5.赤い翅の一角獣

 人間のもとで生まれ育ち、人間に愛されながら過ごしてきたことを思えば、今、目の前で広がる光景はやっぱり信じられないものだった。広場にいる人間たちはいずれも恐ろしい形相で、捕らえた妖精の男女を蔑んだ目で睨みつけている。その眼差しは、およそわたしやビスキュイになど向けられやしないもの。しかし、よくよく思い返してみれば、グリヨットを初めて見かけたヴェルジョワーズのお屋敷にて、年上の良血妖精が同じような目をしていた。これが、世間というものなのだと思い知らされ、ショックだった。

 だが、恐ろしいのはそんな蔑みだけではない。縛られた妖精たちの行く末は、あまり良いものとは思えなかった。恐らく、ここしばらくの緊張のせいもあるのだろう。本来ならばまずは収容所に送られてから処遇が決まるはずなのに、人間たちは今この場で、捕らえた妖精たちの処遇を決めようとしているようだった。どうも、ここにいる人間たちは収容所の職員ではないらしい。一般市民なのだろう。有志の者で、おそらく妖精があまり好きでない人ばかりなのだとみた。そうでなければ、どうして躊躇わずに武器を見せつけられるのだろう。それも、鉛玉の込められた銃だなんて。

 わたしたちは物陰からその光景を見守っていた。飛び出していってもいい。どうにか言い訳を重ねて、彼らを保護できやしないか。しかし、そうはさせないような空気がそこにはあった。あそこにいるのが収容所の職員だったら──たとえば、フロマージュだったら、わたしは彼の良心に訴えただろう。でもそれは、妖精好きであり、正式な職員であるからこそできることでもある。そうではなく、私情だけで集まったかもしれない者たち相手にそんなことが通用するだろうか。わたしにはとてもそうは思えなかった。同じくビスキュイもそうだったらしい。

「フランボワーズ様はどこだろう……」

 息を飲みながらビスキュイは言った。わたしもまた必死になって周囲を見渡した。姿は見当たらない。捕まっていないのは幸いだが、ここにはいないのだろうかと不安になる。彼女が間に合わなかったら、捕まっている仲間たちは殺されるだろう。その前に、わたしはどうすればいいだろう。見殺しにするのか、勇気を見せるのか。考えもしなかった選択に緊張していると、ビスキュイがそっとわたしの手を握り締めた。

『いた……』

 その“声”に釣られて、わたしは空を見上げた。場所は王立歌劇場の屋根だ。美しい彫刻たちと並んで、彼女はいた。赤い翅に、木槍。その姿を目にした途端、わたしは震えてしまった。一角獣だ。真っ先にそう思った。わたしの眠りをいつも守ってくれる一角獣にも思えたし、それよりもずっと厳つく勇ましい印象がそのまま再現されたようでもあった。

 蝶の王国の数々の危機を救ってきた一角獣。最期は女王と共に処刑されてしまった戦士。わたしやビスキュイの中にも、そして、フランボワーズの中にも、その血は流れているはずだ。しかし、この違いは何だろう。初めて彼女を目にした時もそうだった。同じ女王の末裔であるはずなのに、わたしやビスキュイと、彼女の間には明確な差があった。

 立派な翅のせいだろうか。持っている槍のせいだろうか。いや、どちらでもあって、どちらでもない気がした。根本的に、フランボワーズはわたし達とは違う存在だった。わたしが持っていた憧れそのもの。カモミーユから王国の話を聞かされて抱いていた理想そのもの。蝶の妖精としての自尊心を初めて抱けたわたしにとっての誇りそのものでもあった。

 そんな憧れを一身に背負ったフランボワーズは、槍を手にしたまま建物の上から人間たちに向かって言った。

「仲間たちを解放してくれないか」

 理知的なその声に、人間たちの一部が動揺を見せる。しかし、大半はフランボワーズを睨みつけ、銃を向けていた。そのうちのリーダー格と思しき男が前へ出た。

「君が野良妖精どもの“女王様”だね。残念だがそうはいかない。こいつらが良血妖精に手を出すところを俺たちは目撃したんだ。飼い主の方のためにも、危険な野良は処分しなくてはならない。現行犯だ。管理局の手を煩わせるまでもない」

 そう言って男は拘束している野良妖精の一人に銃口を向ける。

「待て!」

 フランボワーズは焦った声で言った。

「事情があったはずだ。その良血妖精は肉食妖精だったんだろう。我々だって身を守ろうとする本能くらいある」

「そんな事情は関係ないな。ここは人間の世界だ。人間の掟に従えない野良の居場所は本来あり得ない。君たちは居てはならない存在なんだよ」

「ああ、分かっているとも」

 フランボワーズは訴えかける

「だから、出て行くつもりなんだ。そこにいる仲間たちも全員で新しい世界へと旅立つ。そうすればもう迷惑とはならないはずだろう?」

「出て行く……ねえ」

 男は繰り返し、今度は銃をフランボワーズへと向けた。

「フランボワーズ様!」

「どうかお逃げください!」

 拘束されていた妖精たちが悲鳴をあげる。動揺する彼らを見て、人間たちは面白がっているようだった。人間を信じて生きてきたわたしには、信じられない姿でもあった。少なくとも、フィナンシエやアマンディーヌとは全く違う。

「信じられるものか!」

 銃口を向けたまま男は叫んだ。

「貴様は仲間を助けるために、収容所を襲撃した翅有妖精だ。違うとは言わせない。その大きな赤い翅の木の槍は隠しようがない。その際、何名の職員が大怪我を負ったと思う? 貴様らは良血妖精どころか人間までも傷つけた。その罪はここで償ってもらおう!」

 直後、耳がおかしくなるほどの破裂音が響いた。銃声だ。親しみなんて持ったこともないその音に、わたしはすっかり怯んでしまった。いつの間にか瞑ってしまっていた目を恐る恐る開いてみると、視線の先にはもうフランボワーズはいなかった。一体どこに。まさか、当たってしまったのだろうか。不安になるも束の間、大きな蝶の翅を広げ、滑空するフランボワーズの姿が見えてほっとした。だが、安心してはいられない。ここからが本番だった。

 収容所を襲撃した日もきっと、こんな風に飛んでいたのだろう。同志を引き連れて、捕まった仲間たちを救ったのだ。今回は一人きりだ。いや、もしかしたら機会を窺っているのかもしれない。わたし達のように物陰から息を飲んで見つめているかもしれない。けれど、今は一人だ。一人きりで木の槍を構え、人間たちに襲い掛かった。人間たちは彼女を撃ち落とそうと発砲する。弾は当たらない。自由自在に空を飛び、狙いを定めさせない動きで捕まっている仲間たちの元へと近づこうとしていた。

 だが、やはり多勢に無勢だ。苦戦しているのは、戦いなんてものを知らないわたしでも分かった。人間たちの防壁は厚く、放たれる銃弾の威圧はフランボワーズの勇ましい心さえも畏縮させてしまう。一回目の攻防は人間たちが優勢だった。十分に距離を離し、フランボワーズは再び人間たちを睨みつける。人間たちもまた銃を構えつつ、フランボワーズを睨みつけた。

 話し合いなんてもう不可能だ。そんな状況で、拘束された妖精たちは叫んでいた。

「見捨ててください……お願いです!」

 恐らく本心なのだろう。だが、そんな事をフランボワーズが出来るだろうか。わたしの思っている通り、彼女には出来そうにもなかった。木の槍を構え、呼吸を整えながら再び攻撃に入ろうとしていた。不利な状況が変わるとは思えない。回数が重なれば、銃弾に倒れてしまうかもしれない。だが、弾切れまでしのげばどうだろう。

 息を飲みながら見守っていたその時、わたし達のいるところとは反対側の物陰から威勢のいい叫び声が聞こえてきた。妖精たちだ。あの時、祈り場にいた者達だろう。様子を見てくると叫んで走り去っていった者たち。彼らは雄叫びをあげながら、銃を持つ人間たちに飛び掛かった。大した武器をもっているわけではない。しかし、恐れることなく行動した。

「フランボワーズ様、万歳!」

 誰かが叫んだその声に、呆気にとられていたフランボワーズが我に返った。彼らの命懸けで生まれた絶好の機会。逃すわけにもいかないその風に乗って、フランボワーズは再び翅を広げた。

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