5.放し飼いだとしたら

 祈りが終わり、玄関ホールへと戻ってみれば、そこにはグリヨットがいた。ヴァニーユと話をしていたようで、わたし達の顔を見るなり申し訳なさそうに肩を竦めていた。今日の彼女の服は肩から後ろが良く見える。お陰でその小さな翅もまた同じように悲しそうに下がっていることがよく分かった。

「あ、あの、マドレーヌ、ビスキュイ」

 グリヨットは言った。

「ごめん。本当にごめんね。あたし、一番大事な事を伝え忘れちゃたみたいで」

 必死に謝ってくる彼女に近寄り、わたしはその手をそっと握った。

「気にしないで。仕方ないもの」

 わたしがそう言うと、ビスキュイもまた頷いた。

「そうだよ。僕たちは大丈夫だから、ね」

 その言葉に元気づけられたのか、グリヨットは顔をあげ、少しだけ笑みを取り戻した。だが、すぐに真面目な顔になってわたし達を見上げながら言った。

「あのね、二人とも。あたし、今、フランボワーズ様たちと捜索してきたんだよ。アンゼリカを食べてしまった恐ろしい肉食妖精のこと」

「グリヨットが?」

 わたしは思わず問い返してしまった。武器を操り勇ましく戦うフランボワーズはまだしも、羽化しているとはいえ背丈も小柄で少女っ気の抜けないグリヨットには荷が重いのではないか。そんなわたしの意を悟ったのだろう。ヴァニーユがそっと教えてくれた。

「こちらでは珍しいことではありません。羽化してしまえば誰もが大人。その行動の自由は誰も咎められない。とはいえ、わたくしも心配ではありますけれどね」

 ヴァニーユの言葉にグリヨットは不満そうに唇を尖らせた。

「平気だよ。あたし、こういうのは慣れてるもん」

 そして、グリヨットはうんと背伸びをしながら訴えた。

「あたしはね、仇を討ちたいんだ。どうしても仕返しがしたい。だって許せないもん。アンゼリカがどうしてあんな目に遭わなきゃならないの。でもね、フランボワーズ様もクレモンティーヌ様は言うんだ。必ずしも肉食妖精を倒すわけじゃないんだって。危険が去るのならばそれでいいって」

「危険が去る?」

 ビスキュイが問い返すと、グリヨットは腕を組みながら頷いた。

「うん。あのね、ジャンジャンブル先生によるとね、この都に野良の肉食妖精が長く居ついたことはないんだって。蝶か花しかいないって。所有者のいない肉食妖精はね、人に害があろうとなかろうとやっぱりちょっと物騒だから、通報があるとすぐに収容されちゃうんだって。だからね、アンゼリカを襲ったのも生粋の野良ではなく、誰かが飼っていた妖精のはずなんだって。捨てられたのか、逃げ出したのか。どっちにしてもね、ぐるぐる巻きにして収容所の前に放置しておけば後は人間たちがどうにかしてくれる。それがあたし達の仕返しなの」

「なるほど、収容所にですか」

 ヴァニーユは目を細めた。

「それはいい案ですね。けれど、肝心の捕食者に関する情報は見つかったのですか?」

 彼女の問いにグリヨットは困ったように項垂れた。

「それがね、まだはっきり分からないの。アンゼリカが見つかった付近でも、証拠のようなものが見つからない。そもそも、あの場所に近づきたがる妖精なんていないから、ろくに調査できていないんだ。クレモンティーヌ様やジャンジャンブル先生が数少ない手がかりからどうにか特定しようとしているみたいなんだけど」

「蜘蛛か、蟷螂か、あるいはその他の妖精か。せめてそれがはっきりとすれば、対策も万全に出来るはず……なのですけれどね」

 ヴァニーユもまた肩を落としながら言った。

「アンゼリカ様はこの建物の中から攫われてしまったのです。つまり、捕食者はいつでもまたこの場所に侵入することが出来るという事。あるいは、この周辺の何処かに」

「うん、そのはずなんだけど」

 グリヨットは疲れ切った様子で椅子に座り、膝を抱えた。

「全然見つからない。皆で手分けして探しているんだけど、それらしき妖精は見つからなんだ。隠れ家になるような場所もないし、まるで幽霊のようだよ」

「幽霊、ですか」

 ヴァニーユはそう呟くと、しばし考え込んだ。しばしの沈黙が訪れる中、わたしはふと自分のチョーカーに触れ、はっとした。

「ねえ、グリヨット」

 わたしが思い出したのは、フィナンシエの言葉だった。チョーカーをくれた時に彼が言ったこと。妖精を放し飼いにすることは法律違反ではないらしい。つまりそれは肉食妖精も同じなのではないかと。

「もしかしてだけど、その捕食者もわたしやビスキュイのように人間の家で暮らしているって可能性はない?」

 わたしの言葉にビスキュイもはっとして、呟いた。

「放し飼いってやつ」

 わたし達の言葉にグリヨットは見る見るうちに青ざめた。捨てられたのならばまだしも、きちんと所有者がいる場合はどうなるのだろう。被害に遭うのが野良妖精だけならば、人間たちはどれだけまともに取り合ってくれるものか。グリヨットは頭を抱え、嘆くように言った。

「ああ、そうかもしれない。でも、どうしよう。そうだとしたら、収容所に送ったところで意味がない……」

 放し飼いが違法でない限り、飼い主は再び外に出すだろう。穏便な方法では何も解決しないかもしれない。意味がない。──となれば。

「命を奪うしかありませんね」

 やけに冷めた声でそう言ったのは、ヴァニーユだった。その赤い目は、いつものような穏やかさに欠ける。

「で、でも」

 グリヨットは震えてしまった。あれほど仇を取りたいと言っていたのに、いざそうするしかないという可能性が見えてくると、彼女は怯えだしてしまった。そんなグリヨットをヴァニーユは叱った。

「怖気づいてはいられませんよ。生き延びるにはそうするしかありません。あなただってアンゼリカ様の仇を討ちたいのでしょう? 許せないのでしょう?」

「でも、ヴァニーユ。人間に飼われた良血さんだったら、いくら肉食妖精でも手を出したらマズいよ。人間たちまで敵に回すことになっちゃう」

 グリヨットが怯えるのも無理はない。わたし達にとってみれば恐ろしい怪物でも、飼い主にとってみれば可愛い愛玩妖精なのだ。それが野良妖精に殺されたとなれば、その人間はきっと収容所に通報して、大規模な犯人捜しをさせるだろう。人間を本気で敵に回せばどうなるだろう。わたし達の王国はそれで滅んでしまったのだ。アンゼリカがサヴァランの気配に怯えていたようなことが、野良妖精の世界全体に広がってしまうことになる。

「どうしよう……どうすればいいの……」

 グリヨットが混乱する中、ヴァニーユは落ち着いた声で彼女に言った。

「いずれにせよ、クレモンティーヌ様とフランボワーズ様に従うまでですよ」

 諭すようなその優しい声に、グリヨットはようやく落ち着いて頷いた。

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