12.妖精たちの夢と希望

 ひと通りの挨拶を終えて、わたし達はグリヨットから近況を聞かされていた。大怪我が治りたてのグリヨットは、大した手伝いが出来ていないらしい。それでも、身体が動くようになると、あちこち見回りに行くことくらいはしているそうだ。

 一方、あの日、瀕死の状態で保護されたシトロンはというと、まだまだ回復できていないらしい。この先、長旅にどれだけ耐えられるか。ジャンジャンブルが付き添いつつ、慎重に運ぶことになるそうだ。そんな状況だからこそ、妖精たちはぴりぴりしていた。その上、元凶であるヴァニーユの脅威は去っていないのだから尚更だ。

「フランボワーズ様はね、今もパトロールをしているの」

 グリヨットが教えてくれた。

「ヴァニーユが近づいて来ていないか、人間たちが来ていないか、それに新たに仲間になりそうなはぐれ妖精はいないか。そういったことを確認するために、王都を飛び回っているの」

「だから、ここにいないんだね?」

 ビスキュイの問いに、グリヨットはこくりと頷く。

「特に怖いのはヴァニーユだよ。今も時折王都を彷徨っていてね、あたし達に近づこうとしているんだって。ご主人様に愛されて、十分、ご飯は貰っているはずなのにね。ひょっとして、あたしを食べ損ねたことを怒っているのかな」

 考えれば考えるほど身震いしてしまう。手を引っ張られて連れ去られそうになったあの日の事、そして、フィナンシエの屋敷で対面したあの日の事を思い出すと鳥肌が立つ。

「ヴァニーユの事を憎んでいる仲間も多いんだ」

 グリヨットは言った。

「あたしはすっかり怖くなっちゃったし、もう二度と会いたくないくらいなんだけどね、ヴァニーユに対して怒りと憎しみの炎を燃やしている勇敢な仲間たちも少なくない。これまでも何度かヴァニーユを討伐しようと行動しているひともいる。でも、そういった動きはヴァニーユの飼い主を怒らせるかもしれない。フランボワーズ様はね、そういう仲間の動きも牽制しているんだって」

「今のサヴァラン様を怒らせないことは賢明かもね」

 ビスキュイがぽつりと言った。わたしもそこには同意だ。彼を怒らせれば何をするか分からない。その事はもう十分理解できた。グリヨットたちが想像もしないような方法で、苦しめようとするだろう。しかし同時に、このまま耐え続けることもまた不可能だったのだ。

「旅立ちが予定より早まったのも、こういう事情があったからなんだ。こうしている間にも、人間たちとの溝は深まり続けている。クレモンティーヌ様はそう言っていた」

 グリヨットはそう言って、溜息交じりに空を見上げた。祈り場の広場から見上げる空は、周囲の建物のためか異様に高く感じる。果てしなく高い場所にある青空を眺めながら、グリヨットは両手を広げた。

「この場所はあたしが生まれた故郷でもある。思い出もいっぱいあるから、去るのはやっぱり寂しいんだ。でも、だからと言って、残ることは出来ない。夢も希望も新しい王国にあるのだもの」

 そして、いずれは王都を知らずに生まれ、育つ妖精たちも現れるだろう。かつてのように王国は栄え、蝶の妖精たちが真に尊厳を取り戻す時代がくる。人間の顔色を窺わなくていい世界が生まれるのだ。グリヨットはそんな時代が来ることを信じている。わたしも疑ったりはしない。クレモンティーヌとフランボワーズならばきっとやり遂げるはずだ。そんな信頼がわたしの胸の内にもあった。グリヨットだって当然そうであるはず。だから、出会った頃よりもさらにその目が輝いているのだろう。その目の輝きは、わたしにとって羨ましいものでもあった。

 けれど、羨ましい反面、やはりわたしは踏み切れなさを感じていた。人間たちに愛される妖精でいることは確かに窮屈だ。けれど、だとしても、このままずっとフィナンシエとアマンディーヌに愛され続けるのならば、その生活を変えたくないという気持ちがわたしの中にはやっぱりあるようだ。

 果たしてビスキュイはどう思っているのだろう。旅立つ仲間たちの姿を眺めている彼の表情からは、全てを読み取ることは出来そうにない。

「いつかさ」

 ふと、グリヨットが呟くように言った。

「あたし、またここに戻って来てみようかなって思っているの」

 窺うように彼女を見つめると、グリヨットは太陽のような笑みを浮かべて付け加えた。

「もっと未来の話になるかもだけど、時々来てみようかなって。あたし達が残らず旅立ってしまった後もさ、もしかしたらこれから先も、王都には行き場をなくした妖精が新しく現れるかもしれない。そういう仲間を新しい王国に誘うひとは必要でしょう? その時はまたマドレーヌたちにも会いに来るよ。どうしているか様子を見てさ、こっちもどうしているか色々と近況を伝えてさ。そしたら……寂しくないでしょう?」

 未来の話だ。どうなっているかも分からない先の話。それでも、わたしはグリヨットの言葉に悦びを感じることが出来た。ここで別れることがあっても、最後ではない。王国民になることがなかったとしても、わたし達はまた会うことが出来る。そう思えるだけで、どれほど心強いか。

「うん!」

 感極まって言葉が出ない中、わたしはただただ頷いた。未来は決して暗いものではない。グリヨットの目の輝きのように、明るいものだと信じよう。そんな希望を持つことが出来た。

 異変があったのは、そんな時のことだった。

「大変だ! 大変なんだ!」

 大声で叫びながら祈り場へと飛び込んできたのは、グリヨットたちの仲間の一人だった。

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