6.警戒の眼差し
祈り場のエントランスに戻ってみれば、そこにはルリジューズたちだけではなくババもいた。どうやら込み入った話をしているようだったが、グリヨットに連れられたわたし達の顔をみるなりババは話を中断し、大きく手を挙げた。そしてその逞しい身体の印象に反してかなりの小声で言ったのだった。
「グリヨット、戻ったか。ちょいと厄介な報せだ。フランボワーズ様の演説の予定がうんと早まってしまったようでね」
「ええっ!」
その報せにグリヨットは目を丸くして、窓辺へと駆けていった。そして、外を見た瞬間、全身をびくりと震わせた。柔らかな布の服に隠れた背中の翅がぴんと立つのがこちらからでも分かった。
「うわぁ、本当だ。もうあんなに──」
彼女の嘆きに釣られて、ビスキュイが無意識にそちらに向かおうとした。だが、その時、ババが慌てて止めてきた。
「ちょい待ち。悪い事は言わない。お客さんたちは外の連中に見つからない方がいい」
その言葉にビスキュイが身を竦めた。わたしもまた怯えを感じてババをじっと見上げてしまった。そんなわたし達の視線がだいぶ痛かったのか、ババは弁解するように付け加えた。
「いやね、君たちが悪いわけじゃないんだが……俺たちの仲間の中には良血さんを毛嫌いしている者も少なくないんだ。特に、フランボワーズ様の熱心な支持者にはそういう連中も多い。顔も名前も見知った仲の良血崩れならばいいが、新参者──とくにまだ人間の寵愛を失っていない良血さんは嫌な思いをするかもしれない」
その説明を聞いて、わたしもビスキュイも顔を見合わせた。同じ妖精だと言っても、優しく受け入れてくれる者ばかりではない。その現実を静かに受け止めると、わたし達は首を竦め、外から見えないだろう位置に留まった。ババはわたし達に憐れむような視線を向けてきた。
「すまないな。ちょっとだけ辛抱していてくれ。おい、グリヨット。お前が連れてきたんだ。無事に家に帰すまで責任を持つんだぞ」
「分かっているって……にしても、困ったな。暗くなる前に終わるかな」
グリヨットの言葉に、ノワゼットが落ち着いた声で答えた。
「日が暮れる前には、さすがに終わるはずよ。けれど、グリヨット。その子たちのこと、今のうちにフランボワーズ様だけにでも紹介しておいた方がいいんじゃない? 面倒事は御免よ。特にルリジューズを巻き込むようなことは」
「ノワゼット」
咎めるようにルリジューズがその名を呼んだが、ノワゼットはちっとも悪びれずに澄まし顔を浮かべていた。
「面倒事だなんて……」
グリヨットはそんなノワゼットを振り返り、少しだけ眉を顰めた。だが、すぐに思い直したように頷いた。
「でもそうだね。フランボワーズ様には紹介するべきかも。演説が終わって、集まった皆が帰っていった後くらいに……って、あ、あれ、ジャンジャンブルがこっちに──」
慌てたようにグリヨットがそう言った直後、玄関扉は開かれた。外の喧騒が外気と共に一気に流れ込んできて、わたしは思わず怯んでしまった。ヴェルジョワーズの愛好会で耳にするような喧騒とは何かが違う。根本的な雰囲気だろうか。あの場に集う人間や妖精たちの声に比べ、外に集まっている野良妖精たちの声には力強さと勢いがあるように感じられた。その空気に背中を押されるようにして入ってきたのは、壮年の男性だった。彼もまた妖精だ。背中にはグリヨットやババよりも長い翅が生えている。生粋の野良妖精なのだろう。
「先生」
ルリジューズがそっと声をかけると、彼はすぐに口を開いた。
「ああ、ルリジューズ。準備は出来ているね。予定が早まってしまって──」
そう言いながら彼はエントランスを見渡した。そして、わたしとビスキュイの存在に気づいてしまったのだった。薄い色の目に凝視され、その中に秘められた感情があまり友好的でないものだと気づいた時、わたしはすぐにババの言っていた意味を理解した。けれど、このジャンジャンブルという男性も、ルリジューズに先生を呼ばれるような立場にあるのだろう。いきなり騒ぎ出すようなことはせずに、興奮を呼吸でひとしきり抑えてから、わたし達ではなく近くにいたババに対して声をかけたのだった。
「ババ君、このお客さんたちは一体どうしたのかね?」
嫌味を含んでいると分かるその問いに、ババは苦笑を浮かべた。
「い、いやあ、俺にも事情はさっぱりで」
「ジャンジャンブル先生!」
そこへ口を挟んだのはグリヨットだった。やや、先生の言い方に皮肉が込められていた気がしたが、気のせいではないかもしれない。
「ババのお客さんじゃないよ。あたしが連れてきたの。花の妖精の為にきちんとお祈りがしたかったんだって。人間任せじゃなくて、自分たちできちんと」
「ほう、お祈りねぇ」
ジャンジャンブルは納得したように繰り返す。その声色といい、表情といい、だいぶ冷たいものを感じてしまった。例えるならば、オークション会場で一度だけ目にしたサヴァランのような。あそこまでではないにせよ、冷たさの種類はだいぶ似ている。他者を威圧するようなその冷たさに、わたしもビスキュイもすっかり小さくなってしまった。
「良血さん達がわざわざここでお祈りですか」
厭味ったらしい彼の言葉にババもノワゼットも、そしてグリヨットも何も言えなくなってしまっていた。だが、そんなわたし達を冷静に庇ってくれたのが、ルリジューズだった。
「先生、ここは祈り場ですよ。それにお忘れですか?」
ルリジューズは囁くようにジャンジャンブルに告げた。
「私だって元々は──」
しかし、それを遮るようにジャンジャンブルは大きく咳払いをした。
「そんな事はいい。ともかく、ルリジューズ、君は早く持ち場につきなさい。フランボワーズ様が今後のことで話したがっている。ノワゼット、ルリジューズが転ばないように手を引いてあげなさい。ババ、君もだ。いつものように仁王立ちしているだけでいい」
矢継ぎ早にそこまで言うと、ジャンジャンブルは再びわたし達を見つめてきた。敵意は十分感じた。もうここへは来ない方がいいのではないかと思うくらい十分に。そのくらい冷たい視線でわたし達の心の奥底まで凍らせてしまうと、ジャンジャンブルは窓辺にいるグリヨットに告げた。
「グリヨット、君が連れてきたのだったね。外の輩を刺激しないよう、お客さんたちの傍にいてやりなさい」
「うん、分かった」
叱られた子供のようなグリヨットのその短い返事を全て聞き終えないうちに、ジャンジャンブルは足早に広場へと出て行ってしまった。その後をノワゼットとルリジューズも続く。そして、最後にババが出ようとしたときに、グリヨットが呼び止めた。
「ババ、扉は締め切らないで。外の声が聞きたいから」
「分かった。二人を頼むぞ、グリヨット」
そう言い残すと、ババは扉をぎりぎりのところで締め切らずに立ち去っていった。お陰で視界は遮られたが音は聞こえてくる。この喧騒はやはり、ヴェルジョワーズの愛好会で聞く喧騒と種類が違うように思えた。
「ねえ、二人とも」
そこへ、グリヨットが振り返ってきた。
「隣においでよ。このくらいの高さでしゃがんでいたら、外からは見えないはずだよ」
グリヨットはそう言って片手で高さを示した。わたしはビスキュイと顔を合わせ、共にしゃがんだ。グリヨットの傍まで這っていき、慎重に顔をあげて、窓の外をその目に映した。そして、広場となった屋敷の庭を目にしたその瞬間、息を飲んでしまった。そこには、驚くほど多くの妖精たちが集まっていたのだ。
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