3.修道蝶々
「ルリジューズ!」
グリヨットが無邪気に声をかけると、ノワゼットに手を引かれていたその目隠しの妖精──ルリジューズは声を頼りに顔を向けてきた。やはり見えていない。そうだろう。さすがにこのわたしにも察することは出来た。ルリジューズの目元の布の端々から、傷跡が見えるのだ。何故、あのように目元を隠しているのか、その事情もちらりと見えるその傷跡から察することが出来た。だから、ノワゼットの手が必要なのだろう。
「グリヨットね」
ルリジューズは落ち着いた声でそう言った。口元に微笑みを浮かべ、そしてきょろきょろとあたりを見渡した。
「お客さまが一緒だと聞いたのだけれど」
「一緒にいるよ。マドレーヌとビスキュイっていうの」
グリヨットの明るい声に続いて、ノワゼットがそっとルリジューズに囁いた。
「良血の若い子たちなの。お友達の花の妖精が亡くなったのですって。それで、ちゃんと弔ってほしいって」
ノワゼットの言葉にルリジューズは小さく頷くと、おおよそわたし達のいる場所を特定して顔を向けてきた。
「分かりました。それではさっそくお祈りしましょう。グリヨット、その子たちを祈り場へと案内してあげて。準備が整ったらすぐに参ります」
「はーい!」
グリヨットは元気に手をあげると、わたし達を振り返った。
「じゃあ、さっそく行こうか。ついて来て」
そう言うと、グリヨットは玄関ホールの左へと駆けだしてしまった。わたしもビスキュイも驚いてその後を追う。長い廊下を駆けていく彼女は何処か楽しそうだったが、わたしとしては置いて行かれるのが不安で仕方なかった。埃っぽいこの屋敷はフィナンシエの屋敷と随分違う。掃除が行き届いていないだけではなく、人間がいないというだけで妙な不気味さがあったのだ。それでも、グリヨットは全く気にならないようで、床が軋んでも走り続けていた。そんな彼女をびくびく追いかける事しばし。グリヨットは長い廊下を走るのをやめて、ようやくある部屋の扉を開けた。入る前にわたしはその部屋の表札をみようとした。だが、どうやら剥がされているらしく、何も分からなかった。グリヨットはとっくに飛び込んでしまっていたので、ビスキュイと手を繋いで、わたしは恐る恐る中へと足を踏み入れた。
広いその部屋には複数の椅子だけが残っている。そして、その先には一段高くなった舞台があり、机と椅子が置かれていた。祈り場として作られているのかどうかは分からない。食堂だった可能性もある。ただ、中に入り込んですぐに気づいたのは、外に面した壁にあるとても大きく立派なステンドグラスの存在だった。近寄ってその絵を見つめて、わたしはすぐに気づいた。
──妖精だ。
描かれているのはおそらく妖精の女王。白い蝶の翅を持ち、王冠を被っていた。最後の女王となったミルティーユを描いたものなのかもしれない。ビスキュイと並んでじっと見つめていると、舞台からこちらを見つめていたグリヨットが嬉しそうに言った。
「綺麗でしょう?」
グリヨットはにっこりと笑う。
「夕方になるとね、もっと綺麗なんだ」
「これってミルティーユ様?」
ビスキュイが訊ねると、グリヨットは頷いた。
「そうだよ。王冠を被っていて、白くて立派な蝶の翅を持っているでしょう? それに、後光もさしている。ミルティーユ様は尊い御方だったから、この国の人間たちを魅了してしまったんだって。だから、あたし達の血は絶えずに済んだの」
でも、と、グリヨットは呟いた。
「時代を追うごとに、ミルティーユ様のお力は弱くなっていった。今や、人間たちは妖精を管理することしか考えていない。あたしらみたいな根無し草には生きづらい世の中になっちゃった。ふたりとは違ってね」
その言葉にわたしもビスキュイも顔を見合わせた。野良妖精を憐れむことが多いのは確かだが、かといって露骨にそんな態度をとってもグリヨットは不快になるだけ。何と言えばいいのか分からず、わたしは口を噤んでしまった。そこへ、タイミングよく現れたのがルリジューズたちだった。ノワゼットに手を引かれながら現れたルリジューズは、先ほどと少し違った格好をしていた。黒いドレスは同じだが、その背中に黒い蝶の翅のようなマントを被っている。本当の翅ではないが、修道蝶々のイメージをわたしに与えてくれるのにちょうどよかった。付き添うノワゼットの方も、先ほどとはちょっと違う恰好をしていた。黒い服に、黒いヴェール。ヘーゼルの目だけが輝いていた。
「皆、いますね?」
ルリジューズの言葉に、グリヨットが元気よく返事をする。ノワゼットもまたルリジューズに何かを囁くと、そのまま手を引いて壇上へと導いた。彼女の手に頼りながら、ルリジューズは歩んでいた。きっと目が見えなくなったのは、そんなに昔の事でもないのだろう。何となく、そんな事を感じるぎこちなさだった。ノワゼットの手伝いでどうにか壇上にあがると、ルリジューズはこちらに顔を向けた。グリヨットの言う通り間違いなくわたし達が全員いることは、なんとなく分かるのだろう。口元に安堵するような笑みを浮かべてから、彼女は言った。
「それでは、始めましょうか」
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