2.廃屋の祈り場

 物怖じすることなくグリヨットは屋敷の扉を開け、そして中に向かって大きく叫んだ。

「ねえ、ルリジューズ!」

 一緒にいるわたしやビスキュイが驚いてしまうような大声だった。だが、返事はない。誰もいないのだろうかと不安になった矢先、微かにだが遠くから足音が聞こえてきた。静かに待っていると玄関ホールの右端の小さな扉が開いて、そこから妖精の女性が現れた。黒い髪にヘーゼルの目。それだけでも良血妖精にはあまりいないと分かる特徴だったが、さらに決定的だったのは背中の翅だった。恐らく、先ほど目にしたババのように背中の開いた服を着ているのだろう。グリヨットのように服にすっぽりと隠れる程度ではない、少し大きめの蝶の翅だ。漆黒で、きちんと形になっている。さすがに絵画で見るようなミルティーユなどのそれよりもだいぶ小さいけれど、それでもだいぶ物珍しかった。いや、それだけじゃない。黒い蝶の翅だ。おまけに黒い髪。目は青くはないけれど、ビスキュイが言っていた修道蝶々の特徴と一致する。

 固唾を飲むなか、グリヨットが彼女に向かって声をかけた。

「ねえ、ノワゼット。ルリジューズはいないの?」

 すると、ノワゼットと呼ばれた彼女は腕を組み、わたしとビスキュイにその目を向けてきた。良血でないにしてもだいぶ綺麗な顔をしている。グリヨットのように愛嬌があるというのではなく、十分美しかった。しかし、その美しさをもって睨まれると、怖さが増すというもの。ノワゼットのひと睨みで、わたしもビスキュイもすっかり気圧されてしまった。

「答えるかどうかは用件によるわね。ルリジューズに何の用?」

 ツンとしたその態度は、まるでシュセットのようでもある。きっと修道蝶々だけでなく、ペシュの血も引いているのだろう。だが、グリヨットは動じていなかった。ヴェルジョワーズの屋敷で見かけた時もそうだったけれど、この何事にも全く怯むことのないグリヨットの図太さは、わたしも見習うべきところがあるかもしれない。

「ああ、ごめん。あのね、この二人にきちんとしたお祈りをさせてあげたいんだ」

 グリヨットが無邪気にそう言うと、ノワゼットは首を傾げた。

「お祈り?」

 こちらを窺うように見つめて来るノワゼットの眼差しに、わたしは勇気を出して頷き、自ら口を開いた。

「仲良くしていた花の妖精が……その……死んでしまって。きちんと弔う方法があるってグリヨットが教えてくれて……」

 正直に話すと、ノワゼットの表情が少しだけ和らいだ気がした。しばらく無言で何かを考えてから、小さくため息を吐いた。そして、腕を組んだまま観念したように表情を緩めると、彼女は言った。

「分かった。ルリジューズを呼んでくるわ。……ああ、その前に、あなた達の名前を聞かないと。私はノワゼットよ。修道蝶々の見習いで、ルリジューズの一番弟子なの。きちんとしたお祈りはルリジューズが出来るわ。でも、彼女に何か用事がある時は、私を通してもらうことになっているの。覚えておいてね」

 優しいけれど、やや厳しさもある。そんな口調に緊張しつつ、わたしは頷いてから答えた。

「わたしはマドレーヌです。それで、こっちは──」

「ビスキュイです。どうぞよろしく」

 そう言ってビスキュイは握手の為に手を伸ばそうとしたが、ノワゼットがこちらに近づいてくることはなかった。ただじっとわたし達を見つめ、冷めた声で言った。

「マドレーヌにビスキュイね。覚えておくわ。二人とも見るからにいい身なりね。きっと良い血を引くお方々なのでしょう。でも、ここでは私たちのルールに従ってもらうから、そのつもりでいてね」

 そう言い残すと、ノワゼットはそのまま来た道を戻っていった。扉をばたんと閉められて、わたしもビスキュイもすっかり怯んでしまった。茫然と彼女のいた場所を見つめていると、グリヨットがそっと声をかけてきた。

「ノワゼットはああ見えて、結構話の分かるお姉さんなんだよ。お祈りしたい時は遠慮なく言ってみるといいよ」

 その言葉に素直に頷くも、わたしは少々参ってしまった。野良妖精の世界はわたしの慣れ親しんだ世界とだいぶ違うように感じる。あまり恵まれていないというだけではなく、妖精同士の付き合い自体もどこか殺伐としているような、馴染みのないようなものに思えてしまった。グリヨットのような物怖じしない性格でないと、やっていけないのではないだろうか。そう思うと、わたしは良血蝶々に生まれてよかったと感じてしまった。当然ながらサヴァランではなくフィナンシエの妖精となることが前提だけれど。

「はあ、ちょっと緊張するな」

 ビスキュイがふとそう言った。彼の緊張は今も握ったままの手から伝わってくる。わたしもきっと同じように緊張が彼に伝わっているだろう。けれど、グリヨットだけはきょとんとしていた。

「え、緊張する? どうして?」

 そんな彼女に呆れたようにビスキュイは苦笑した。

「そうだね。たぶん、僕もマドレーヌも君みたいに肝っ玉じゃないってことかも」

 彼の言葉にわたしもまた苦笑してしまった。同感だったからこそ、少しは安心した。ビスキュイも同じように思っているのは嬉しいことだ。お祈りが終わったら、さっさと帰ろう。日が暮れないうちに帰って、フィナンシエに頭を下げないと。そんな事を思い始めた頃、先ほどよりもだいぶ遅い足音が聞こえてきた。一人分ではない。話し声も聞こえてくる。やがて足音は少しずつ近づいてきて、ノワゼットがさっき現れた時と同じ扉が開かれた。

 真っ先に目に映ったのはノワゼットだ。だが、彼女に手を引かれて、もう一人の人物──ルリジューズと思しきその女性は現れた。黒いまとめ髪に、すらりとした体形。黒く美しいその服は、かつてここで暮らした人間のものだろうか。背中に翅はないものの、雰囲気でわたし達の仲間だと分かった。恐らく彼女は良血蝶々だ。些細な立ち振る舞いが、ノワゼットやグリヨットとは全く違う。わたしやビスキュイと同じように人間に仕込まれている。そう分かったのはいいけれど、わたしは彼女を凝視してしまった。

 想像していたのと違った点が一つあった。その顔。厳密には両目が、黒い布で隠されていたのだ。

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