6.憧れの新王国
アマンディーヌの屋敷に招かれたのは、グリヨットがわたしの部屋に遊びに来るようになってから数日後のことだった。フィナンシエの妖精になって一年以上経つけれど、これまで、アマンディーヌたちに会うのはフィナンシエのお屋敷か、ヴェルジョワーズの愛好会ばかりだったので、彼女の城に招かれることはとても新鮮だった。アマンディーヌの屋敷の内装は、彼女好みのセンスで固められたもので、妖精のわたしの心も奪うようなものばかりだった。
その中でも特に好奇心をくすぐられたのは、やはりビスキュイの部屋だった。初めて通されたその部屋に入るなり、心を鷲掴みにされてしまったのだ。アマンディーヌは子供の頃から妖精を愛してやまないと言うが、それだけに妖精たちの好みのツボを押さえられるのだろう。しかし、そのインテリアの一つ一つを確認する前に、わたしは壁にかけられた大きな絵に目を奪われてしまった。しばらく凝視し、自分が口を開けたままだということに気づき、いったん閉じてから、わたしは静かにビスキュイへと話しかけた。
「この絵って……」
「そうだよ」
ビスキュイは頷いて言った。
「最後の女王ミルティーユ。ヴェルジョワーズ様のお屋敷にあるものと同じ画家さんの作品なんだって。あっちはミルティーユだけだったよね。でも、こっちは子供たちも描かれている。アマンディーヌ様はこっちの方が好きなんだって」
そして、ビスキュイは絵を指さしながら教えてくれた。
「中央にいる透明の翅がミルティーユ。薄紅色の翅がフルールで、青みがかった白の翅がファリーヌ。そして、燃えるような赤い翅がペシュだよ。端っこにいる翅のない男の子がエクレール……」
描かれている妖精たちは、誰も彼もが神々しさをまとっていた。この絵を描いた作者きっと、妖精のことを愛していたのだろう。そのくらい、見ていてうっとりするような感情が伝わってきた。だが、作品が美しければ美しいほど、物悲しさも感じてしまう。それぞれをじっくり見つめていたわたしの目は、ペシュの姿のところでしばらく止まってしまった。この中で唯一、公開処刑された記録を持つ良血の先祖。その姿が心なしかフランボワーズによく似ているような気がしてしまった。
「ねえ、マドレーヌ」
ふとビスキュイに話しかけられ、わたしは我に返った。
「マドレーヌのところにも、グリヨットが来ているんだよね?」
その問いを受けて、わたしはとっさに答えようとした。だが、すぐに警戒心が高まり、耳を聳てた。フィナンシエもアマンディーヌも近くにはいない。どうやら遠い場所で二人きり、じっくり話しているようだ。使用人が近くにいる気配もない。そこまで確認すると、ようやくわたしは頷いた。
「毎晩のように、自分たちの世界の事を教えてくれるよ」
そう言うと、ビスキュイはにっこり笑った。
「僕が聞いている話とだいたい同じかな」
「たぶんね」
「じゃあ、新王国の話、もう聞いた?」
その問いには黙って頷いた。
グリヨットが信用と信頼の証として話してくれたのは、全ての蝶々たちが夢見ているという王国復活の計画の詳細だった。クレモンティーヌの指導によって派遣された野良蝶々たちは、人間たちの息のかからない深い森の奥に安全かつ広大な土地を見つけたという。そこには王国の崩壊の際、人間たちの手を逃れて少数でどうにか生き延びてきた蝶や花の妖精たちの子孫が奇跡的に暮らしていて、彼らと手を結びながら新たな王国を築く準備を進めているのだという。多くの蝶たちを住まわせるために、人間とは違う妖精流の開拓が進み、その進捗はクレモンティーヌのもとに度々報告が入っているらしい。そして、少しずつではあるが、集団移住の日は近づいてきているのだと。
王国が復活すれば、野良妖精たちはもう野良ではなくなる。人間たちに怯えることもなく、もっと堂々と暮らすことが出来るのだ。失った蝶たちの誇りを取り戻せる。かつてのように、平穏に暮らすことが出来る。その夢を夢で終わらせないことを、クレモンティーヌとフランボワーズの姉妹は約束しているのだという。
「まだまだ小さな拠点なんだってね」
ビスキュイの言葉に、わたしは頷いた。
「でも、少しずつ住める数も増えてきたって聞いているよ」
現地には元から暮らしていた蝶と花がいるが、そこからさらに少しずつ移住できる者が増えているという。開拓をしている野良蝶々と彼らの食を支える花の妖精が派遣され、その数も報告のもとで少しずつ増やしていっている。そして、いつかは集団移住の日がやって来る。
「それまでグリヨットたちはどれだけ持ちこたえられるだろう」
ビスキュイが不安そうに呟いた。
「仲良くなっちゃったからさ、僕、心配で仕方がないんだ」
「わたしも同じだよ、ビスキュイ。……それにね」
この先を言うには覚悟がいった。正直な気持ちだが、果たして素直に告白していいものか。しかし、わたしは勇気を出して言葉にした。ビスキュイのことをそれだけ信じているからだ。
「それに、わたしね、実を言うとちょっとだけ憧れているの」
「憧れ?」
「グリヨットたちのこと。人間たちの顔色を窺わずに生きていける世界のこと。フィナンシエ様はわたしを愛してくださっている。それは分かっているの。でも、どうしても、憧れの気持ちは消えなくて……」
正直に告白してみれば、すぐに怖くなってしまった。こんな事を言って、ビスキュイはどう思っただろう。良血妖精が野良妖精に憧れるなんて、これまでの常識ではあり得ないことだ。わたしの事を軽蔑してしまうだろうか。警戒してしまうだろうか。不安は徐々に大きくなり、わたしはとうとうビスキュイの顔を見られなくなってしまった。だが、そんなわたしにビスキュイは言った。
「僕も……同じ」
そして彼は、壁に掛けられた妖精たちの絵をじっと見つめ始めた。
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