4章 妖精たちの夢

1.それぞれの過去

 古びた長机を取り囲んで座り、わたしはたった今、教えられた彼らの名前を心の中で反芻していた。幸いな事に、新しく顔を見合わせることとなった三名の妖精たちは、いずれも特徴がはっきりと分かれていて覚えやすい。

 まず、三名の中で唯一の男性であるシトロン。背中にグリヨットとババの持つものによく似た翅が生えている。さらに珍しいのはその髪の色。人間にはいるが妖精にはあまりいない輝かしい金髪だった。それ以外はマドレーヌたち良血妖精とあまり変わらず、なかなかの美青年でもある。

 次に、思わず何度も目にしてしまう真っ白な妖精の女性。彼女の名前はヴァニーユといって、蝶の妖精ではなく花の妖精だった。けれど、カモミーユを前にした時のような下心はあまり湧かない。美しく、好ましい見た目をしてはいるが、もっとも理性を狂わせてくる蜜の香りが何故かしないのだ。

 最後に、暗い表情で座っている妖精の女性。名前はアンゼリカ。栗色の髪を子馬の尻尾のように束ね、菫色の目で手元をずっと見つめている。バラ色の頬も、長いまつげも、そして背中に翅がないことも、全てが野良妖精らしくなかった。思った通り、グリヨットによれば彼女は良血蝶々で、色々あってここにいるのだという。色々。その色々がとても気になるところだが、その表情が浮かないところから察するに、あまり根掘り葉掘り聞くべき事じゃないだろう。

「それにしてもさぁ、マドレーヌ。君には驚いたよ」

 談笑の途中でそう言ったのはシトロンだった。

「まさか人間にちゃんと養ってもらっている良血さんが、俺たちのことを心配してくれるなんてね。いや、心配してくれる事自体は珍しくないかも知れないけどさ、人間の機嫌を損ねることを恐れずに伝えに来てくれるなんて良血さんはまずいない」

「本当に、有難い事」

 お淑やかにそう言うのはヴァニーユだ。髪が白く、目が赤いこと以外はその容姿がカモミーユに似ているわけではない。声も全く違う。けれど、立ち振る舞いのせいもあるだろう。彼女の持つ雰囲気の端々にカモミーユの幻想を見てしまい、わたしは少しだけ恋しくなってしまった。

「先日に続いて命拾いをしましたわね。幸運の女神がわたくし達を守護してくださっているのかしら」

 そう言って微笑むヴァニーユの姿は見惚れるほど美しかった。しかし、「どうかしら」と、そんな二人に対して暗い声をあげたのは、さっきから俯いてばかりいるアンゼリカだった。

「まだ安心はできないわ。本当に安全な時代が来るまで……王都から逃れるまでは」

「心配性だなぁ、アンゼリカは」

 グリヨットが呆れたように言った。

「もう怖がらなくていいんだよ。あたし達にはフランボワーズ様がついているから」

 だが、その言葉に対してシトロンもまたため息交じりに首を振った。

「いや、アンゼリカの気持ちも分かるよ。そのくらい恐ろしい思いをしたんだから。檻に入れられて死を待つのみ。感情を表に出さない人間たちの世話を受けて、ただただ憐れみの眼差しで見つめられるあの時間を思い出すとね。不安にもなるよ」

 シトロンの言葉にアンゼリカだけでなくヴァニーユの表情も曇ってしまった。彼らが何の話をしているのか少し考えていると、グリヨットが小声でそっとわたしに教えてくれた。

「この三人はね、収容所にいたところをフランボワーズ様に助け出されたの。他にもそういう妖精が何人かいて、それぞれの拠点で心身を休めているんだよ」

「収容所から……」

 それは、わたしにとって衝撃的な経歴だった。そこがどれほど恐ろしい場所なのか、上手く想像できるわけではない。それでも、彼らの──とくにアンゼリカの表情を見れば、どれほどの恐怖だったのかが推し量れるというものだった。

「まあ、良血のお嬢さんには縁遠い場所さぁ」

 シトロンが苦笑しながら言った。

「世の中には知る必要がないばかりか知らない方がいい事がいっぱいある。収容所で味わう絶望感もその一つさ。だが、良血のお嬢さんはまず味わう事なんてない無縁の世界のはずだから安心していいと思うよ」

 楽観的な彼の言葉に、透かさず横からヴァニーユが声をかけた。

「良血には無縁……果たしてそうでしょうか」

 彼女の言葉にシトロンはハッと我に返り、ヴァニーユとそしてアンゼリカを見つめた。

「ご、ごめん。すっかり忘れていた」

 焦りながら詫びる彼を、グリヨットが呆れたような眼差しを送る。

「シトロンったらうっかり屋さんなんだから」

 それを聞きながら軽く笑ってから、ヴァニーユはわたしを見つめてきた。

「マドレーヌ様でしたね。幸せに暮らしていらっしゃるだろうあなたを脅したいわけではないのですが、どうかわたくしとここにいるアンゼリカ様に起きた出来事を知ってから帰っていただきたいのです」

「あなた達の身に起きたこと?」

 問い返すと、ヴァニーユは目を細めて頷いた。

「わたくしもアンゼリカ様もあなたと同じく血統登録されている良血妖精として誕生しました。けれど、ルリジューズ様のようにわたくし達はいずれも人の庇護を失ってここに至ったのです。お気づきでしょうか。わたくしから蜜の香りが全くしないことを。それだけではございません。わたくしの身体は蜜自体を生みだせないのです。それ以外はいたって健康。けれど、人間たちにとって花の妖精の最大の価値はこの蜜にこそあるのです。だから、わたくしはあの場所に捨てられてしまった」

 処分されるために。わたしはその話を聞きながら眩暈を感じた。フィナンシエに愛されて暮らしている間に、こんな思いをして死んでいった妖精たちがいるかもしれない。ひょっとしたらそれは、血を分けた兄弟姉妹だったかもしれない。あらゆる不安が頭をよぎり、恐ろしくなってしまったのだ。

「しかし、わたくしは運が良かった。死ぬのをただ待っていたところへ、フランボワーズ様の救いの手が差し伸べられてきたのですから」

 そして、ヴァニーユは強調するように呟いた。

「これがわたくしの体験です。どうか、人間をあまり信用しすぎないよう」

 その言葉は重く、わたしの心に突き刺さってきた。

「あの日、ヴァニーユがいたのは奇跡だった」

 シトロンが言った。

「同じように人間に持ち込まれて助かった良血さんもいくらかいたね。ああ、アンゼリカはその以前からずっと一緒に暮らしていたけれどさ。俺もアンゼリカも、保育所だった拠点の一つが人間たちに壊される時に、仲間たちと一緒に卵や蛹を庇おうとして捕まっちまったんだ。本当に、フランボワーズ様がいてくださってよかったよ」

「シトロンやアンゼリカが頑張ってくれたから助かった卵や蛹もいっぱいあるんだよ」

 そう教えてくれたのはグリヨットだった。

「今は違う場所で眠っているんだよ」

「それでも、全員を守れたわけではないわ」

 そこへ、暗い声でアンゼリカが言った。彼女はその後、顔をあげてわたしをじっと見つめてきた。

「マドレーヌ……」

 小さな声で彼女は呟いた。

「わたし、あなたの事を覚えているの」

「え?」

 思わぬ言葉に驚いて訊ね返すと、アンゼリカは寂しそうに笑みを浮かべた。

「あの日、あの会場に、わたしもいたから」

 それがどういう事なのか、わたしはじわじわと理解した。オークションだ。あの時、同じように売られた彼女が巡り巡って野良妖精になっている。それは、ルリジューズやヴァニーユが良血妖精であった以上に驚くべきことだった。しかし、それ以上詳しく聞き出すことは出来なかった。アンゼリカは口を閉ざし、再び俯いてしまった。

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