11.待つことは出来ない

 馬車の中で、わたしは何も言えないまま項垂れていた。フロマージュもまた何も言わなかった。浮かない表情の裏で、何を想っているだろう。フロマージュの世話になったのは何度目なのか分からない。以前はグリヨットと共に乗せられたこともあった。あの時のグリヨットの怯えた様子を思い出すと、居たたまれない気持ちになる。だが、あのように彼女たちが怯えることも、この先はなくなるのかもしれない。

 新しい王国はどんな場所になるだろう。一度は滅ぼされてしまった世界だ。人間たちが造った基盤の上に成り立っていたこれまでとは全く違う暮らしになることは確かだろう。けれど、あの時のグリヨットのように怯える妖精はいなくなるし、フランボワーズのように見せしめにされる妖精もいなくなる。その場所ではきっと、誇り高く生きられるはずだ。良血でも何でもないただの妖精として、誇り高く生きることができるはず。そう信じたかった。

「あの……」

 思考を巡らせている横で、ふと、ビスキュイがフロマージュに声をかけた。

「フロマージュさんは……どうしてこのお仕事をされているんですか?」

 思ってもみなかった質問に、緊張を覚えた。フロマージュの方も予想外の質問だったようで、動揺を見せた。けれど、ビスキュイの真面目な表情を確認すると、「子供の頃の話だよ」と、優しい目を悲しそうに細めながら、彼は語りだした。

「とても仲のいい友達がいてね。ビスキュイ、君のように美しい銀髪の男の子だった。彼とは毎日のように遊んでいたし、思い出もたくさんある。笑い合って、喧嘩をして、明日の約束をして、初めて知る遊びを教えてくれたり、辛い事があった時は励ましてくれたりしたこともあった。だが、当たり前だと思っていた日々は突然終わってしまった。ある日、怖い顔をした大人たちが来てね、彼の手を引いて連れて行ってしまったんだ。もう分かるね。彼は妖精だったんだ。私はその事を知らずに仲良くしていた。今思えば、お守りだと言っていたチョーカーは鑑札付きだった。きっといい所の良血妖精だったのだろうね。迷ってしまったのか、逃げ出したのか、或いは捨てられてしまったのか。全ては分からないままだった。あとになって私は大人たちに彼の行方を尋ねたんだ。だが、同じような経験をした子供達は皆、冷たい大人達から同じような答えを貰ったものさ。『彼の事は忘れなさい、違うお友達を作りなさい』とね。あの友人がもう生きていないと知ったのは、私もまた冷たい大人になってしまった後だった。彼の主人は私と出会うより前に他界していてね、引き取り手もいなかったらしい。血統書も紛失していたようで、生家の者すら引き取ってくれなかった。だから、しょうがなかったんだ」

 まるで自分に言い聞かせるように彼はそう言った。

「彼の末路を知ってからは、妖精たちの事を必死で学んだよ。これまでの事例も見てきたし、現状もいつも見てきた。そして、たとえ主人が必死に探していても、事件や事故に巻き込まれて無事に帰ることができない愛玩妖精もいるのだと知ったんだ。私はね、一人でも多くの妖精を家に届けたくてこの仕事をしているんだ。もちろん、良い事ばかりじゃない。私が保護した妖精が、結局、殺されてしまう場面を何度も見てきた。けれど、無事に家に送り届けて、妖精たちから笑顔で感謝されたことも多い。君たちには誤解されたくないのだが、私は妖精が好きなんだ。好きだから、この仕事をしている」

 彼はそこまで言うと、馬車の外を見つめた。その横顔が物悲しいのは、やはり気のせいではないのだろう。彼も心を痛めていた。けれど、同じ人間だからと言って、あの流れを止めることは出来なかったのだ。フィナンシエとアマンディーヌが止められないように。

「少しずつ世の中もマシにはなってくるはずなんだ」

 外を見つめたまま彼は言った。

「ここ数年、妖精管理局は、妖精売りに協力してもらって、多くの子供たちに妖精と触れ合う機会を作って貰っている。妖精好きの人間は多いし、身寄りのない妖精の里親になる者だって少しずつ増えてはきている。血統にこだわらない御方だって意外と多い。王妃殿下は無類の妖精好きでね、王城にもいくらか妖精がいる。だから、いつかはこの太陽の国も、人と妖精が仲良く暮らせる世界になるはずだと信じている」

 ため息交じりの彼の言葉に、わたしは再び俯いてしまった。いつかは、そんな日が来るかもしれない。フィナンシエとアマンディーヌ、そしてキュイエールをはじめとした屋敷の者達、ヴェルジョワーズのような妖精愛好家のお方々、そしてフロマージュのことしか知らなかったら、無邪気にそう信じ、希望を持つことが出来ただろう。

 この世にいるのは、悪い人間ばかりじゃない。フランボワーズを処刑台に送ったような、それを見て喜んでいたような人間ばかりじゃない。けれど、一体どれだけ待てば、この国の人間の大半が、フロマージュのような志を持つ人ばかりになるだろうか。

「理由はこんなものだよ。分かったかな?」

 フロマージュの問いに、ビスキュイはしっかりと頷いた。そのやり取りを横目に、わたしは今一度、自分の気持ちに向かい合った。フィナンシエの事は好きだ。アマンディーヌの事も好きだ。二人が家族になって、そこにビスキュイと二人で加わる事は、きっと幸せな事だろう。

 けれど、それでいいのか。それでいいと思おうとすると、心の奥がざわついた。

 耳の奥には今も、フランボワーズの最期の歌がこびりついて離れない。人間たちには聞こえなかっただろうこの歌は、忘れようにも忘れられない。

 そして、わたしは確かな答えを見つけてしまっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る