2.不穏な忠告

 まず初めに理解したことは、我が主人の覚悟は本物だったということだ。今回の彼は違うと屋敷の者たちが期待した通り、フィナンシエは勇気を出すことが出来たらしい。その最中にわたし達の脱走が邪魔をしてしまったことは言うまでもない事だが、消えた妖精たち──つまりわたしとビスキュイの行方を按じているうちに、二人の距離は知らず知らずのうちに縮まったようだ。

 アマンディーヌの気持ちについては、長らくビスキュイにも謎だった。もちろん、彼がそういう心理に疎いということは、わたしもとっくに知っていたけれど、きっとアマンディーヌの妖精がわたしであったとしても、彼女の心を見通すのは難しいことだっただろう。どうやらアマンディーヌはこの関係にすっかり満足していたようだった。彼がやがて別の女性と結ばれるのならば、それもそれで仕方がない事だと。

 しかし、それでは満足できなかったのが我が主人だった。彼の真面目な告白が、あやふやだった未来に色と形を与え、アマンディーヌをその気にさせたのだ。知らぬ間に、彼は内気な赤狐ではなくなっていた。見た目はちっとも変っていないのに、使用人たちがかねがね望んでいた凛々しさを、わたしは初めて彼から感じた。

「いいかい、マドレーヌ。さっきも言ったけれど、今夜は今後の話をアマンディーヌと語り合うことになる。君とビスキュイにとっても大事な話ではあるが、色々と決まるまでは退屈するだろう。今夜は君の部屋にビスキュイも泊めるつもりだから、眠れない時は二人で静かに遊んでいなさい。いいかい、静かに、そしてちゃんと部屋の中で遊ぶんだよ」

「──はい」

 念入りに指示されて、わたしもまた緊張しながら頷いた。勿論、そうしたいところだ。信じて貰えないかもしれないが、わたしだってこれ以上、二人の邪魔になるような行動はしたくない。けれど、またグリヨットたちに何かが起こったとして、それを誰かが伝えに来たとして、はたしてわたしはじっとしていられるだろうか。どうか何も起こりませんように、と、わたしは密かに願った。そして、着替えのためにビスキュイ共々キュイエールたちに託されようかというその時、急な来客がフィナンシエの屋敷を訪れたのだ。

 執事が応対しているのを、わたしはキュイエールの身体越しに覗いてみた。そして、あの茜色の制服が見えて、ぎょっとしてしまった。だが、すぐにその顔を見て少しだけ恐怖は軽減した。心優しきあの青年フロマージュだ。

「夜分遅くに失礼いたします。フィナンシエさん、それにアマンディーヌさんもご一緒ですね。急な話で申し訳ないのですが、あなた達の蝶は間違いなくおりますか?」

 彼の言葉にフィナンシエは少しだけ険しい顔をした。だが、すぐに頷きキュイエールに目配せした。ビスキュイがおずおずとアマンディーヌを見つめたが、アマンディーヌもまたフィナンシエと同じような表情で頷く。それを見て、わたし達はキュイエールに背中を押されながら、フロマージュの前へと歩みだした。フロマージュはわたし達を見ると、屈んで視線を合わせてきた。わたし達を見ると笑みを浮かべる。だが、無理をして作った笑みだと分かり、わたしは少し不安になった。

「良かった、二人とも元気そうですね」

 彼がほっとしたように言うと、アマンディーヌが問いかけた。

「何かございまして?」

 すると、フロマージュは慌てて姿勢を正すと、フィナンシエとアマンディーヌに向かって軽く頭を下げつつ教えてくれた。

「通報があったのです。どうやら野良の蝶々たちが徒党を組んで怪しい動きを見せているのだと。それだけでも不穏な話ですが、その通報主の方の良血妖精がその野良の一味に暴力を振るわれたと証言しておりまして、登録済みの良血妖精を飼われているお方のお家に注意喚起をして回っているのです」

「暴力? 野良の蝶々が?」

 物騒な話にフィナンシエの表情が引き攣る。フロマージュもまた困惑しつつ、頷いた。

「はい、これまでにない話で私も困惑しているのですが、どうもその野良の一味を率いているのが、以前、妖精管理局の一施設を木槍で襲撃した赤い翅の蝶であるという目撃情報もありまして……となると、やはり警戒するに越したことはないでしょう」

「赤い翅……」

 アマンディーヌが息を飲み、フィナンシエと顔を見合わせた。わたしはビスキュイと手を繋ぎ、恐怖と怒りに震えていた。赤い翅とは、フランボワーズの事だろう。では、傷つけられたという良血妖精は、一体誰なのか。

「通報はどなたが?」

 アマンディーヌの問いに、フロマージュはすんなりと答えてくれた。

「サヴァランさんです。通報を受けたのは他の職員でしたので、私は又聞きしただけなのですが、暴力を振るわれた良血妖精もサヴァランさんの飼われている子だとか」

 やっぱりそうだ。良血妖精とはヴァニーユの事なのだろう。しかし、これではまるでフランボワーズたちが凶暴な妖精のように聞こえるではないか。実際、フロマージュたちはそう思っているのかもしれない。サヴァランの通報を聞いて、彼らがただの暴れ妖精だと思っているのかもしれない。そう思うと、黙っているのが辛かった。

「傷つけられた良血妖精がいる以上、こちらとしてもそれ相応の対処をしなければなりません。しかし、対処にも時間がかかるでしょう。フィナンシエさん、それにアマンディーヌさん、くれぐれも戸締りは厳重になさってください。安全が確認されるまでは、チョーカーに頼らずに、目に届く範囲で妖精たちを遊ばせるようにしてください」

 フロマージュの悪意のない言葉に、わたしもビスキュイも押し黙った。けれど、このまま黙っていていいのだろうか。

「それでは、私はこれで」

 フロマージュがそう言って立ち去ろうとした時、わたしは思わず声をかけてしまった。

「あの!」

 歩みを止める彼の目を身上げ、わたしは思い切って伝えた。

「サヴァラン様の飼われている良血妖精の品種を、フロマージュさんはご存知ですか?」

 すると、フロマージュは戸惑いつつ、再びわたしに視線を合わせてくれた。

「そこまでは私もまだ聞いていないよ。気になるのなら、後日──」

「わたしは知っています。その妖精は花蟷螂のはずです。何故なら、その花蟷螂にわたしは襲われたんです。襲われたところを、その赤い蝶が助けてくれたんです」

 フロマージュは茫然とわたしを見つめていた。そんな彼に、わたしは必死に訴えた。

「彼女は凶暴な蝶なんかじゃありません。本当なんです!」

 必死に訴えるも、フロマージュは困惑したままだった。いきなりこんな事を言われて、どう捉えるべきか迷っているようだ。そのまま膠着してしまったわたし達のもとへ、フィナンシエが近づいてきた。

「フロマージュさん」

 落ち着いた声で、彼は言った。

「マドレーヌの話は本当です。サヴァランさんの妖精こそ、私の妖精を勝手に奪おうとしたのです。そんな時に助けてくれたのが、その赤い蝶でした。彼女はマドレーヌの恩人です。悪い妖精ではないはずだ」

 彼の言葉に、わたしは早くも安堵してしまった。フィナンシエなら、わたしの愛する主人ならば分かってくれると信じていた。その信じた心が報われることは、こんなに幸せな事なのかと知る事が出来たのだ。アマンディーヌもまたフィナンシエに助け舟を出すように口を開いた。

「私もフィナンシエと同じ意見です。彼女はマドレーヌとビスキュイの味方に思えました。そんな彼女が、どうして理由もなく誰かを傷つけたりするのかしら」

 二人の言葉にフロマージュはたじろいだ。恐らく、彼だってフランボワーズの事をよく知っているわけではないし、頑なに疑っているというわけでもないのだろう。彼は困惑しながらも言った。

「貴重な情報、ありがとうございます」

 そして、静かに頭を下げると、申し訳なさそうに言ったのだ。

「私も一介の職員でしかありません。事情がどうだったのか、どんな背景があったのか、それを知って判断するのは上の立場にいる者です。ですが、お二人の話は必ず伝えておきます。私に出来ることはそこまでです」

 頭を下げるフロマージュに対し、フィナンシエは頷いた。

「ああ、頼むよ」

 フロマージュは来た時と同じように敬礼すると、そのまま帰っていった。この事がどう転ぶのか、わたしには分からない。しかし、ヴェルジョワーズにも伝えられたし、フロマージュにも伝えられた。出来れば良い未来を期待したいところだ。それでも、わたしの不安は、その後もなかなか消えることがなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る