4.雌花たちへの祈り

 カモミーユの名前を伝えると、祈りの時間はすぐに始まった。無教養なわたしの知らない言語だったらどうしようかと心配したものの、幸いな事にルリジューズの祈りはわたしにも馴染みのあるこの国の言葉で唱えられた。内容は、どうやら花の妖精の女性たちに向けたものらしい。手を組んで耳を傾けていると、ルリジューズの歌うようなその祈りの言葉が心身に馴染んでくると、段々と涙がこみ上げてきた。

 この祈りはいつからあるのだろう。こんなにも花の妖精たちに寄り添った祈りがあるなんて知らなかった。ルリジューズが祈っていたのは、カモミーユのようにお産で亡くなった女性たちのための祈りだった。ルリジューズの声を借りて語っているのは彼女らに遺されてしまった者──つまり、今で言えばわたし達なのだろう。

 ビスキュイは妖精の魂は自然に帰り、思い出がわたし達の中に残り続けると言っていたけれど、まさにその通りの内容が祈りに込められていた。聞いていると胸の奥底に沁み込んでいき、ちくりと痛む。けれど、その痛みが何故か心地良く、ずっと聞いていたくなるような気分になる。これが妖精の祈り。修道蝶々の生み出す世界なのだと思うと、人間たちが彼らに対し自分たちのために祈らせたのも納得がいく。けれど、これらはかつてわたし達のものだった。人間を恨んでいるわけではないけれど、悲しみを癒す心地良さを知れば知るほど、そんな事実を強く意識してしまった。カモミーユへの祈りはそれほどまでに丁寧で、身近なものに感じられたのだ。

 かつて、王国があった頃だって、花の妖精はわたし達のような蝶の妖精に支配されていた。カモミーユはわたし達の事を悪く言わなかったけれど、やっていたことは人間たちがわたし達にしている事と変わらなかっただろう。けれど、ルリジューズの祈りを聞いていると、どうしても根本的な部分で違いがあるのではないかと思ってしまった。わたし達は花の妖精を支配したが、同じ妖精であることを分かっていた。しかし、妖精は人間ではない。人間もまた妖精ではない。人間たちにとって、わたし達はどのような生き物に見えているのだろうか。妖精に魂はあるのか。ないと信じる人間は勿論、あると信じる人間もまた、自分たちと同じものだとは思っていないのではないだろうか。フィナンシエの愛を疑うつもりは微塵もない。けれど、そんなすれ違いをわたしは初めて感じてしまったのだ。

 シャルロットは今頃、どうしているだろう。カモミーユが死んでしまって、とても落ち込んだと言っていた。それでは、今のわたし達のようにきちんと弔ってくれているのだろうか。何となくではあるけれど、そうではないような気がした。仮に弔っているとしても、ルリジューズがするような祈りではないだろう。この祈りは妖精が唱えるためのものだ。妖精の目線で生まれたものだ。触れれば触れるほどその背景が見えてくるようだった。

 わたし達の先祖はこのように仲間の死を悼んでいた。何となく聞いたことはあった過去の話が、より身近に感じられた。その上で、わたしはルリジューズの祈りの言葉を聞きながら、フィナンシエの屋敷でしたように、心の中にいるカモミーユに対して祈りを捧げた。語ることはさっきと同じだ。けれど、気持ちの問題だろうか。さっきよりもより正確に祈る事が出来ているように思えてならなかった。きっと今度はカモミーユにも伝わっただろう。その実感が安堵をもたらし、わたしは次第に胸の痛みが引いていくのを感じた。ちょうどその頃になって、ルリジューズの祈りは終わった。

「少しは気が休まりましたか?」

 その静かな声掛けに、わたしはおずおずと頷いた。

「はい」

 そして、やはり嘘はつけず、付け加えた。

「少しは」

 それでも、フィナンシエの屋敷の時よりはだいぶ気持ちが軽くなった。急に全てが軽くなるなんてことはないだろう。だって、どんなに向き合おうとしたところで、今のわたしはやっぱり心の何処かでカモミーユの死が嘘であるという希望を抱いていたし、再会を願っていたから。そんなわたしの正直な答えを聞くと、ルリジューズは口元に笑みを浮かべた。

「少しはお役に立てたのならば幸いです。けれど、どうか無理はしないように。また祈りたいと思った時は、遠慮なくいらっしゃい。ここは全ての蝶の為の場所。帰る家があろうとなかろうと、私は拒んだりしませんよ」

 温かいその言葉に、わたしは堪らず泣いてしまった。ビスキュイがすぐに寄り添ってくれた。背中を撫でられながら、必死に心を落ち着けようとしていると、ルリジューズは小さな声でノワゼットの名を呼んだ。そして、わたし達の方を向いて、ルリジューズは言った。

「祈りはこれで終わりです。私は別室におりますが、気持ちが落ち着くまでここにいても構いませんよ」

 そして、ノワゼットに手を引かれて歩みだした。ノワゼットはルリジューズの手を引きながら、隅で一緒に祈っていたグリヨットをやや厳しめな眼差しで振り返った。

「グリヨット。最後まで責任を持って送り届けるのよ」

「分かっているよ……」

 グリヨットがしゅんとしている間に、ノワゼットはルリジューズを連れて出て行ってしまった。二人が出て行ってしまうと、急に静かになった気がした。それでも、最初にここに入った時とは違う雰囲気に満たされている気がした。神聖で、なおかつ馴染み深い場所に感じた。

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