8.同じ妖精として

 集会が終わり、集まっていた妖精たちが次々に帰っていく。あれだけぎゅうぎゅうだった広場もすっかり閑散とし、あっという間に静寂が訪れた。残されたのは今やルリジューズ達と、フランボワーズ達だけになっていた。わたしはじっと機会を窺っていた。少なくとも、グリヨットの号令が出るまでは、油断しない方がいいだろう。そんな事を勝手に思っていると、グリヨットから指示が出る前に屋敷の玄関扉が開かれた。驚いて振り返ると、ババがひょっこりと顔を出してきた。

「そろそろいいぞ」

 彼の言葉にグリヨットは頷き、マドレーヌ達を振り返った。

「もう立っても大丈夫だよ」

 その言葉で、わたしもビスキュイもようやく立ち上がる事が出来た。ずっと跪いていたせいか、足が痺れてしまう。凝ってしまった身体をうんと伸ばして解していると、グリヨットもまた同じように身体を伸ばしながら、わたし達に言った。

「さっきも言った通り、これからフランボワーズ様にご挨拶に行くからね。くれぐれも失礼のないようにね」

 突然そんな事を言われ、わたしは思わず姿勢を正してしまった。何と言っても野良妖精たちの女王だ。フィナンシエと同等か、それ以上の振る舞いで向き合わないといけないだろう。しかし、相手は人間じゃない。身分ある妖精への正しい礼儀というものは、わたしは学んだことがなかった。それは恐らくビスキュイも同じだろう。彼はもじもじとしはじめ、グリヨットにそっと訊ねた。

「それって絶対にしなきゃ駄目?」

 グリヨットは首を傾げた。どうやら、何でわたし達が緊張しているのか分からないらしい。

「これから先、またここへ来ることがあるかもしれないでしょう? そういう時に、フランボワーズ様のお墨付きって分かるだけでも仲間たちの態度は違うものなんだ。二人の事を警戒する妖精もぐっと減るから絶対しておいた方がいいと思うけどな」

「わ、分かった。それならするよ」

 ビスキュイに続いて、わたしもまた頷いた。緊張はするけれど、グリヨットがそう言うのならば従うべきだろう。野良妖精のルールは野良妖精にしか分からないのだから。だが、わたし達の同意を得ると、グリヨットはにっこりと笑い、そのまま駆けだしていってしまった。わたしもビスキュイもぎょっとして後を追った。覚悟が決まりきらないうちに、グリヨットはフランボワーズたちのいる場所へと駆けていく。そして、フランボワーズその人に恐れもせずに話しかけた。

 愛嬌と無邪気さに満ち溢れたグリヨットのその態度は、わたしのイメージする失礼のない態度とは少し違ったものの、それもまた野良妖精の常識なのか誰一人咎めることはなかった。フランボワーズ本人も落ち着いた様子でグリヨットの話を聞いてやると、すっとわたし達を見つめてきた。槍を持っているせいか、わたしはその視線に怯えを感じてしまった。女王のような、一角獣のような、とにかく尊い存在に思えてならない。ビスキュイもまた立ち止まるわたしを見て、同じく立ち止まってしまった。

 だが、そこへグリヨットの明るい声が響いた。

「おいでよ! 早く早く!」

 手招いてくる彼女の態度に勇気づけられ、わたし達は再び歩みだすことが出来た。ようやく近くまで到達すると、待ちきれなかったのかグリヨットは駆け寄ってきて、わたしの手を握って紹介を始めた。

「マドレーヌとビスキュイっていうの」

 どうやらフランボワーズに向けてのものらしい。

「お友達の花の妖精が亡くなって、お祈りしたそうだったから、あたしが連れてきたの。それで、またここに来ることもあるかもしれないから、フランボワーズ様にご挨拶した方がいいかもってことになって」

 グリヨットの言葉を落ち着いた様子で聞くと、フランボワーズはわたし達に向かって微笑みかけてきた。

「そうか。事情は分かった」

 栗色の髪と菫色の目はわたしと同じだ。良血蝶々に多いこの特徴は、ミルティーユから受け継いでいると聞いている。同じ血を引いているのは確かだ。けれど、背中の立派な翅があるかないかでわたし達とはだいぶ違う。いや、背中の翅なんて関係ないかもしれない。彼女に宿るオーラには、わたし達が失った何かを持っている気がした。その何かの正体については、まだちょっと分からない。ただ、ミルティーユの絵画からも感じ取れるような類のものだ。そこに寂しさと切なさを感じつつも、わたしは静かにお辞儀をしてみせた。良血蝶々流の礼儀であっても、伝わってくれることを願って。

「初めまして、マドレーヌと申します」

 そんなわたしに倣って、ビスキュイもまた丁寧にお辞儀をした。

「僕はビスキュイです。お目にかかれて光栄です」

 相手が人間である時の作法でもある。妖精相手にしたことはない。しかし、この場合は間違ってはいないだろう。心からそう思ったからこそ、わたしもビスキュイもごく自然にその挨拶が出来た。しかし、やはり良血蝶々流の挨拶は馴染みが薄いのだろう。グリヨットは不思議そうな顔をしていたし、フランボワーズの後ろに控えたジャンジャンブルは蔑むような目でわたし達を見つめていた。他の妖精たちも同じ。その場にいたルリジューズ以外の妖精たちは、誰も彼もどう受け止めるべきか迷っている様子だった。

 けれど、フランボワーズは違った。彼女だけは挨拶をきちんと返してきた。わたしやビスキュイのような挨拶ではない。妖精に挨拶された人間がするような振る舞いだったが、あまりに相応しく感じたので、わたしは驚いてしまった。

「フランボワーズだ。人間たちに忘れ去られた王都の片隅で、妖精の女王の真似事をしている双子の片割れとでも覚えておいてくれ」

「フランボワーズ様! そのようなことを──」

 ジャンジャンブルが透かさず声をあげたが、フランボワーズは軽快に笑った。

「冗談だよ。このように人間たちの望まない姿をしているが、私もまた君たち良血蝶々と同じくミルティーユの直系子孫にあたる。君たちとは遠い親戚のようなものだね」

「……親戚」

 優しく語るフランボワーズに、わたしはのぼせ上がった。誰が何を言おうと、野良妖精たちにとって女王に違いない彼女にそんな事を言われるなんて、光栄に他ならなかった。わたしもビスキュイもその照れと緊張でもじもじしていると、グリヨットが明るい声でフランボワーズに言った。

「ねえ、フランボワーズ様。この二人もあたし達の仲間だよね? そうだよね?」

 無邪気なその問いに、ジャンジャンブルが苦言を呈そうとした。だが、フランボワーズはそれを止めて、代わりに頷いた。

「ああ、間違いない。同じ祖先から生まれた同じ妖精なのだ。仲間でないはずもない」

「じゃあ、この二人にもあたし達のこと、もっとお話してもいい?」

「グリヨットのしたいようにしていい」

 フランボワーズは落ち着いた声でそう言った。そして、わたし達に視線を向け直すと、やや真面目な表情で告げた。

「君たちのことは私から皆に伝えておくから安心するといい。いつでもお祈りに来なさい。その上で、耳に入れておいてほしい事がある。私たちの世界には、さまざまな背景で誕生した妖精たちがいる。ごく自然な恋の果てに生まれた者もいれば、君たちのように人間たちの計算により生み出されたはずの者もいる。ここは全ての蝶や花たちの帰る場所でもあるのだ。もしも君たちが新しい居場所を求めることがあれば、その時は私の名を思い出しなさい。私たちは血を分けた兄弟姉妹として、いつでも君たちを歓迎する」

 フランボワーズの力強い言葉に、わたしもビスキュイも圧倒されていた。この場において、その言葉に依存があるのは、どうやらジャンジャンブルだけのようだ。そのジャンジャンブルもまた、フランボワーズには強く言えないのだろう。不満を噛み潰すような顔をして黙り込んでいた。ジャンジャンブルが何も言わない以上、フランボワーズの許可を阻む者なんていなかった。

 新しい居場所、その可能性が出来た喜びを、お陰でわたしは素直に味わえた。フィナンシエに追い出されるということは想像できないが、フィナンシエに何かが起こり、家を追われるということはあるかもしれない。そんな未来の不安のためにも、この約束は大事に胸にしまっておこう。

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