8.演説の中止

 フランボワーズの演説は、前に聞いた時と同じくルリジューズの暮らしている祈り場の庭園で行われる。行くのは三度目となるその場所だが、やはり道は複雑で覚えていなかった。しかし、記憶を頼りにどうにか路地の裏の裏へと進んでいくと、それらしき世界は広がり始め、程なくして野良と思しき翅有蝶々たちの姿をちらほら見かけた。いずれも見知らぬ者たちだった。けれど、怖がっている場合ではない。わたしはビスキュイと手を繋いだまま、二人一緒に勇気を出して話しかけた。

「あの、すみません……」

 わたしが声をかけると、彼らは睨みつけるようにこちらを振り返った。きっと良血を警戒しているのだろう。けれど、幸いにも返事はしてくれた。

「なんだい。表通りならあっちだよ」

 警戒しているだけのようだ。少し安心したところで、隣にいたビスキュイが声をかけた。

「僕たち、フランボワーズ様の演説を聞きに行くところなんですが、道に迷っちゃって」

 すると、その場にいた翅有蝶々たちは顔を見合わせると、あからさまに面倒臭そうな顔をしつつも、丁寧に教えてくれた。

「この道をこっちに真っすぐだ。その後、突き当りを右左左右と曲がっていくんだよ。そしたら目的地さ。場所は分かっているんだね?」

「ルリジューズの祈り場ですよね?」

 わたしの問いに、翅有蝶々の一人が少しだけ警戒心を解いたような笑みを向けてきた。

「ああ、その通りだ。いいかい、人間には気をつけな。さっき収容所の連中がいた」

「分かりました。ありがとうございます」

 礼を言うと、わたし達はすぐに駆けだした。真っすぐ行って突き当りを右左左右。大した目印も何もないその道は、合っているかどうかさえ分からなくてだいぶ怖かった。けれど、最後の曲がり角を曲がった途端、見覚えのある門と景色が目に入って、だいぶほっとした。一刻も早く暗闇から逃れたくて、わたし達は走った。そして、門から庭へと入ったちょうどその時、屋敷の扉が開き、中からグリヨットたちが出てきた。グリヨットはすぐにわたし達の姿に気づくと、目を丸くして手をあげた。

「あれ、マドレーヌ。それにビスキュイまで」

「グリヨット!」

 その名を呼び、わたしは駆け寄った。ババも一緒だ。他にも何名かの顔見知りがいるようだった。

「来ちゃった。演説を聞きたくて」

 ビスキュイがそう言うと、グリヨットは俯いてしまった。

「そっか。あたしが教えたもんね。……ごめん、二人とも。実は今日の演説は中止になっちゃったの」

「え、中止?」

 思わず問い返すと、共にいたババが教えてくれた。

「今日は朝から収容所の職員たちがうろついていてね。この辺りまでは入ってこられないはずだが、それぞれの拠点を集団で移動するのは危険だとクレモンティーヌ様が判断されたのだよ」

「今、シトロンたちが手分けして皆に伝えに行っているの。帰りが遅いからあたしたちも手伝おうかなって言っていたところで」

 グリヨットの言葉を聞いて、わたしはふと祈り場の中を覗いた。中にはクレモンティーヌとフランボワーズがいた。ジャンジャンブルと共にルリジューズたちに向かって何かを話している。込み入った話のようで、余所者のわたしはとても聞き耳を立てられなかった。

「そういうわけだから、悪いが今日は早いうちに帰ったほうがいい」

 ババの言葉を受けて、わたしはビスキュイと目を合わせた。せっかくだが、仕方のないことだ。だが、大人しく頷こうとしたその時、遠くから大きな声が聞こえてきた。

「おーい!」

 驚いて振り向くと、路地から庭に向かってシトロンが飛び込んできた。他にも数名の野良妖精たちがいる。おそらく、演説の中止を伝えに言っていた者達だろう。しかし、ただ戻ってきたわけではない。その慌てた様子に、わたし達だけではなく、祈り場の中にいたクレモンティーヌたちも話を中断してシトロンたちへと目を向けた。その間にシトロンは祈り場に向かって駆け込み、たどり着くと同時に倒れ伏してしまった。尋常でない慌てぶりにグリヨットが恐る恐る声をかけた。

「どうしたの、シトロン」

 すると、シトロンは息を整えながら顔をあげ、叫ぶように答えた。

「アンゼリカが……いなくなったんだ……」

 その言葉に、周囲の空気が凍り付いた。

「はぐれたって気づいてさ、すぐに皆で探したんだよ。けれど、何処にもいないんだ。こっちに戻って来てやいないかってそう思って──」

「来てないよ」

 青ざめた顔でグリヨットが言った。

「アンゼリカ、帰って来てないよ……」

 その返事にわたしはビスキュイの手をぎゅっと握り締めてしまった。迷っているのだろうか。そう信じたい。けれど、長く野良生活をしているアンゼリカが、皆への伝言を任されるほど馴染んでいるアンゼリカが、今更迷うなんてことがあるだろうか。嫌な空気が漂い始める。シトロンは地面に手をつき、震えだした。

「ああ……あああ……」

 言葉にならない声が漏れ出す中、誰も彼もが何と声をかければいいか分からない。そんな中で近寄ってきたのは、フランボワーズだった。

「探してくる」

「フランボワーズ様!」

 ジャンジャンブルが透かさず咎めるようにその名を呼んだが、彼女は険しい顔をして、ただ前だけを見ていた。その手には木槍が握られている。

「皆は安全な場所に」

「フランボワーズ」

 クレモンティーヌが冷静な声で呼び止めると、彼女は振り返り、小声で告げた。

「姉さん、あとはよろしくお願いします」

「……分かった。行ってきなさい」

「クレモンティーヌ様!」

 ジャンジャンブルが悲鳴のような声をあげたが、姉の許可が下りるなり、フランボワーズは飛び出してしまった。大きな蝶の翅の力を借りて、あっという間に路地の向こうへと消えていく。その後ろ姿を見送っていると、シトロンが息を整えて再び起き上がった。

「俺も行ってくる。もう一度、探してこないと」

 しかし、シトロンは立ち上がろうとして倒れてしまった。体力がまだ戻っていないのだろう。そんな彼をグリヨットが支える中、ババが力強く声をかけた。

「代わりに俺が行く。ここでしばらく休んでいてくれ」

「あたしも探す!」

 手のひらを広げてグリヨットが言った。そんな彼女にババは頷いた。

「うん、手分けした方がいいな。他にも動ける者は手伝ってほしい」

 そう言ってババは祈り場の中へと声をかけた。シトロンと共に帰ってきた者や、祈り場の中にいた者など、数名の妖精たちが手をあげる。そんな彼らを見ていると、わたしもまた居ても立ってもいられなくなり、そっとビスキュイに耳打ちした。

「ねえ、ビスキュイ。あのさ……わたし達も」

 すると、言い終わらないうちにビスキュイは頷いた。

「ちょうど僕もそう言おうとしていたんだ」

 そして、わたし達は二人一緒に手を挙げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る