10.良血蝶々の先祖

 そもそもの話、わたしは何処から把握していただろう。もともと蝶の妖精たちが太陽の国の住人ではなかったことは知っている。だが、蝶の妖精たちは女王を中心とした蝶の王国に暮らしていて、自然に囲まれた美しい世界で何千年と続く伝統ある暮らしを受け継いできた──ということなどは、ビスキュイの口から語られるまで、きちんと把握していなかったように思う。

 ただ何となく先祖の背中には蝶の翅があって、何となく人間とは違う王国で暮らしていたが、戦いに敗れて連れてこられたという事くらいしか分かっていなかった気がする。蝶の王国が人間たちに発見されていなければ、今もわたしとビスキュイの背中には蝶の翅があったのかもしれない。いや、そもそも生まれていなかっただろう。わたし達を誕生させたのは、蝶の妖精の魅力に取り憑かれた人間たちなのだから。

 ともあれ、過去は変えられないものだ。蝶の王国は太陽の国の人間たちに見つかり、百年ほどは対等な関係が築かれ、ある時を境にその関係にひびが入った。もとより時間の問題だったのかもしれない。豊かな資源や暮らしやすさを追い求めて土地の開拓を進めてきた人間たちと、大自然を守りながらその一部として暮らし続けようとしていた妖精たちとでは相容れない。より豊かな暮らしよりも、これまで通りの慎ましやかな暮らしを優先したならば、人間たちの持ちかける取引は悪魔の取引のようにしか思えなかっただろう。

 けれど、人間たちは引き下がってくれなかった。蝶の王国があった領地には豊かな土地と水源地があって、太陽の国の人間たちには魅力的だったらしい。結局、戦いは避けられず、人間には敵わなかった。伝統と自然の力を借りて生み出した草花の武器は、人間たちの火の力で生まれた武器に敵わなかったのだ。祖国を守るための戦いを率いた女王と時の一角獣たる戦士の長は捕らえられ、見せしめとして処刑された。その死は王国民たちの心から一切の希望を奪い、敗北を認められなかった者から火の武器の犠牲となり、死を恐れた者たちや物言えぬ卵や蛹といった王国民たちが後に生まれるわたし達の先祖となった。最後の女王と呼ばれるミルティーユもまたその一人だった。処刑された女王には他にも後継者がいたけれど、いずれも敗北を受け入れずに死んでしまった。最後に産んだ卵は戦争の混乱で行方知れずとなり、当時はまだ眠っていた王女の蛹だけが大切に運び出され、人間たちに保管されていたのだ。その蛹から羽化した王女こそ、ミルティーユだったのだ。

 目覚めたミルティーユは驚愕した。目を覚ましてみれば母は殺され、王国は滅んでおり、人間たちの妖精研究所とかいう怪しげな施設に囚われていたのだから当然だ。けれど、ミルティーユはその経緯と共に他にも王国民たちが囚われていることを知ると、落ち着いて敗北を受け入れ、人間たちに従ったのだという。それは決して彼女に誇りがなかったからではない。最後の女王として、死ぬことを怖がった民を守るためでもあった。こうなったからには新たな世界で生き延びる術を知るしかない。そこで、まずは自分がそのモデルとなったのだ。そんなミルティーユの態度を人間たちは喜んだ。大人しくしていてくれれば蝶の妖精は都合の良い愛玩生物となり得るし、人間たちの好奇心を刺激する存在だった。

 まるで犬や馬を掛け合わせるかのように、人間たちは捕らえた妖精たちを掛け合わせ始め、理想の妖精を誕生させようとし始めた。そのような人間たちの横暴に意を唱えたがる王国民はいたらしい。だが、ミルティーユは言葉を残した。

「耐え忍びましょう。今は希望の種を地中深くに埋めておくのです。未来を思うのであれば、美しく死ぬのではなく泥まみれになってでも生き続けなさい。滅ばぬ限り希望の種はいつの日か芽吹くはずだから」

 その言葉は瞬く間に伝わっていき、多くの蝶たちの忍耐力を支えた。やがて、ミルティーユは人間たちの決めた配合相手と結ばれ、数名の子を産んだ。わたし達の父祖となったエクレールもその一人だが、ビスキュイはさらに後世に強い影響を与えた三人の娘たちについて詳しく教えてくれた。長女フルールは人間たちが選び抜いた従順な妖精を父に持ち、自身もまた従順の母となった。彼女はわたしの母系の祖でもある。次女のファリーヌの父は、自らの才能で人間たちに気に入られた愛嬌ある妖精で、やはりその愛嬌を受け継ぎ、子孫に伝えたという。こちらはビスキュイの母系の祖でもあるらしい。そして、問題となったのが三女のペシュだ。

「ペシュの父親はね、処刑された一角獣の一番弟子だったんだって。次期一角獣とも噂されていた戦士だったとも」

 ビスキュイは言った。

「目の前で敬愛していた師匠を殺されて、その上、人間の武器に蝶の武器は敵わなかった。敵を討つことも出来ず、死ぬことも出来ず、ただ従うしかなかった。そんな無念がきっと娘に乗り移ったんだろうね」

 蛹化前からペシュは人間に対して反抗的な態度をとっていたという。それでも、羽化してしばらくは人間たちも彼女を管理出来ていた。考え抜いて決めた配合相手との間に卵を産ませることができていたし、機嫌を取る方法も心得ていた──はずだったのだが。

「確か、三回目の産卵を終えた時だったかな。ペシュはいつの間にか研究施設の蝶たちを取りまとめて人間たちに反旗を翻したんだ。一角獣の魂を受け継ぐ王女と呼ばれてね。研究所を襲っただけでなく、集団で脱走して、王都を荒らしまわった。その上、王城まで乗り込もうとしたものだから大変な騒ぎになったんだって」

 そして、数日に渡る衝突の末に暴徒化した妖精たちは粛清された。ペシュは生け捕りにされ、王都の中央広場にて民衆に曝される形で処刑されたという。

「この騒動の後はさらに大変だったんだって。王立研究所は閉鎖に追い込まれて、暴動に参加しなかった妖精たちや、卵や蛹まで処分すべきだって声もあがってね。でも、そんな時に妖精たちを守ってくれたのが研究者たちなんだって。どうにか守ってくれたお陰で、他の妖精たちは勿論、ペシュの卵も潰されずに済んだ。そのお陰でその後も良血蝶々は作られていったし、今の僕たちもここにいるんだよ」

 ビスキュイの語る話を聞きながら、わたしは胸の奥にざわざわとしたものを感じていた。もしもその当時の研究者たちが庇ってくれなかったら、今のわたし達はここにいない。そう思うと少し怖かった。だが、何が怖いのだろう。わたしは心の中で改めて考えた。暴動を起こしたペシュなのか、それを処刑した人間たちなのか。そんな流れを作った時代なのか。答えはすぐに見つからない。

 ただ思い浮かんだのは、今ここで豊かな暮らしが出来ている事への感謝だけだった。

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