4.伝説の一角獣

 ここへ来て一週間、生家の懐かしさは感じたものの、帰りたいとまでは思わなかったのは、きっと与えられた部屋の居心地が良かったからだろう。同じ母から生まれた兄弟姉妹たちとの相部屋は、それはそれで賑やかで楽しかったけれど、一人でゆっくりするという機会には全く恵まれなかった。もちろん、ひとりぼっちの寂しさはある。けれど、その寂しさを紛らわせるほどの美しさがこの部屋にはあった。天蓋付きのベッドはとにかく寝心地がよかったし、硝子張りの壁から眺められる庭の景色はいつ見てもうっとりするほど美しい。宵闇に心細さを感じてきたら、分厚いカーテンがわたしを守ってくれる。けれど何と言っても初めてのお客様に自慢したかったのは、わたしの寂しさを埋めてくれる素敵な一角獣のぬいぐるみだった。

「可愛いね」

 ベッドでお留守番をしていたそのぬいぐるみ抱き上げると、お客様──ビスキュイは真っ先に褒めてくれた。

「一角獣。それってやっぱり、あの伝説に因んで?」

 そんな彼の問いに首を傾げたちょうどその時、重なるようにしてアマンディーヌの声が聞こえてきた。

「とっても素敵な部屋よ。特に言う事もないし、これでいいんじゃないかしら」

「そっか、それは良かった。あ、ああ、でも、今後も事あるごとに家具を変えたり、色々したいと思っているんだけれど……良かったらその案もあっちの部屋でじっくり聞いてくれないかな? おかしな所や蝶の妖精に相応しくないって思う点があったらぜひとも教えてほしいのだけれど」

「いいわ、教えてあげる。……ビスキュイ、いい子で待っているのよ」

「はい、分かりました」

 ビスキュイが明快な返事をすると、二人の主人は別室へと移動してしまった。しばらく開け放たれたままの扉を眺めていたが、ふと思い出して、わたしはビスキュイにそっと訊ねた。

「伝説って何?」

 すると、ビスキュイもまた我に返ったようにこちらを見つめてきた。

「あ……ああ、そっか、マドレーヌは知らないんだね。そう言えば、僕もアマンディーヌ様に教えて貰うまでは知らなかったっけ。えっとね、一角獣は僕たちの守り神なんだよ」

「そうなの……全然知らなかった」

「だよね。僕も習ったことなかったもの。でも、アマンディーヌ様が言っていたんだ。蝶の王国の神話にたくさん出てくるんだって。僕たちのご先祖様は誰もが一角獣の出てくる物語を知っていて、いつでも話せたらしいのだけれど、僕たちの背中から蝶の翅が消えてしまう頃には、その伝統も廃れてしまったんだって。でも、人間たちはちゃんと覚えているから、蝶の妖精には一角獣がモチーフのものを持たせるものなんだって」

「へえ、そうなんだ」

 ビスキュイの話を聞いて、わたしは改めて一角獣のぬいぐるみを見つめた。ふわふわして可愛い子猫のような印象だったのだが、こうして見てみると頼もしい用心棒に見えてくるから不思議なものだ。まじまじとぬいぐるみを見つめ続けるわたしに対し、ビスキュイはさらに語った。

「そうそう、一角獣ってね、かつて蝶の王国にいた最高位の戦士の名前でもあったんだって。特別な聖槍を手に、蝶の女王様を一番近くでお守りしてきた方々なんだよ。歴代の一角獣の中には、女王様のお父さんになった妖精もいるんだって」

「そっか」

 わたしは一つ頷いて、ビスキュイに笑いかけた。

「じゃあ、一角獣はわたし達のご先祖様でもあるんだね」

 すると、ビスキュイは嬉しそうに笑ってくれた。

「よかった。やっぱりそれはちゃんと習っていたんだね。そうだよ。歴代の女王様の末裔である僕たちにとって、一角獣は守り神であってご先祖様でもある。でも、なんだか不思議な感じがするよね。命を懸けて国を守った妖精の血が僕たちにも流れているって思うと」

「──そうだね」

 彼の言葉にわたしは静かに同意した。

 蝶の王国はもう何処にもない。二百年以上も昔に滅んでしまったからだ。人間たちとの大きな戦争が起こって、わたし達の先祖は負けてしまった。その時点でわたし達の血も途絶えていたかもしれないのだ。けれど、人間たちは不思議なことに、わたし達に新しい価値観を見出した。その結果、女王と歯向かう者たちのみが処刑され、それ以外の王国民や蛹や卵は人間の世界に連れ帰られた。それが、わたし達、良血妖精の始まりだと教わった。

 王国があった時代は欲望のままに血を交え、増えていったわけだけれど、良血妖精は違う。人間たちの熟考とひらめきと好奇心の結晶としてわたし達は生まれ、繁栄し、淘汰されていく。それが二百年も重なると、洗練された血はもはや奴隷などではなく価値ある美術品と同等以上のものになった。羽化してまだ数年と経たない小娘ではあるけれど、それでもわたしには良血蝶々として誕生したプライドがあった。恐らくビスキュイだってそうだろう。そうでなければ、こんなに気品ある振る舞いを心がけたりはしない。アマンディーヌへの振る舞い一つを取ったって、彼が誇りある良血蝶々であることは明白だった。かつてはあったという美しく立派な蝶の翅は品種改良の末に失ってしまったけれど、女王の血を継ぐ者としてのプライドは失うどころか強調されたかもしれない。

 けれど、そうであっても、滅んだ王国の事を想像し続けると気が滅入った。何故なら、うっかり想像してしまうのだ。もしも、過去の戦争で負けていなかったら、そもそも、人間との戦争なんてものがなかったら、わたし達は今頃、どのように暮らしていたのだろうかと。これは良くない事だ。良血蝶々として、はしたない事でもある。多分、同じような思いと恐れを抱いたのだろう。わたしと同じく物思いに耽っていたビスキュイが、我に返り、わたしを見つめてきた。

「ごめん、ちょっと考え込んじゃってた」

 そんな彼の愛嬌ある笑みに親しみを感じつつ、わたしはベッドへと座り込んだ。ビスキュイに隣に座るよう促すと、しばらく見つめ合って、そしてふと、不思議な気持ちに浸ってしまった。こんなに間近で兄弟姉妹以外の仲間と接するのは初めてだ。それも二人きりで。緊張と違和感と、ほんのちょっとの好奇心で胸がどきどきした。そんなわたしの手を、ビスキュイはふいにぎゅっと握ってきた。だが、わたしが驚いたせいか、ビスキュイは慌てて手を放し、小さな声で「ごめん」と呟くように言った。

「気にしないで」

 わたしはすぐにそう言ったが、居たたまれなさは解消されなかった。何を話そう。どうしたら、この空気を壊せるだろうか。たった今、守護神だと聞いた一角獣のぬいぐるみを抱きしめ、心の中で相談してみた。だが、確かな助言を貰えることはなかった。

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