4.王国のお話

 カモミーユとの相性が良かったことは言うまでもない。わたしとしても深く語りたいところだが、生憎、彼女の蜜の味で頭がぼんやりとしてしまい、ただただ幸福だったとしか覚えていない。それでも、フィナンシエとシャルロットにはお見通しだったようで、その後は滞りもなく話が進んでいき、カモミーユを半月借りるという契約は結ばれた。期間は延長もあり得るらしい。一日か二日程度とのことだが、初日から延長を望んでしまうくらいには、わたしはカモミーユという存在にハマってしまっていた。彼女が一緒ならば、ビスキュイと会えない寂しさも紛れるというものだ。その上、恋の季節の苛立ちは、蜜のお陰で忘れられる。恋の季節が終わっても、ずっと一緒にいてくれたらいいのに。わたしはそんな事を思いながら、カモミーユとの時間を大事にしていた。

 カモミーユにハマった理由は蜜だけではない。蜜への欲求が満たされてしまい、その味やそれに伴う触れ合いでは恋の季節の苛立ちも紛れなくなってしまうと、カモミーユはわたしに話を聞かせてくれた。ただの噂話であったり、その時々の話題であったりするなど取り留めもない話も多かったが、時には人間の作家が創作したという空想話も聞かせてくれた。どうやらカモミーユは記憶力が抜群のようで、わたしにとっては本そのもののようだった。そんな彼女の持つ膨大な話題の中でも、とりわけ魅了されたのが、わたし達の歴史の話だった。

 かつて存在した蝶の王国。今、その場所は開拓され、非常に美しい農地になっているらしい。その場所の記憶を、カモミーユは花の妖精たちの口伝によってひっそりと受け継いでいたのだ。ひょっとしたら誰かの創作なのかもしれない。それでも、そうだとしても、わたし達の先祖にまつわる話なのだと思うと夢中になってしまった。

 人間に支配される以前の妖精たちの話。女王を中心に、自分たちの力で何千年も続く伝統の中で生きてきた時代の話。花の妖精の目線から語られる、すでに失われた美しく儚い世界の話は、良い子の愛玩妖精として生きなくてはならないわたしにとって現実逃避に丁度良かったのだ。きっと、カモミーユがわたしを女王の末裔として持ち上げてくれることもあるのだろう。二人きりで彼女の話を聞いている時だけは、自分が人間の所有物であることを忘れられたのだ。

「ねえ、カモミーユ」

 膝枕をしてもらいながら、わたしはカモミーユを見上げた。見下ろしてくる彼女の白い髪にそっと触れながら、わたしは言った。

「どうして花の妖精たちは、蝶の王国の一員になったの?」

 すると、カモミーユは微笑みながら話してくれた。

「わたくしの聞くところによりますと、花の妖精たちは遥か昔、白い花の女王を中心とした王国を築いていたそうです。ところが、ある時代、花の王国を奇病が襲いました。王国民たちが小指の先ほどのほんの小さな寄生妖精たちに冒されて、栄養失調でばたばたと枯れていったのです。わたくし共の力では、どうすることも出来なかった。けれど、その時に手を貸してくれたのが、蝶の王国だったのです。当時の蝶の女王はわたくし共の先祖を憐れみ、奇病の原因である寄生妖精を撃退する薬を用い、わたくし共の健康を守ってくださったのです。その縁で、わたくし共は花の女王の決定で蝶の王国の一員となり、蜜を対価に庇護してもらうこととなったとか。花の妖精たちはそれ以降、蝶の妖精たちに守られながら繁栄していったと言われています。中でも、白い花の女王は蝶の女王の手元に置かれ、守られながらその健康を支え続けました。その後、生まれた女王の血筋は、そのまま蝶の女王の末裔たちに囲われ、白花の一族として大事にされていったのです。それがわたくしのような良血花の先祖でもあるのです」

 カモミーユの言葉に、わたしは微笑みを浮かべた。

「じゃあ、カモミーユも女王の末裔なんだね」

 言われてみれば納得するところもある。こうして見上げていると、カモミーユはあまりに神々しい。大事にされてきた理由もよく分かるし、手元に置きたがった気持ちもよく分かる。きっとその時の蝶の女王も、蜜が美味しかった以上に理由があって花の女王にハマってしまったのだろう。今のわたしがすっかりカモミーユの虜となってしまっているように。

「わたしの先祖も、あなたの先祖も、こうして触れ合ったりしたのかな?」

 気の向くままに呟くわたしを見下ろしながら、カモミーユは薄っすらと笑った。

「ええ、きっと」

 そして、カモミーユはその指でわたしの唇に触れてきた。甘い蜜の味が薄っすらと染み込んできて、脳が蕩けるような気分になった。

「蝶の王国はわたくし共の先祖にとって、非常に安全な場所でした。そこに暮らす対価として蝶たちの望むままに好きなだけ蜜を捧げるのがわたくし達の役目。その結果、身ごもって出産することは雌花にとって光栄なことでもありました」

「身ごもる?」

 訊きなれない単語に首を傾げると、カモミーユは優しく教えてくれた。

「子供をお腹に宿すということです。美しい卵を産むあなた方とは違い、わたくし共は人間を含む動物たちの一部のようにお腹に子を宿し、出産をするのです。けれど、子供を授かるにはあなた方の手を借りなくてはいけなかった。その上、誰の子を宿すかは多くの場合、神々の気まぐれ次第でした。それでも、わたくし共は幸せだったのです。蝶の妖精たちとの営みは、わたくし共にとっても甘美な贅沢でしたから」

「幸せ……だった」

 含みのある言葉が気になって繰り返すと、カモミーユはうんと顔を近づけてきた。そして、蚊の鳴くような声で囁いてきたのだった。

「大きな声では言えない事ですが、人間たちが主人である今の時代よりも、あなた方が主人であった過去の時代を懐かしむ花は多いのです」

 そして、妖しく目を細めると、カモミーユは言った。

「フィナンシエ様には内緒ですよ」

 その言葉に、わたしは恐る恐る頷いた。

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