2.迷い妖精の保護

 わたしがようやく帰宅出来たのは、祈り場へやって来てから数時間は経った頃だった。長引く会議に終わりは見えない様子だったが、人間たちを見張っていた他の野良妖精たちが安全を伝えに来てくれて、その流れでグリヨットに送ってもらえることになったのだ。

 グリヨットは無邪気に案内してくれた。前は素通りに近かった裏通りの暗闇を堂々と歩きながら、わたしには全く同じように見える一つ一つの通りについて説明してくる。全ての人間が野良妖精に冷たいわけではないということは、わたしなんかよりもグリヨットたちの方が身に沁みて分かっている。そう言う事を共に歩いている少ない時間のうちにたくさん聞かされた。グリヨットが着ている服もそうだし、蜜飴を恵んで貰える時もあるという。さらに祈り場を含めた拠点の多くは野良妖精たちを慈しみ、愛してくれた人々が譲ってくれたものだ。

 だが、その譲渡は太陽の国の法に則ったものではない。この国の決まりに、妖精が人間の資産を受け継げるようなものなんてないのだ。その結果、拠点はある日突然奪われることもあり、今回はフランボワーズの収容所襲撃にまで繋がってしまったわけだが、そんな状況にあってもグリヨットは希望を失っていないようだった。

「いつかあたしもご先祖たちのように暮らせる日が来る。だから、その時までは明るく素直に懸命に。それがあたしのモットーなんだ」

「そっか。グリヨットは強い子なんだね」

 無邪気さが愛らしいけれど、と思いながらくすりと笑うと、当のグリヨットは胸を張りつつも、すぐにこちらを振り返ってきた。

「でも、強いのはマドレーヌも一緒。お相子様ってところかな」

「わたしが……強い?」

「うん、だって、今回はマドレーヌの勇気のお陰であたし達みんなが助かったんだもの。人間たちの情報をいち早く伝えてくれる良血妖精なんて初めてだった。でもね、あたし、分かっているの。皆、意地悪がしたくて伝えてくれないわけじゃない。中にはそういう人もいるかもしれないけれどね、多くは怖いんだと思う。会って話せば、あたし達にだって檻の中から笑顔を向けてくれる良血さんたちなんて珍しくないもん。だからさ、檻を抜け出してちゃんと伝えに来てくれたマドレーヌはすごく強い妖精なんだよ」

 グリヨットは眩い笑みを浮かべてそう言った。暗闇の中でも彼女の無邪気さは輝いて見える。それこそ、太陽のように。彼女の言葉を受けて思い出すのは、クレモンティーヌの短い言葉と頭で感じたその手の温もりだった。わたしの勇気が、皆の役に立った。それは、間違いなく、良血でも野良でもなくただひとりの妖精として誇らしい事だった。

「あ、そろそろ大通りだ。こっちだよ!」

 グリヨットが声を弾ませて前方を指さした。その先はひと際明るくなっている。グリヨットのお陰で無駄に歩くこともなく帰る事が出来そうだ。ほっとしている中で、グリヨットは軽く駆けだした。

「ほら、こっちを曲がれば──」

 そう言いながら駆けていく彼女をわたしは追いかけた。

 だがその曲がり角──出会いがしらでグリヨットは通行人にぶつかってしまった。小さな悲鳴をあげてグリヨットは地面に転がってしまう。弾みで着ていた一枚布の服がはだけ、背中の翅が露わになる。それを見て、そして、グリヨットがぶつかった相手を見て、わたしはとっさに前へと飛び出していった。グリヨットのぶつかった相手。それは、人間だった。それも、ただの人間ではない。見た目はフィナンシエのように優しそうな青年だが、身につけている制服がまずかった。茜色の服に太陽の国の紋章。わたしはその制服の意味を、すでに知っていた。

「悪かったね、お嬢ちゃん。怪我は──」

 そう言いながら彼はグリヨットを見つめた。すぐにわたしが抱き寄せて、その背中を隠そうとしたが、タイミングが少し遅かったようだ。彼はわたしとグリヨットとを見比べて、目を丸くした。

「おや、君たちは妖精だね。どうしてこんな場所に?」

 次第にグリヨットの身体が震えだす。無理もない。わたしは彼女を引き寄せた。対する制服の青年は、グリヨットが怯えていることに気づくと声を和らげた。

「怪我はなかったかな? 大通りに飛び出すのは危険だよ。ご主人さまはどこだい? はぐれてしまったのかな?」

「あ……あ……」

 グリヨットはすっかり震えてしまっていた。そんな彼女を必死に庇いながら、わたしは懸命に言い訳を考えていた。どうにかここで辻褄のあうストーリーを作らなくては。その場限りでもいいから、二人一緒に脱出する術を考えなくては。考えに考えた挙句、わたしは勢いで口を開いた。

「そうなんです。わたし達、迷子なんです!」

 必死になりすぎたのが、青年は少し驚いたようにわたしを見つめてきた。だが、幸いにも彼は納得したように頷いてくれた。

「そっか。ではちゃんとお家があるんだね?」

「はい」

「これはただの確認なんだが、登録名はあるかな? 見たところ、君は良血蝶々のようだけれど」

 優しく問いかけようと彼は努めている。しかし、どんなに優しい口調であっても、緊張感までは消えなかった。わたしは息を飲みながら、ゆっくりと答えた。

「マドレーヌ。主人はフィナンシエです」

「……マドレーヌ」

 そう言うと、彼は懐から手帖を取り出した。そして、頁を捲ると小さく唸り、そしてわたしに向かって告げた。

「確かに届けが出ているね。……で、そっちの子は?」

「この子もなんです!」

 わたしは強く主張した。グリヨットの届けなんて出ているわけがない。青年もまた不思議そうに手帖を再び確認したが、首を傾げるばかりだ。当たり前だ。グリヨットはフィナンシエの妖精なんかではないのだから。けれど、わたしは思いつくままに嘘を固めた。

「お分かりの通り、この子は野良出身です。なので、血統登録などはされていません。でも、大切な家族なんです。妹のようなもので、だから一緒に帰りたいんです」

「うーん」

 青年は手帖をしまうと、顎に手を当ててしばらく考えだした。そして、一つ納得したように頷くと、今一度わたし達を見つめ、手を差し伸べてきた。

「事情は分かった。二人とも私と一緒に馬車に乗りなさい。ああ、申し遅れたね、私の名はフロマージュ。一応言っておくが、怪しい妖精攫いなんかじゃないよ。妖精管理局の職員でね、君たち迷子の妖精たちの味方だよ。だから、どうか怖がらないで。安心なさい」

 そう言われても、グリヨットが怖がるのも無理はない。妖精管理局の職員にも色々といる。良血妖精の血統管理をする部署もあれば、妖精生産業者を取り締まることもある。だが、わたし達、妖精にとって最も身近で最も恐ろしいのが、妖精収容所なのだ。収容所の職員の制服は必ず茜色だという。このフロマージュもまた、優しそうに見えて野良妖精狩りのためにここに来ていた人物に間違いないのだ。

 だが、フロマージュの言う、迷子の妖精の味方というのも嘘であるわけではない。彼らの仕事の一つが、誘拐されたり脱走したりした妖精たちの保護と主人への返還なのだ。時には悪質な誘拐犯から良血妖精を武力で取り戻し、救い出すことだってあるらしい。彼らのお陰で救われ、家に帰る事が出来た妖精も多くいるのは事実だ。

 けれど、そんな事実があったとしても、野良妖精であるグリヨットにとっては怖い以外の感情など持てないだろう。共に馬車に乗せられてからずっと、彼女はわたしにしがみついたままだった。そんなグリヨットを同じくらいの力でぎゅっと掴みながら、わたしはフロマージュに向き合い続けた。

 フィナンシエの屋敷に着くまでの間に分かったことはいくつかあった。彼は嘘つきなんかではない。職務を全うするただの善良な人である。そして、さらにはそれだけでなく、彼も彼なりに妖精好きの人間であることだ。

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