならば尚更のことだった。ビスキュイは声を潜めたまま答えた。
「これからの事を話しあうって言っていたよね。きっと、僕たちのことについても話し合うと思うんだ。どういう場所で過ごさせるかとか、どこまで自由を認めるつもりなのかとか。グリヨットたちとの付き合いについても、もしかしたら触れるかもしれない。その話を聞いてみたら、自分達の気持ちもはっきりするんじゃないかって思ったんだ」
そう言われてみれば、確かに気になった。こうして部屋に籠っている間にも、大事な決定が二人の間だけで下されるかもしれない。以前は何とも思わなかったその可能性に、わたしは焦燥感のようなものを覚えた。すぐさまビスキュイの手を握り、わたしは彼に頷いた。
「確かに聞いてみたいかも」
そして、さっそく生まれた緊張を抑えながら言った。
「行ってみよう」
こうして、わたし達の静かな活動は始まった。部屋で遊んでいなさいというのは、部屋から出るなということに等しい。使用人たちに見つかったならば、すぐに戻されてしまうだろう。けれど、幸いな事に部屋を出てしばらくは誰とも鉢合わせなかった。それは良かったのだが、同じようにフィナンシエとアマンディーヌもなかなか見つからなかった。恐らく話し合いならここだろうと思われる書斎や応接室、談話室といった場所に裏道から直行したのだが、何処にも見当たらない。
「何処で話しているんだろう」
困惑するビスキュイの横で、わたしは壁に手を突いた。声を探れば方向とだいたいの位置で場所は特定できるはずだ。だが、正確な声をこの手が感じ取るより先に、わたし達の耳にフィナンシエの「いい加減にしてください!」という大きな声が届いたのだ。場所は玄関らしい。いつも屋敷の誰かしらがいるから避けていた場所だった。すぐにわたし達は玄関を目指した。恐る恐る慎重に。そして、廊下の柱の影から二人一緒に覗いてみて、そのまま固まってしまった。
「この時間です。二人はとっくに寝ましたよ」
「では、起こして来てくださいますかな。はっきりさせたいのですよ、真実をね」
サヴァランだ。それに、連れがいる。真っ白な妖精。ヴァニーユだった。
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