7.第二の事件

 ルリジューズに言われたことが全く気にならなかったわけではない。だが、サヴァランの話を聞いてしまうとじっとしている事なんて出来なかった。せめて、人間たちの様子を彼らの耳に入れておかなければ。通報が入っていることも、警戒されていることも、知らないよりも知っている方が絶対にいいはずだ。その空気だけでも分かってもらえたら違うはず。強い思いに背中を押されてしまうと、あれほど外に出ることを躊躇っていたことが嘘のように、屋敷の外へと抜け出せた。

 何しろ、サヴァランの忠告があったばかりのことだ。チョーカーを貰っているとはいえども、きっとこの度の外出もあまり良く思われないだろう。けれど、そうだとしても、行かずにはいられなかった。屋敷から祈り場までの道のりはそんなに近いわけではない。けれど、初めて自分たちの足で目指した時と比べてみれば、だいぶ近く感じるようになった。迷う事もあまりなく、迷ったとしても壁に手を突いてみれば音が目印となる。それらを味方につければ、一人きりであっても問題なく祈り場にたどり着くことが出来た。

 だが、外門を潜ってすぐに、わたしはその異様な空気に気づいた。祈り場の前に妖精たちが集まっている。肉食妖精を捜しに向かうのだろうかと思ったのだが、それにしては空気が異様に重たかった。その中にグリヨットの姿も見つけ、わたしは足早に駆け寄っていった。

「皆──」

 声をかけたその瞬間、集まっていた妖精たちが驚いたように振り返り、わたしの姿をまじまじと見つめてきた。そのざわつきを耳にするなり、真っ先に口を開いたのは、わたしの姿が見えていないはずのルリジューズだった。

「マドレーヌ? どうして!」

 わたしの声と周囲のざわめきから察したのだろう。咎めるようなその口調に怯みそうになった。しかし、わたしはその威圧を振り払って皆に伝えた。

「皆に伝えたいことがあって──」

 しかし、場の空気の重さはあまりに気になった。

「一体……何があったの?」

 抗えずに訊ねると、その途端、傍にいたグリヨットが泣き崩れてしまった。すぐに理解できた。異常事態だ。グリヨットの声に気づいたヴァニーユが建物の中から出てきて、すぐさま駆け寄ってきた。その小さな身体を抱き起して労わるように抱きしめる。ルリジューズやノワゼットたちは口を閉ざしたままだった。そして、ようやくわたしの問いに答えたのは、ヴァニーユと共に建物から外に出てきたクレモンティーヌだった。

「ババが亡くなった報せが入ったのです」

 その思わぬ答えに、わたしは戦慄を覚えた。絶句するわたしに、クレモンティーヌの傍にいたマロンが補足してきた。

「アンゼリカの悲劇が再び起こったんです。あの時と同じように、しかし今度は鍛え抜かれた逞しい身体を持つババが食べられてしまった。おまけに、シトロンも行方不明になってしまって……」

「シトロンまで!」

 とんでもない事態だ。状況は確実に悪くなっている。その上に、サヴァランの話をするのは心苦しいものがあった。だが、しなければ。どう切り出すか迷っていると、クレモンティーヌがわたしをじっと見つめ、促してきた。

「あなたも伝えたい事があるのでしたね?」

 その配慮に縋る形で、わたしは勇気を出して伝えた。

「情報を手に入れたんです。肉食妖精の捜索が、周囲の人間たちにあまり良く思われていないらしく、妖精管理局に通報が入っていると。お気を付けください。もしもあなた達を襲っている肉食妖精が人間の愛玩妖精だったとしたら、妖精管理局も黙ってはいられないと言っていました」

 その話に、案の定、この場の空気は一気に重たくなってしまった。クレモンティーヌも険しい表情となったが、深刻に受け止めた様子で、わたしに向かってしっかりと頷いた。

「ありがとう。よくぞ伝えてくれました。皆さん、お聞きの通りです。肉食妖精は恐ろしくともこれほど捜してもねぐらさえも見つからない。それはつまり、人に飼われている可能性が高いという事。心苦しいことではありますが、我々はいずれここを去る身です。その前に危険を招くわけには参りません」

 彼女の言葉に沈黙が生まれる。仕方ないと頷くも者もいれば、納得がいかない様子で拳を握る者もいた。その中で、グリヨットは顔をあげ、クレモンティーヌに縋りつくように訴えた。

「でも、シトロンは」

 嗚咽を漏らしながら、彼女は言った。

「シトロンはまだ何処かで生きているかも。助けを待っているかも」

 しかし、その必死の訴えに妖精たちは誰もが沈黙するのみだった。助けたいのは山々なのだろう。だけど、何処にいるのかも分からない。探しに行った誰かが新しい犠牲者になってしまうかもしれない。クレモンティーヌが忠告せずとも、初めから誰もが躊躇う状況だっただろう。嘆いているグリヨット自身だって。

 けれど、それでも、たった一人だけこの場にグリヨットの嘆きに寄り添う者がいた。木槍を手に真っすぐ顔をあげ、空を見上げる彼女の名を、その場にいたジャンジャンブルが真っ先に呼んだ。

「フランボワーズ様」

 咎めるようなその声に、フランボワーズは振り返りもしない。

「私が探してくる」

「なりません!」

 ジャンジャンブルはとっさに口を開いた。

「どうかお止めください。今日は一段と人間の数も多いとの報告もありました。こういう日に飛び回るのは危険です。どうか……どうか、お母さまの二の舞だけは──」

 だが、若き焔のような彼女の勢いを止めることなど誰にも出来ない。

「シトロンがもしも人間に捕まっているとしたら、あまり猶予はない。助けにいかないと」

 フランボワーズは空を見上げたまま言った。

「ここには姉さんがいる。頭を使う姉さんの分まで、私は身体を動かさないと。何のためにこの槍を引き継いだ。一角獣は何のために王国に居た。ジャンジャンブル、姉さん、皆を頼みます」

 そう言って、赤い翅を広げると、あっという間に飛び立ってしまった。

「フランボワーズ様!」

 ジャンジャンブルは必死にその名を呼んだが、引き止めることなど出来なかった。その背を見つめて憔悴するジャンジャンブルに対し、クレモンティーヌは声をかける。

「あの子の手綱を引ける者などおりません。この私でさえも」

「クレモンティーヌ様、しかし……」

 嘆く彼に、クレモンティーヌは飽く迄も冷静に命じた。

「ジャンジャンブル。あなたにはあなたの役目がございます。新たな怪我人に備え、どうか準備をなさってください」

 穏やかだが異論を許さぬその言葉に、ジャンジャンブルはただただ頷いた。

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