2.この目で確かめるために

 チョーカーのお陰だろうか。いつもはびくびくしながら歩く王都も、人の目があまり気にならなかった。町行く人間たちは誰もがわたしの姿にぎょっとしたが、首元に視線を向けると納得したように興味を失う。まるで魔法の秘密道具のようだ。しかし、その効力もどうやら光の当たる場所に限られるらしい。記憶と壁に伝わる音を頼りに祈り場を目指しながら進んでいくにつれ、路地裏の日陰の世界が広がっていく。その奥を目指していくにつれ、段々とはわたしはこのチョーカーの存在が逆の意味で気になり始めていた。というのも、通りすがりの野良妖精たちの眼差しが、いつも以上に警戒しているように見えてしまったのだ。

 別に、今に始まったことではない。身なりの良い恰好でここを歩くということは、彼らにとってそれ自体が暴力に等しい行為だ。捨てられたわけでも、見放されたわけでもない良血妖精なんて、ここに暮らす者たちの一部にとっては仲間でも何でもないのだろう。その感情に近いものを度々ジャンジャンブルから感じるが、同じような思いを抱く妖精は何も彼だけではないはずだ。ただ、そうは言ってもわたしの事を既に知っている野良妖精も少なくない。フランボワーズのお墨付きであることと、アンゼリカを捜す協力をしたことを知る者も多くいたらしい。そういった者たちがわたしを見つけると、必ず近寄って話しかけてきた。

「祈り場へ行くんだね?」

 これで五度目だった。話しかけてきたのは褐色の肌を持つ蝶の妖精の老婆で、グリヨットと同じような色の目で心配そうにわたしを見つめていた。静かに頷くと、彼女は目を細めた。

「道は分かるかい? ここを真っすぐ行って──」

「突き当りを右左左右で合っていますか?」

 問いかけると、老婆はにっこりと笑った。

「よく分かっているようだね。だが気を付けるんだよ。この周辺も、ひょっとしたら危ないかもしれない。人間だけでなく同じ妖精の気配にも注意するんだよ」

 彼女の忠告にわたしはしっかりと頷き、歩みだした。この忠告も、同じく五度目だった。誰も彼もがその詳細を語りたがらない。しかし、何を言わんとしているのかは分かった。アンゼリカのことだ。昨日、皆で力を合わせて救い出したはずのアンゼリカの命は、何者かによって踏みにじられた。人間ではない。それはグリヨットの話から察するに確かな事だった。もっと違うもの。もっと恐ろしいもの。蝶の妖精を目にして、真っ先に美味しそうだと思うような者が、アンゼリカの命を奪ったのだ。その証拠に、やっと見つけたアンゼリカの亡骸は悲惨なものだったという。殆ど全ての肉が食い荒らされてしまっていた。

 ──でも顔だけは綺麗で。だから、アンゼリカって分かったの。

 グリヨットが泣きながらそう証言した。しかし、解せない。アンゼリカは祈り場にいたはずだ。病気の妖精たちを休ませるその場所は、玄関より遠い場所にあった。だが、思い返してみれば窓際だった。窓から攫われたのだろうか。いずれにせよ、この事は野良妖精たちを不安に陥れた。あの場所は人間たちも立ち入れない安全な場所のはずだったのに、まさか人間とは全く違う敵が傍にいたなんて。本当に、どうしてこんな事になってしまったのだろう。それを確かめるための歩みだった。

 老婆と確認した通り、祈り場までの道は迷うことなく進めた。そして見慣れた外門と光差す野性味あふれる庭園が見えてきた頃、わたしは屋敷の前にひとりで立っている妖精の姿に気づいた。日に日に白くなっていく美しい銀髪。出会った頃よりいくらか背丈の高くなった彼。ビスキュイだ。気配に気づいて振り返る彼を見て、わたしは真っ先に気づいた。彼の首にもわたしと同じデザインのチョーカーがつけられていたのだ。

「マドレーヌ」

 ビスキュイは笑みを浮かべ、そして彼もわたしのチョーカーに気づくと苦笑を浮かべた。

「お揃いだね」

「うん……」

 頷きつつ、わたしはそっと彼の隣へと向かった。隣に立つとビスキュイはわたしの手を握ってくれた。その感触に勇気づけられながら、わたしはじっと祈り場を見つめた。

「フィナンシエ様、アマンディーヌ様と一緒に注文したのかな。確か色んなデザインがあるんじゃなかったっけ。それなのにお揃いだなんて」

 ぼんやりと呟くと、ビスキュイが透かさず訊ねてきた。

「僕とお揃いは嫌だった?」

「そういうわけじゃないの」

 わたしは慌てて首を振り、彼に笑いかけた。

「ただちょっと気恥ずかしくて。お揃いってこと自体は……嬉しい」

「そっか。良かった。気恥ずかしいのは僕も一緒。なんだかくすぐったいよね。でも、それだけじゃなくて──」

 そう言って、ビスキュイは息を飲みながら祈り場を見つめる。

「後ろめたさも感じてしまうんだ」

 その言葉にわたしもまた頷いた。彼がひとりで佇んでいたのはそのせいだろう。アンゼリカが言っていた言葉を思い出すと、グリヨットたちを含む他の妖精たちはどうなのだろうと思ってしまう。いつ来ても良いとフランボワーズは言っていたが、はたして本当に足を踏み入れていいものなのか。迷いに迷っていると、わたし達が決断するよりも先に屋敷の扉が開かれた。中からババが出てきたと思うと、わたし達の姿を見て目を丸くした。

「お、おお、いつからそこに?」

 そう言って慌てて手招いてくる。有難くそれに従うと、ババは小声でわたし達に言った。

「さてはグリヨットの奴、ちゃんと伝えてなかったな?」

「ちゃんと?」

 ビスキュイが問い返すと、ババは深刻な表情で頷いた。

「この辺りは危険区域となった。アンゼリカを攫った肉食妖精が何処にいるかも分からないからね。だから、しばらくは安全なお家に居た方がいいと伝えることになっていたんだ」

 その言葉にわたしもビスキュイも顔を見合わせた。恐らく、グリヨットからアンゼリカの事を聞いたのはビスキュイも同じはずだ。しかし、ババの言ったことはわたしと同じく聞いていなかったのだろう。彼の表情からそう察しつつも、わたしは昨夜のグリヨットの姿を思い出して、すぐにババに向かって彼女を擁護した。

「グリヨットを責めないであげて。動揺していたから」

 すると、彼は少しだけ表情を和らげて頷いた。

「まあ、そうかも知れないな。任せっぱなしにした俺たちも悪い。しかしまあ、来ちまったもんも仕方ない。マドレーヌ、それにビスキュイ。中に入りなさい」

 招かれるままに中へと入ると、そこにはちょうどヴァニーユもいた。ババは彼女に顔を向けると、早口で言った。

「俺は巡回に行ってくる。ヴァニーユ、しばらく二人を頼んだ。巡回が終わったら、俺が家まで送り届けるから」

「分かりました。どうかお気をつけて」

 警戒心に満ちたヴァニーユの言葉に頷いて、ババはそのまま行ってしまった。その背が見えなくなるまで見送っている間、わたしもビスキュイもそしてヴァニーユも無言だった。やがて、彼が見えなくなるとヴァニーユが沈黙を破り、わたし達に囁いた。

「アンゼリカの事を聞いてきたのですね?」

 悲しそうなその顔を身上げ、わたし達は頷く。そして、ビスキュイが躊躇いがちに訊ねた。

「本当なんだよね?」

 グリヨットを、そして皆を疑っているわけではない。しかし、何度であろうと、この信じられない出来事の真偽を確かめずにはいられない気持ちはわたしもまたビスキュイと同じだった。ヴァニーユはそんなわたし達を憐れむように見つめ、静かに頷いた。

「本当ですよ」

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