5.秘密の会話

 額をくっつけたまま、グリヨットは言った。

『分かるかな? この声』

 聞こえてくるのは間違いなくグリヨットの声だ。耳を通さないその声は、いつもよりも少しぎこちなく感じてしまう。しかし、会話をするには十分すぎるし、問題もない。わたしはしっかりと頷いて見せた。そして、どうにかこの方法を思い出しながら、額をくっつけてグリヨットに声を返した。

『大丈夫。分かるよ』

 ちゃんと伝わったか心配だったが、どうやら成功したらしい。

『よかった』

 グリヨットは笑い、そして教えてくれた。

『あのね、アンゼリカに聞いたの。妖精の声って良血さんは使っちゃいけないって教えられているんだって』

『うん。その通りだよ。わたしもそう習った』

 わたしは頷き、集中しながら声を返す。

『内緒話は人間たちに失礼だから。ビスキュイも多分使ったことないと思う』

『そうなんだ。確かに、人間はあたし達のように声が出せないし、聞けないもんね。でも、マドレーヌが使い方を知っていてよかった』

『小さい頃はこの力で遊んでいたから。覚えていてよかった』

 とはいえ、声を出す力も聞く力もだいぶ衰えていると自覚した。ビスキュイと二人でやったことなんてないし、羽化して以降はそんなことをするのは不良品だけだと厳しく言われてきたからだ。子供の頃は会話をしたい相手と手を繋ぐだけで声も伝わったのに、今は額をくっつけてしばらく集中しないと出せないし、聞こえなくなっているらしい。けれど、グリヨットは明るい声で伝えてきた。

『ほんと良かった。お陰でこうして内緒話が出来るもんね』

『そうだね……』

 人間たちには失礼だから。そんな言葉などグリヨットは気にしないらしい。気にするわけもない。そんな彼女を前にしていると、先ほどまでの罪悪感の一切が何処かへ行ってしまった。そのことに少しほっとしていると、グリヨットは少し照れくさそうに笑いながら、その声を伝えてきた。

『あのね、あたし、マドレーヌに謝りに来たの』

『謝る? どうして?』

『えっとね、あたしさ、マドレーヌのこと少し見縊っていたかも。ううん、見縊っていたの。良血さんって世間知らずの臆病者だって思っていてさ、下に見ていたんだと思う。だから、か弱くて可哀想な良血さんに手を貸さなきゃって思って、それでお祈りに誘ったの。でも、マドレーヌはか弱くて可哀想なんかじゃなかった。人間からあたしを守ってくれるくらい強かった』

『そんなことないよ』

 照れくさくなってそう言ったけれど、グリヨットは首を振った。

『ううん、そうなの。あたしね、外の世界を知っている分、外を知らないマドレーヌたちよりも物事をいっぱい知っているつもりだった。でも、それは間違いだって気づけた。マドレーヌのおかげだよ。それに、良血さんはただ躾られて飼いならされているわけじゃないってことも知れた。視野が広がるってこういう事なんだね。そう思うと、もっとマドレーヌたちと仲良くなりたくて、それでここに来たの』

 無邪気な彼女の言葉に、わたしは思わず微笑んでしまった。

『仲良くなりたいのは、わたしも同じだよ。それに……わたしも少し、あなた達のことを誤解していたところがあったかも』

『誤解?』

『うん、もっと大変な暮らしをしているって思っていた』

『ああ、そっか。じゃあ、驚いたでしょう?』

 そう言って硝子張りの壁の向こうでグリヨットは笑う。わたしはそんな彼女の表情を見つめながら、そっと声を返した。

『グリヨット。来てくれてありがとう』

 泣きそうになるのを堪えながら、わたしは静かに伝えた。

『いっぱい叱られちゃったから、心細かったの。あなたが遊びに来てくれたから、少し心が軽くなった気がする』

『そっか、迷惑じゃなかったんだね』

『もちろん』

『また来てもいい?』

『うん、また来てほしい』

 縋るようにわたしは言った。グリヨットが来てくれただけで、こんなにも気持ちが軽くなっている。人間たちの顔色を窺わずに済むことが、こんなに解放的だなんて思いもしなかった。しかし、すぐにわたしは冷静になって、付け加えた。

『もちろん、安全な時にね』

『分かっているよ』

 グリヨットは明るく言った。

『安全なら任せて。そりゃあ、今日みたいな失敗もあるけれど、でも、大丈夫だから。これからも会いに来るよ。そして、色々話そう。あたし達のことを色々話すから、マドレーヌも良血さん達のことを色々教えてよ』

『うん、ありがとう。いっぱい話そうね』

 涙が浮かぶのを堪えながらそう言うと、グリヨットは額を離し、こちらを見つめてにっこり笑った。一枚布の服で隠れた小さな翅が動いているのが分かる。小犬が喜んで尻尾を振っているような、そんな印象だった。無邪気なその姿は見ているだけで心が癒される。時には小悪魔のようにも見えるグリヨットだけれど、今のわたしにとっては天使のようだった。

 それからしばらく、わたしはグリヨットと会話を続けた。グリヨットの生い立ちと、わたしの生い立ち。良血妖精にとって重要な競りのことや、野良妖精にとって重要な双子の女王の導きについて、色々と言葉を交わし、互いに知っていった。話すことが段々と見つからなくなっていっても、わたしはこの会話の時間がまだまだ続くことを願っていた。けれど、そうはいかなかった。しばらく話していると、グリヨットがふと月の傾きを見つめ、そして、わたしに伝えてきたのだ。

『残念だけど、そろそろ行かないと。実は、ビスキュイのところにも行ってみたいって思っていて』

『そっか……』

 わたしは引き止めたい気持ちをぐっとこらえた。これからビスキュイに会って、わたしとしたように秘密の会話をするのだと思うと、身勝手ながら嫉妬してしまう。わたしもその中に加わりたい。けれど、それは出来ない。壁をすり抜ける魔法でもあればよかったのだけれど、そうはいかない。わたしは気持ちを切り替えて、グリヨットに言った。

『ビスキュイによろしくね』

 すると、グリヨットは額を話し、片手を付けたままこちらに笑顔を向けてきた。微かにだったけれど、『うん』という元気な返事が聞こえた気がした。

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