5.いつも食べる味

 半月の間、ずっとカモミーユと一緒にいられるというわけではなかった。カモミーユには休息や入浴が必要で、その時はわたしから解放されて別々にされることが決まっていた。こればかりはわたしがどんなにワガママを言おうとどうにもならない。カモミーユと引き離されている間は、キュイエールがお守役だった。お陰で寂しくはなかったのだけれど、身の回りの世話をして貰っている間も、落ち着くことが出来なかった。この苛々も恋の季節とやらの弊害なのだろう。最悪なのは、カモミーユと引き離されている間に喉が渇き始める時だ。どうしても我慢できなくなってくると、わたしはキュイエールにすぐに甘え、いつも食べる蜜飴を貰うことにしていた。

「さあ、マドレーヌ。お口を開けて」

 言われるままに口を開け、キュイエールの手で蜜飴を貰う。途端に、舌の上に食べ慣れた味が広がった。蜜食性の良血妖精たちの為に人間たちがわざわざ開発した蜜飴だ。材料はカモミーユのような花の妖精の蜜。美味しくないはずもない。現に、口の中で転がしていると少しは気が紛れるものだった。けれど、無心になっていないと辛かった。ついうっかりカモミーユから直接いただく濃厚な蜜の事を思い出してしまうと、どうしても比べてしまうのだ。

 物足りないのは味だけだろうか。いや、違う。わたしの先祖たちが庇護していた花の妖精たちに求めたのは、きっと蜜だけではなかったはずだ。彼女たちの存在自体がわたし達にとっては目の保養であり、あらゆる欲望を掻き立てられる。庇護をしていたなんてことは建前で、本当はきっと閉じ込めておきたかったのだろう。それが花の妖精にとっても安全というメリットがあっただけのこと。その気持ちが痛い程分かってしまうのが我ながら恐ろしい。そのくらいの魅力を彼女たち自身が持っているのだ。だから、蜜だけでは足りなかった。蜜だけでなく、その持ち主もいないと。そんな思いが顔に出てしまっていたのだろう。キュイエールはわたしを寂しそうな目で見つめてきた。

「マドレーヌ。どうか我慢してね。カモミーユにもお休みは必要なの。あんまり無理をしてしまうと、身体が弱ってしまうそうだから」

「うん」

 わたしはすぐに頷いて、そのまま俯いた。

「カモミーユに無理をさせたいわけじゃないから」

「そう。マドレーヌはお利口さんね」

 キュイエールはそう言って、わたしの頭を撫でてきた。大人しく撫でられながら、わたしは蜜飴を味わった。ああ、やっぱりそうだ。この蜜飴は確かに美味しいけれど、大事なものがたりない。一番大事なカモミーユが足りない。本当の味を知ってしまったからなのか、これもまた恋の季節の仕業なのか。大人しく蜜飴の甘みに心身を委ねようと目を閉じると、脳裏には蜜を奪う時に目にするカモミーユの恍惚とした姿が思い浮かんでしまう。あの顔を見たい。あの顔を見ながら蜜を楽しみたい。そんな欲望が身体を内側から刺激してくるのだ。そわそわとした気持ちから逃れたくて、わたしはすぐに目を開けて、そしてキュイエールに言ったのだった。

「ねえ、キュイエール。花の貸出って必ず一人じゃないといけないの?」

 そんなわたしを見つめ、キュイエールはしばし考え込んでから答えた。

「花の妖精一人分の貸し出し料もそれなりの額なのだっていうお話だものね。……それにね、マドレーヌ」

 そして、キュイエールはわたしと目を合わせ、頬に手を添えながら続けた。

「今、あなたが食べている蜜飴も一つ一つに手間がかかっているの。蜜飴の用の花の妖精たちと、蜜蜂の妖精たちが、人間の指示で働いて作り上げた産物。彼らの苦労の賜物がその飴なのよ。お値段も高いし、数も多いわけじゃない。町の片隅でひっそりと暮らす野良妖精たちなんかは、蜜飴さえも食べられないの。わたしの言っている意味が分かる?」

 キュイエールの言葉に、わたしは黙って頷くことしか出来なかった。確かに贅沢な話だ。わたしは蝶と花の愛好会で目撃した、あの翅有の野良妖精のことを思い出した。拾ったか、施しで手に入れたのだろう布の服に、まともに櫛を通せていない髪の毛。名前も知らない彼女が、今、どんな生活をしているのだろうかと想像すると、自分の悩みの一つ一つが小さなものに思えてしまう。当たり前のこの暮らしも、フィナンシエに愛されてこそのもの。そう思うと、恵まれていることを自覚すると同時に、不安を覚えた。

 もしも、フィナンシエに愛想を尽かされたら。もしも、フィナンシエに何かあったら。わたしの所有権が違う誰かに移り、それがサヴァランのように問題のある人間だったらどうなってしまうのか。あるいは、たらい回しにされて行き場を失ってしまったら、どうなってしまうのか。ありとあらゆる不安が頭を過ぎって行き、わたしは怖くなってしまった。全てを失ってしまった時、わたしはあの翅有蝶々の少女のように生きていけるだろうか。あのように目を輝かせて、生きていくことが果たしてわたしに出来るのだろうか。考えるということは、ともすれば美味しい蜜を楽しむことに匹敵する気晴らしなのかもしれない。いつの間にかわたしは恋の季節の煩わしさや、カモミーユの蜜への渇望も忘れ、思考に耽っていた。

 そんなわたしを前にキュイエールもまた口を閉ざし、カモミーユが戻って来るまでの間、静かに傍で見守ってくれたのだった。

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