8.望みは絶たれて

 それから数日間。太陽の国の都では、囚われた翅有妖精の話題で持ちきりだったらしい。立派な翅を持つ妖精は、もはや絶滅寸前の存在だ。翅無妖精が良いとされてどのくらいの年月が経っただろうか。美しい蝶の翅の生えた姿にうっとりとする者もいれば、おぞましい異形の存在としか思えない者もそれなりにいるらしい。

 キュイエールはひっそりと、その様子をわたしに教えてくれた。しつこいまでにせがんでやっとの事ではあったけれど、その優しさにわたしはだいぶ救われていた。しかし、彼女の語る内容は、実に救いの乏しいものだった。いわく、いつまでもこの状況が続くわけではない。捕まった女王をどうするのかは何度も話し合われ、段々と結論は固まっていく。その判決が下ろうかというある夜、グリヨットは再びわたしとビスキュイの前に現れた。今宵の場所はフィナンシエの屋敷だった。

『駄目だった』

 茫然とした表情で、グリヨットは“声”を伝えてきた。

『フランボワーズ様、あのままあそこにいるって。出てきてくれなかった』

『どうして……』

 ビスキュイが震えながら訊ねると、グリヨットもまた震えながら答えた。

『今逃げれば皆に迷惑がかかるからって。大規模な野良狩りが行われてしまうからって。逃げるどころかクレモンティーヌ様に伝えて欲しいって言われたの。自分が囮になっているうちに旅立ちの準備を進めて欲しいんだって』

 そこでグリヨットは堪らず泣きだしてしまった。その嗚咽は“声”では伝わらない。けれど、ガラスの壁の向こうで泣いている彼女を見るのは辛かった。流れる涙を一度拭ってから、グリヨットは再び手を突いた。

『人間たちが何を話し合っているか、フランボワーズ様は“声”を聞いていらっしゃったの。それで分かったんだって。明々後日だ。明々後日の昼、フランボワーズ様はあの広場に連れていかれる。そこで、かつての人間たちがペシュ様にしたことと同じことをするつもりなんだって』

『ペシュ……!』

 それがどういうことなのか、わたしもビスキュイもすぐさま理解した。人間に逆らった罪でペシュは公開処刑された。二百年近くも前のことだ。それなのに、まさか現代でも同じことが起ころうかというなんて。にわかには信じられないことだったが、グリヨットは言った。

『それほどの大罪だったんだって。あたし達への牽制もある。人間に逆らうことがどういうことなのか、見せしめにされてしまうんだ。それに、ヴァニーユが死んだことへのけじめでもあるんだって』

 ──ヴァニーユ……!

 わたしはハッとして、グリヨットに訊ねた。

『人間たちはフランボワーズ様がやったと思っているの?』

『その様子だと、何か知っているんだね?』

 グリヨットの問いに、わたしは恐る恐る答えた。

『やったのはわたし。フィナンシエ様にもちゃんと伝えたの。でも、そこで話は止まってしまって……』

 すると、グリヨットは首を横に振った。

『いいんだよ、それで。フランボワーズ様は分かっていらっしゃったもの。まさかマドレーヌだとは思わなかったみたいだけれど、仲間の誰かがやったのだろうって。でも、その罪は自分が背負うから、ヴァニーユを倒し、仲間たちの仇を討った蝶に感謝をして欲しいって言われたんだ』

『感謝だなんて……』

 ちっとも誇らしくなかった。だって、これではあまりに残酷だ。わたしのせいなのに、わたしの罪を被ってしまおうだなんて。そんなことを許せば、わたしはきっと一生苦しむことになる。そんなことは嫌だった。フランボワーズには、生きる希望であり続けて欲しいのに。しかし、グリヨットは言った。

『もしもマドレーヌがやったことが広く知れ渡ったとしてもね、きっと人間たちはフランボワーズ様を解放してはくださらない。あたし達はね、人間に逆らってしまった。それだけでも理由としては十分なんだって。特に、昔のように翅を持っていて、妖精たちを導くことのできるフランボワーズ様に対する人間たちの警戒心は強すぎる。そういうことなんだって』

 だからって、こんなことがあっていいのだろうか。

『もちろん、あたしはまだ諦めてはいないよ』

 グリヨットは言った。

『だって諦められないもの』

 そう語る表情はいつもと違って硬かった。そして、目の輝きは、いつものように朗らかな煌めきではなく、獲物を狙う鷹のように鋭かった。グリヨットが立ち去った後も、彼女の目の輝きばかりはいつまでも脳裏に焼き付いて離れなかった。

 わたしもビスキュイもすっかり眠気が醒めて、大きすぎるベッドに横たわって沈黙していた。けれど、ビスキュイがふとわたしに顔を向け、沈黙を破った。

「見に行く?」

 何を、と問うまでもない。わたしもまたビスキュイを見つめ、「勿論」と頷いた。グリヨットはまだ諦めていない。ならば、わたしだって諦めるわけにはいかない。このまま終わらせたくない。足掻いて、足掻いて、それでもダメだと分かるまでは、諦めたくなかった。強い想いで恐怖を包み込むと、ビスキュイは菫色の目を震わせてわたしを見つめ、そしてわたしの手をそっと握った。彼は小さな声で言った。

「僕もずっと一緒だからね」

 その言葉が心身に沁みた。

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