9.声を頼りに

 わたし達の申し出に、ババは困惑したようだった。それもそうだろう。彼らにとって今のわたし達はまだ数回しか顔を見せたことがない、足手まといのお客さんだ。野良妖精たちの世界の地理すら頭に入っていないわたし達に何が出来るというのか。しかし、出来るという自信がわたし達にはあった。その自信をくれたのは、グリヨットだ。

「目は多い方がいいし、”声”も多い方がいいでしょう?」

 ビスキュイがそう言うと、傍で聞いていたジャンジャンブルが不満そうに唸った。

「だからと言って、良血さんのお力なんぞ意味はない。だいたい、お前さんたち、”声”の使い方は分かっているのか? 良血さんが人間たちにどう躾けられているか知らないとでも思っているのかね?」

「ジャンジャンブル」

 クレモンティーヌの咎める声で彼は一応黙った。けれど、いまだにわたし達のことは信用していないらしく、恐ろしい顔で睨んできている。その視線に怯んでしまったものの、クレモンティーヌがすぐに落ち着いた声でわたし達に向かって語り掛けてくれた。

「あなた方のお気持ちは分かりました。けれど、いいですか。私たちの世界は厳しさに満ち溢れています。あなた方に何かあったならばどんな状況だろうと妹はきっと命を懸けて救おうとするでしょう。けれど、私は違います。状況次第では見放すこともあります。それでも宜しいですか?」

 突き放すような言葉だった。けれど、ビスキュイは怖気づかなかった。そんな彼に密かに勇気を貰いながら、わたしは深呼吸をして、彼女に答えた。

「大丈夫です」

 そして、わたしは自信を持って彼らに言った。

「ご存知の通り、わたしは飼われた身です。何かあっても主人はきっとわたしを迎えに来てくれるはず。そう信じているからこそ、安全な場所で身を隠すことは出来ません。何かあった時の囮くらいにはなれるはずです」

「僕も同じ気持ちです。何かあっても恨んだりしません」

 わたしとビスキュイの言葉を聞いて、クレモンティーヌは静かに頷いた。

「分かりました。覚悟の上でしたら私から申すことはありません。あなた方の力をぜひともお貸しください」

 彼女の許可が下りると、もう誰も咎めるような者はいなかった。ジャンジャンブルは押し黙り、グリヨットやババも顔を見合わせた後、わたし達ふたりに向かって頷いた。

 こうして、アンゼリカの捜索は始まった。フランボワーズが何処を探しているかは分からなかったが、ババに率いられたわたし達は、手分けして路地裏を彷徨い続けた。時折、壁に手を突いて声を発する。内容はどれもアンゼリカを呼ぶ声だった。

 しばらく捜索を続けていると、声のやり取りに新たな人物が混じるようになった。フランボワーズのようだ。彼女もまたアンゼリカを見つけられずにいた。人間に見つからない程度に空を飛び、地上からは死角になっているような場所も探しているらしい。しかし、アンゼリカの姿は全く見つからない様子だった。

 不安は次第に大きくなっていく。アンゼリカがこの声に気づいていないというのも怖い事だ。聞けないような状況にいるのではないか。または聞いていても声を返す余裕がないのではないか。探しても、探しても、見つからない中、焦りばかりが生まれてしまう。

「僕たちも二手に分かれた方がいいかもね」

 やがてビスキュイがそんな事を言ったのをきっかけに、わたし達もそれぞれ分かれてアンゼリカの手がかりを探し始めた。一人きりで進む路地裏は怖い。けれど、壁に手を突けば、誰かしらの声が伝わってくるから少しは安心できた。ここにアンゼリカ自身の返事が加われば言う事なしなのだが。そう思いながら、わたしはとにかく先へと進んだ。

 声はあらゆる情報を伝えてくれる。妖精同士の声だけではない。表通りの騒々しさもまた、情報として伝わってきた。きっとこの音を頼りに野良妖精たちは安全を確保しているのだろう。グリヨットとの秘密の会話がこんなに役に立つとは思わなかった。子供の頃に封じられた遊びが、広い世界に通じているなんて思いもしなかった。その事を実感しながら進み続けてしばらく。少し疲れて転びかけてしまい、地面に手を突いたその瞬間、わたしの手は別の声を捉えた。

『誰か……』

 一瞬だけ聞こえたその声に、わたしは息を飲んだ。服が汚れるのを厭わずに石畳の地面に額をくっつけてみると、声はより鮮明に伝わってきた。

『誰か助けて!』

 アンゼリカだ。間違いない。彼女の声だった。あれほど聞こえなかった彼女の声が、地面伝いに聞こえてくる。それも、わたしがいる位置から近いらしい。

『アンゼリカ?』

 声をかけてみると、すぐに返事は来た。

『誰? 誰でもいい。お願いこっちに来て……』

 悲痛な声だった。わたしは地面に手を突きながらその場を行き来して、アンゼリカに声を送り続けた。そして、返答の大きさを頼りに位置を探ると、そのまま進んでいった。自信はあまりなかった。声を操るにはあまりに時間が足りない。何せ、グリヨットに思い出させて貰う前は、蛹化前の子供時代に遊んだきりなのだから。しかし、どうやらわたしの勘は当たったようで、迷路のような路地裏を曲がり続けていると、妖精からすら忘れ去られたような暗い通りの真ん中に、倒れている妖精の姿を見つけた。間違いなくそれは、アンゼリカだった。

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