7.祈り場への駆け込み

 散々迷いながらも祈り場へとどうにかたどり着いてみれば、そこには既にビスキュイがいた。お互い無事だったことを悦んだのも束の間、祈り場に流れる沈黙にぎょっとしてしまった。どうやら、事のあらましはビスキュイがすでに伝えているようなのだが、その場にいたルリジューズたちを含めた妖精たちの反応が芳しくなかったのだ。誰も彼もがヴァニーユを疑えずにいる。確かに、信じられない話ではある。だって、ヴァニーユはずっとここに暮らしていたはずなのだ。抜け出せるタイミングがなかったわけではないのかもしれないが、花の妖精であったはずの彼女が、どうしてわたし達の仲間を食べてしまえるのだろうかと。

 野良妖精たちの絆は強い。それは良い事のようにも思えるが、その反面、仲間を疑うということを忘れさせるものなのかもしれない。ヴァニーユは彼らにとってすでに仲間であった。彼女は密偵としての役目を求められるままにこなしており、その情報が何度も彼らの危機を救ったのだと言うのだからなおさらだ。となれば、怪しいのはむしろ、こんな事を突然言い出したわたしとビスキュイの方だと思う者がいてもおかしくはない。ずっと一緒に暮らしている仲間の妖精と、今も人間に飼い慣らされている良血妖精。どちらが胡散臭いかなんて考えるまでもない。当然ながら、その場にたまたま居合わせた名も知らぬ野良妖精たちは、口々にわたしとビスキュイを疑った。

 もちろん、見知らぬものにだって優しい妖精はいる。しかし、彼らもまた見間違いではないのかと信じてくれる気配はなかった。ノワゼットもそうだったし、ジャンジャンブルもそうだった。しかし、その中でルリジューズだけは落ち着いた様子でわたし達に問いかけてきた。

「何か証拠になる情報はありますか?」

 促されるように言われ、わたし達は必死に考えた。そして、ふと思い出したことを口にした。

「逃がしてしまった……」

 サヴァランはオスと言っていたが、つまり蝶の男性のことだろう。今の時点でいなくなっている人物は一人しかいない。

「たぶんシトロンの事だと思います。逃がしてしまったと言っていました。シトロンが無事に見つかれば、彼も目撃しているかもしれない」

 しかし、望みは薄い。放っておいても死んでしまうだろうとも言われていたからだ。生きてここへ戻ってくることは、あまり期待できないかもしれない。ルリジューズがため息を吐く。

「証拠としては薄いかもしれません。ですが──」

 ルリジューズが何か言いかけたその時、祈り場にいた野良妖精たちは口々に言った。

「ヴァニーユが肉食妖精のはずないよ」

「そうよ、彼女はとっても優しい妖精よ。蜜を出せない分、頑張らないと、っていつも皆のために奔走していたもの」

「他の花の妖精たちにだって寄り添っていた。俺たち蝶の言葉を優しく彼らに伝えてくれるんだ。そんな彼女がまさか……」

 信頼は厚い。とても崩せそうにない。ルリジューズも聞いてくれようとしていたが、やはり信じ切れていない様子だった。しかし、そんな中でも、同じ場にいたクレモンティーヌはさらに冷静だった。

「もう少し、詳しくお聞かせくださいますか」

 皆の騒ぎを鎮めるかのように、良く通る声でわたし達にそう言ったのだ。わたしとビスキュイは共に頷くと、劇場の地下で目にした出来事を、なるべく丁寧に言葉にした。サヴァランを追いかけた時から、格子扉の向こうで話していたその声と、名前を聞くまでのことを。クレモンティーヌは静かに耳を傾けてくれた。そんな彼女の集中を邪魔しないように気遣っているのか、あれだけ騒いでいた野良妖精たちも一斉に沈黙し、固唾を飲んでわたし達を見守っていた。そして、すべて話し終えると、クレモンティーヌは静かに頷いた。

「状況は分かりました。サヴァランという人間がアンゼリカにどんな仕打ちをしたのかについては、アンゼリカ自身から聞いたことがあります。確かに、彼が送り込んだ肉食妖精であるという話には信憑性もありますね。しかし、ヴァニーユですか。だとしたら、私たちにとっては正直、信じがたいことでもあります」

「そうですよ。そもそもヴァニーユは──」

 ジャンジャンブルが口を出したが、クレモンティーヌはそれを阻むように声をかけた。

「先生。博識なあなたなら心当たりもあるのでは。ヴァニーユが本当に肉食妖精だとしたら、その正体についていくつかの可能性があるはずです」

 クレモンティーヌに促されると、ジャンジャンブルは狼狽えつつも従った。

「ええ……花の妖精の中にも肉食妖精はおります。たとえば、食虫花と総称されるいくらかの妖精たちは、美しい姿や美味しそうな蜜を餌にして我々の祖先を騙して誘拐し、食べてしまったと言われています。しかし、ヴァニーユにはそういった特徴はございません。彼女はまさしく白花の一族の姿。蜜を出せない事を除けば特に不審な点など──」

 そう言いかけて、ジャンジャンブルは口籠った。何かを思い出したらしい。クレモンティーヌが視線で促すと、彼は咳払いをした。

「不審な点などございません」

 そう言い切ると、彼は大きくため息を吐いて、頭を抱えた。

「しかし、それはヴァニーユが間違いなく花であることを前提とした場合に限ります。そうではなく、彼女がもしも花に擬態していたのだとしたら……事情は変わります」

「花蟷螂、ですね」

 クレモンティーヌが呟くと、ざわめきが生まれた。ジャンジャンブルはその問いかけに顔をあげ、躊躇いがちに頷いた。花蟷螂。正直言って、先祖たちを襲った捕食者たちについて詳しくなんてない。しかし、蟷螂という名がついている事かして、そういう事なのだろう。

「勿論、この良血さんたちの話が本当なら、という前提ではありますがね」

 ジャンジャンブルの言葉に、クレモンティーヌは冷静に同意した。

「ええ、この証言が嘘か本当かを見抜く術はさすがに私も心得ておりません。けれど、目撃情報というものはいつだって手がかりとなります。ヴァニーユは今どこにおります? 彼女に直接──」

 クレモンティーヌが言いかけたその時、祈り場の扉が勢いよく開いた。その音に驚かされたが、目に飛び込んできた光景にさらに驚かされてしまった。そこにはこの場にいなかった二人の妖精が立っていた。一人はフランボワーズ。そしてもう一人は、傷だらけで今にも死にそうなシトロンだった。

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