13.不測の事態

 慌ただしく駆け込んできたのは、シトロンと同じ年頃の青年妖精だった。汗だくで、かなり取り乱した様子で祈り場に飛び込んできたかと思うと、クレモンティーヌの姿を見つけると真っ先にその前へと滑り込み、何度も何度も訴えた。

「大変です! 大変なんです!」

 かなり混乱した様子に、クレモンティーヌが怪訝そうな顔をする。その横で、ジャンジャンブルが厳しい眼差しで彼を睨みつけ、問い質した。

「何があったか落ち着いて言いなさい」

 すると、青年は何度も頷くとごくりと息を飲んでから、報告を始めた。

「さきほど、拠点の一つでヴァニーユが現れ、襲い掛かってきたんです」

 途端に周囲がざわつき始める。ジャンジャンブルが怒声をあげるも効果はない。しかし、クレモンティーヌは冷静な表情のまま、青年のみを見つめていた。青年はその眼差しに頷き、続けた。

「戦いは出来るだけ避けようってことになって、最初は散り散りに逃げていたんです。けれど、その間に一部の兄弟たちが怒りと恨みで興奮してしまって、ヴァニーユに立ち向かい始めちゃって……。僕は止めたんですが、どうにもならなくて……。さらに運の悪い事に、そこへ人間の男たちまで来てしまって」

「人間たちが?」

 訊ね返し、ジャンジャンブルも顔色を悪くする。嫌な流れだということは、この時点でもう分かってしまった。

「人間たちからすれば、俺たちは良血妖精を襲う邪悪な野良にしか見えなかったんでしょう。ヴァニーユと戦っていた兄弟たちをたちまちのうちに拘束してしまって、広場で見せしめにするとか言い出して……」

 思っていた通り、いや、それ以上に悪い報告だった。ヴァニーユの名前に怯えていた者達も、沈黙してしまった。一部は既に泣いている。成す術がないと悟っているのだろう。ジャンジャンブルもまたかなり顔色が悪かった。青ざめた彼の横で、クレモンティーヌは静かに目を閉じ、そして、周囲に訊ねた。

「フランボワーズはまだ戻っていないのね?」

 すると、たった今、報告に来た青年が即答した。

「行ってしまいました」

 その一言に、クレモンティーヌの表情がやや引き攣った。

「人間たちに追われていた俺を助けてくれたんです。事態を伝えると、血相を変えて飛び立ってしまいました。必ず助けるって、たった一人で……」

 どよめきが生まれ、辺りが騒然となった。

「なんと……」

 そう嘆いたジャンジャンブルはますます顔色を悪くしていく。彼だけではない。話を聞いていたルリジューズも、ノワゼットも、不安そうにクレモンティーヌを見つめていた。ただ、クレモンティーヌだけは冷静に、青年を見つめていた。

「あの子は何か言っていましたか?」

 その問いかけに、青年はしっかりと答えた。

「皆を来させないように、と仰っていました。それに、怪我人が増えるかもしれないから、ジャンジャンブル先生に準備をお願いしたいと」

「そうですか」

 クレモンティーヌは冷静に頷くと、苦悶の表情を浮かべているジャンジャンブルへと声をかけた。

「では、ジャンジャンブル。その通りになさい」

 穏やかだが鋭さのある命令に、ジャンジャンブルは動揺する。

「クレモンティーヌ様、私は……」

 震えの止まらない彼に対し、クレモンティーヌは静かに言った。

「あの子のお願いをどうか聞いてあげて。私たちは信じて待つしかないのです」

「ああ……フランボワーズ様……」

 ジャンジャンブルは嘆き、ふらふらと力なく祈り場の建物へと戻っていく。ショックを受けているのは彼だけではない。周辺で話を聞いていた妖精たちもまた動揺していた。かつて、フランボワーズは収容所を襲撃し、仲間を救ったことがあった。しかし、この様子から察するに、たった一人で立ち向かった今回は、状況もあまり良くないのだろう。

「様子を……見てきます!」

 やがてそう言いだした妖精の一人が駆けだしてしまった。他の者たちが止める間もなく、彼は路地裏へと消えていく。そんな彼の背中に引っ張られるように、数名の妖精たちも次々に走って行ってしまった。「だ、駄目だよ! 皆!」と、クレモンティーヌの傍で控えていたマロンが慌てて止めようとしたが無駄だった。

「どうしましょう、クレモンティーヌ様!」

 焦るマロンにクレモンティーヌは冷静な声で告げた。

「放っておきなさい。彼らもいい大人たちです。その意志決定をみだりに踏みにじることは出来ません。けれど、皆、よくお聞きなさい」

 クレモンティーヌは残っている妖精たちに向けて告げた。

「立ち上がる事ばかりが正解ではありません。彼らに続けなかったことを恥じる必要はありません。むしろ、蛮勇は我が妹を困らせることになるでしょう。自信のないものは無理をせず、ここで私の傍にいるように。いいですね?」

 彼女の命令染みた言葉は、どうやらこの場に残った妖精たちの救いとなったらしい。

 さて、ここでわたしは悩んでいた。真っ先に駆け出して行ってしまった妖精たちの姿はもう見えない。様子を見てくると言った彼らが目撃するのは何か。信じて待っていて欲しいと一人きりで行ってしまった女王はどうなってしまうのか。連れ去られた仲間たちの運命は。

 フランボワーズなら大丈夫だ。そう信じたいところだ。彼女は収容所から仲間を救う事だって出来たのだ。今回だって大丈夫。大丈夫なはず。

 言い聞かせれば言い聞かせるほど、わたしは走り去ってしまった彼らの気持ちが痛いほど分かった。ただ待っているだけのことが、どれほど辛いことなのか。信じたいからこそ、わたしは見守りたかった。フランボワーズは大丈夫。あの木槍で、一角獣のように、仲間を助けてくれると信じたい。信じたいからこそ、わたしは見守りたくなってしまったのだ。

 何度も何度も深く息を吐くと、わたしはビスキュイにそっと告げた。

「ねえ、ビスキュイ。あなたはここで待っていてくれる?」

 すると、ビスキュイもまた、緊張気味にわたしを見つめてこう言った。

「行くつもりなんだね、マドレーヌ」

 そして、力強い眼差しで、彼はわたしの手を握ったのだった。

「生憎だけど、僕は待つ気はないよ。一緒に行こう」

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