3.生粋の野良妖精

 フロマージュを信じた心は報われた。馬車がたどり着いたのは間違いなくフィナンシエの屋敷で、わたしとグリヨットは希望通り二人一緒に送り届けられた。

 妖精管理局の馬車は、その色や紋章からひと目で分かる。フロマージュが着ているような赤色に金の太陽の紋章、馬の毛色も伝統的に黒で統一されている。それが何に因んでいるかは分からないが、ともかくとして、わたしにはこの事実を知って以来、時たま目にするこの馬車に乗せられている妖精たちの姿を目にするのを避けてしまうようになっていた。

 おそらく、わたしと同じような妖精はいっぱいいるだろう。わたしやグリヨットもまた、たまたまこの馬車を見かけた妖精たちに憐れむような眼差しを向けられていたに違いない。だとしても、わたし達は無事にフィナンシエの屋敷にたどり着いた。もしかしたら、これまで見てきた妖精たちも同じように家に帰れた者が多かったのかもしれないと思うと、少しは気が楽になる。

 さて、馬車が目立つということは、フィナンシエの屋敷に居た者たちにとっても誰が来たのかすぐに分かるということだ。扉が開けられる前からすでに迎えは来ていた。いつも来客を出迎えるドア係だけではない。執事や家政長や暇を持て余していた者達も野次馬となっていた。その中には世話係のキュイエールもいて、わたしの顔を見て泣き出しそうな顔を浮かべていた。

 しかし、彼らの視線はすぐにグリヨットへと向けられた。不思議そうなその視線に、わたしは危機感を覚えた。だが、幸いな事に、当のわたしが当たり前のようにグリヨットの手を引いているのを見て、彼らは敢えて何も言わなかった。

「フィナンシエさんはご在宅でしょうか」

 フロマージュが声をかけると、執事が速やかに中へと案内した。わたしは周囲の槍のような視線を一身に受けながら、グリヨットの手を引いて彼らに続いて歩いて行った。その後ろをキュイエールがついてくる。そっと手を当てるその温もりに振り返ると、彼女は少し落ち着いた様子で頷いた。グリヨットのことには触れてこない。先ほど少しだけ浮かべていた疑問の表情も、今では嘘のように消えていた。エントランスに入ると、すぐにフィナンシエが階段を駆け下りて来るところが見えた。

「マドレーヌ!」

 その声に込められた焦燥感に、わたしは罪悪感から苦しくなってしまった。叱られても仕方はない。それは、脱走した時からすでに覚悟している。だが、問題はそこではない。叱られる以上の困難が、待ち構えている。

「どうやら大冒険だったようです」

 そう言ったのはフロマージュだった。帽子を取って敬礼しつつも、彼の声は穏やかそのものだった。

「きっと疲れている事でしょう。どうか、お説教はもう少し後にしてやってください」

 彼の言葉にフィナンシエは冷静になったようで、息を吐いた。そして、改めてフロマージュの顔を見ると、強く握手を交わして礼を言った。

「どうもお世話になりました。助かります」

「いえ、それが仕事ですので。それにしても、お転婆のようで同情いたします。特にそちらの雑種の子は登録がまだでしたらすぐになさることをオススメします。翅有は野良と間違われやすい。誘拐事件も解決が難しくなってしまいますので」

「翅有……」

 そこでようやくフィナンシエはグリヨットの存在に気づいたようだった。どうしよう。頭の中が真っ白になりそうな中、フロマージュは言った。

「では、私はこの辺で失礼いたします」

「あ、ああ、本当にありがとう。感謝します!」

 慌ただしく去っていくフロマージュを見送ってしまうと、フィナンシエは扉を閉めて、再びわたし達を振り返った。野次馬となっていた使用人たちも窺うようにフィナンシエを見つめている。フィナンシエはゆっくりと心を落ち着けてから、確認するようにグリヨットに向かって声をかけた。

「君は……この間の子だね」

 彼の問いにグリヨットがわずかに震える。その感触に耐えきれず、わたしは堰を切ったように口を開いた。

「すみません、フィナンシエ様。事情があったんです。あのままじゃ、この子が収容所に連れて行かれるかもしれない。そう思ってやむを得ず」

 震え続けるグリヨットを必死に抱きしめながらそう言うと、フィナンシエは深呼吸をした。青ざめた顔と魂の抜けたような目をわたしの方に向けてきて、彼は言った。

「お友達なのかい?」

「……はい」

 すると、フィナンシエは何度も頷いた。

「そうか。なるほどね」

 そう言って彼はこちらに近づいてきた。倒れそうなグリヨットを支えてやりながら待っていると、フィナンシエはしゃがみ込んでグリヨットと視線を合わせた。

「マドレーヌのお友達か。名前はあるのかい?」

 恐らく、訊ねた先はわたしじゃなかったのだろう。しかし、グリヨットはフィナンシエの表情を見つめると、少しだけ安心したのか自ら答えた。

「グリヨット」

 その瞬間、フィナンシエがわずかに動揺を見せた。フィナンシエだけじゃない。周囲にいた人間たちもそうだった。きっと、野良妖精であるグリヨット本人が答えるなんて思ってもみなかったのだろう。だが、フィナンシエはすぐに動揺を打ち消して、声をかけた。

「そうか。グリヨットだね。覚えておこう」

 そして彼は顔をあげ、わたしをじっと見つめてきた。

「さて、マドレーヌ。君に確認しておきたい。君はグリヨットをどうしたいんだい?」

「え……えっと」

 その質問の意図がすぐには分からず、何と答えるべきなのか迷い、戸惑っていると、フィナンシエは微笑みながら付け加えた。

「私の意見としては、妖精がもうひとり増えることくらいは構わないと思っている」

 そこでようやくわたしはフィナンシエの言いたいことに気づいた。答える前に恐る恐る見つめたのはグリヨットの方だった。自分に委ねられたようなものだが、さすがに勝手に決めることなど出来ない。グリヨットはしばらく、わたしとフィナンシエの顔を不安そうに見比べている。きっと、何を求められているか分かっていないのだろう。あるいは、分かっていたとしてもフィナンシエに直接訴えるのは怖いのか。いずれにせよ、訊き出すのはわたしの役目だ。そう思って問いかけようとしたその時、グリヨットはぎゅっと目を瞑ると、深呼吸をしてから覚悟を決めたようにフィナンシエを見上げた。

「あたし……お家に帰らないと」

 力強いその言葉にフィナンシエは微笑み、頷いた。

「そう言うと思ったよ。分かった。もうしばらくすれば日没だ。日没後は野良狩りもしないはずだから、暗くなってから帰りなさい。ただし、気を付けるんだよ。世の中には悪い人間がいる。暗がりで君たちを捕食者のように攫おうとする影に気を付けなさい」

「うん、大丈夫」

 グリヨットはしっかりと頷いた。少しずつフィナンシエのことに慣れてきたのだろう。わたしと話す時と同じような態度になっていった。

「あたし、慣れているから。心配しないで」

「それはよかった。でも、グリヨット。帰る前に一つ覚えておいてほしい。君がマドレーヌの友達であるなら、私はいつでも君を歓迎する。困った時はここを帰る家にすることも出来るのだと覚えておいてほしい」

 彼の言葉に一番ほっとしたのは、グリヨットではなくわたしだったかも知れない。やっぱり我が主人は敬愛すべき人間なのだという期待通りの姿に、グリヨット本人よりもわたしが嬉しくなってしまった。だが、グリヨットの返事もまたわたしには分かっていた。彼女は根っからの野良なのだ。野良であることを不幸だと思っていない。

「ありがとう」

 グリヨットは無邪気に笑って言った。

「でも、大丈夫。あたし、困っていないから。ちゃんと帰る家があるから安心して」

 その言葉にフィナンシエは苦笑しつつも頷いた。妖精好きの人間にとって、心配するなという野良妖精の言葉ほど、真っすぐ捉えるのが難しい言葉もないだろう。もしもこの国が野良に優しく出来ていたら話は違っただろうけれど。しかし、グリヨットが望んでいるのは絶対安全の檻の中などではない。彼女は誇りある妖精で、常に自由を求めているのだから。

 それから一時間ほど経って、グリヨットは屋敷を後にした。夕闇の中を元気よく走り去っていく彼女の後ろ姿を、フィナンシエをはじめとした屋敷の人間たちは誰も彼もが心配そうに見送っていた。けれど、去っていく彼女を止められる者は誰一人としていなかった。

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