4.厄介なお客様
サヴァランとヴァニーユ。その二人の姿が視界に入った途端、わたしは悲鳴をあげそうになって自ら口を塞いだ。ビスキュイがそっと肩を寄せてきてくれた。その温もりのお陰でどうにか卒倒せずに済んだ。しかし、安心など出来ない。ヴァニーユを連れたサヴァラン相手にフィナンシエとアマンディーヌは険しい顔で応対していた。どうやら穏便な話し合いではないらしい。
「御覧なさい」
サヴァランは低い声で言った。
「うちのヴァニーユの美しい白い肌が傷だらけだ。大した怪我でなくて良かったが、痕が残っていたら美しい容姿が台無しになっていた。何より、ヴァニーユが可哀想だ。そう思わんかね。聞けば、この傷は赤い翅の野良とマドレーヌ嬢のせいで出来たというじゃないか。お転婆なのもいかがなものかと思うが、野良妖精と共謀して他の良血妖精を傷つけたとなればもっての外だ。事と次第によっては、治療費をいただくか、危険な妖精を譲っていただくことになる」
「ならば治療費を払いましょう。本当にうちのマドレーヌが悪いのなら、ですけれど」
フィナンシエが敵意を剥き出しに言うと、サヴァランは目を細めた。
「そうですか。ならば、マドレーヌ嬢の落札額の倍をいただきましょう」
「なっ、何を──」
言葉を失うフィナンシエを相手に、サヴァランはすらすらと告げる。
「おや、払えないのですか? でしたら、マドレーヌ嬢を譲っていただきましょうか。彼女を売れば治療費の足しになりますからね」
「サヴァランさん、あなたって人は!」
アマンディーヌが咎めるように口を挟むも、サヴァランは軽く睨みつけてその口を封じてしまった。
「拒否するというのでしたら、法廷でお会いしましょう。それが嫌なら、ここでお譲りいただいてもいいのですよ」
困惑するフィナンシエとアマンディーヌの表情に、サヴァランは嗤う。そんな主人の横で、ヴァニーユは澄ました顔で立っていた。キツネに追い詰められたネズミのようにフィナンシエは焦っているようだったが、ふとヴァニーユの姿を見て、口を開いた。
「これは確認なのですが」
そう言って、フィナンシエはサヴァランへと視線を戻した。
「お宅の妖精は花ではなく花蟷螂だと聞きました。それは間違いありませんね? 何なら、協会に問い合わせても良いのですが」
すると、サヴァランは笑みを引っ込め、冷たい声で答えた。
「ああ、言っておりませんでしたかな。その通り、希少種の花蟷螂に違いませんよ」
「でしたら、話の印象がだいぶ変わりますね」
フィナンシエもまた冷たい声で言った。
「うちのマドレーヌは蝶の妖精、お宅のヴァニーユは花蟷螂の妖精。私の妖精学の知識が誤っていないのであれば、花蟷螂の妖精は蝶の妖精の天敵です。知性と理性を宿す妖精であっても、その種族間に生じる本能を甘く見ることは出来ません。サヴァランさん、お宅のヴァニーユは本当にうちのマドレーヌを保護しようとしたのでしょうか。ひょっとして、本能のままに食べてしまおうとしていたのでは?」
フィナンシエの言葉を遮るように、サヴァランは咳払いをして答えた。
「聞き捨てなりませんな。平気で主人の言いつけを破るそちらのマドレーヌと、人間に忠実で大人しいうちのヴァニーユ。どちらが問題ある妖精かなんて比較するまでもない」
「はたしてそうでしょうか」
アマンディーヌが言った。
「あなたを疑うものは私とフィナンシエだけではありません。法廷でお会いしましょうとおっしゃいましたが、その法廷で不利になるのはあなたかもしれませんよ」
「おやおや、アマンディーヌ嬢。ずいぶん強気なことをおっしゃいますなぁ」
サヴァランは低く笑いながら言った。目はちっとも笑っていない。それがひたすら怖かった。
「私としてはどちらでも構わないのですよ。法廷で決めても、今ここで決めても。しかし、その前に真実が分かればもっといい。だから、聞きたいのですよ。マドレーヌ嬢本人の言い分ってものをね」
攻撃的なその言葉に、わたしは震えていた。隠れるのをやめて、堂々と前へ出ることが出来たら少しはフィナンシエたちを助けることが出来るだろうか。しかし、わたしは怖かった。ヴァニーユがそこにいる。サヴァランもそこにいる。その前に正面から立ちはだかって堂々と口論する勇気が、どういうわけかなかなか湧いてこなかったのだ。グリヨットを助けるときは、どうにかなったのに。困惑しながら息を潜めていると、ヴァニーユの冷たい声が玄関ホールに響いた。
「──それに、起こす必要はないようですよ」
ヴァニーユの視線が、わたし達の隠れる柱の影へと向いた。異様な殺気にビスキュイともども震えあがってしまう。サヴァランにも、気づかれてしまったらしい。こうなると、前に出ないわけにはいかなかった。勇気を振り絞り、隠れることを止めると、サヴァランの鋭い眼光がわたしの顔を見つめてきた。フィナンシエが渋々ながらわたし達を手招いてきた。わたしはビスキュイと手を繋ぎ、真っすぐフィナンシエたちの元へと駆け寄ると、そのまま彼らの背後に隠れた。
サヴァランはその間ずっとわたしの姿を目で追っていた。視線が焼き付くように痛い。ヴァニーユも同じだ。彼らに見つめられているだけで、心がずたずたにされてしまいそうだった。フィナンシエがそっと振り返り、わたしに訊ねてきた。
「証言できるかい?」
その問いに、わたしの頭の中は真っ白になる。だが、どうにか頷くと、彼の手に支えられながら、サヴァランとヴァニーユの前へと出た。
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