4.蝶々たちの祈り

 カモミーユのために祈ったあの日と変わらない。物静かな内装も、あのステンドグラスも。あの頃、アンゼリカはどこでどうしていたのだっけ。確か、あの日はフランボワーズの集会があって、その内容は収容所に囚われた仲間たちを救うという話だった。そう。あの時、アンゼリカは収容所にいたのだ。恐らくあの時点でもサヴァランからの届けは出ていた。幸か不幸かすぐには引き取られず、シトロンたちと共にフランボワーズたちに救い出されることとなったのだ。その後再びフロマージュに保護されそうになったけれど、今度はわたしが彼女を庇い、グリヨットたちの元に戻したわけだ。

 それがいけなかったのだろうか。今となっては分からない。あの時はとにかくサヴァランの元に戻す方が危険だと思っていた。思い込んでいた。何故なら、この場所がこんなにも危険だなんて思いもしなかったからだ。けれど、本当にそれでよかったのだろうか。どんなに考えても、わたしにはどうしても答えが分からなかった。

 ビスキュイと並んで俯いているわたしの前で、修道蝶々の正装をしたルリジューズが祈りを込めた唄を歌う。哀歌で始まり鎮魂へと続くその内容は、今を生きるわたし達にも分かりやすい言葉にされていて、胸に沁み渡った。

 ルリジューズは語る。

 かつて蝶の王国があった時代、死はいつだって妖精たちの傍にいた。大自然の営みの一環として生まれ繁栄する蝶や花の命は、同時に他の妖精たちにとって天の恵みであり、大地の恵みであった。とある肉食蜂の妖精の一族は組織的に蝶の国を襲い、決められた数だけ子供や蛹や卵を、特別な時には女王を無理やり連れ去って、大規模な祭りの生贄にしていたという。その際、時の一角獣と称された勇者に率いられて蝶の戦士たちは命懸けで戦い、その亡骸すら持ち去られることもあった。

 また、他の蜜食種族に国の財産に等しい花の妖精たちを狙われ、殆ど全ての蝶たちが命懸けで戦うこともあった。その度に、死の別れはわたし達に悲しみを与えた。修道蝶々たちは残された者達の心に寄り添い、追悼のための唄を歌った。言葉は変わっていても、この旋律は変わらないのだという。

 では、今のわたし達のように、先祖たちもこの歌に癒されたわけだ。その事に意味があるかどうかは分からない。しかし、これが区切りというものなのだろう。あのまま暗い気持ちを引きずり続けるよりも、こうしてアンゼリカの死ときちんと向き合う機会がある方が、すっきりする。

 だから、わたしには有難かった。この祈り場という存在が。

「以上でお祈りは終わりです」

 唄と話が終わるとルリジューズはそう言った。真っすぐ顔を向けたまま、淡々とした声で続ける。

「心は落ち着きましたか。落ち着かれなかったとしても、本日はここまでに致しましょう。それでも悲しみが癒えぬならば明日もまた……と言いたいところなのですが」

 そして、ルリジューズは小さく息を吐いた。両手を握り締め、彼女は口元に哀愁を浮かべる。

「残念ながら、今の状況では無責任なことは申せません。マドレーヌ、それにビスキュイ」

 ルリジューズに名を呼ばれ、わたし達は蚊の鳴くような小さな声で返事をした。すると、ルリジューズはやや強い口調でこう言った。

「どうか気を悪くなさいませんよう。今から私のする忠告をよく胸に入れておいて欲しいのです。今、私たちの世界は脅威にさらされております。ジャンジャンブル先生によれば、これまでだって人間に捨てられた肉食妖精が襲ってくることはありました。しかし、今回はどうも様子が違うようです。アンゼリカは安全なはずの場所にいました。窓は壊されておらず、争った形跡もない。アンゼリカ自身も一人で彷徨える状態ではありません。つまり、肉食妖精は誰にも知られずに祈り場の中へ侵入し、アンゼリカを連れ出してしまったのです。それがどういう事かお分かりですね。ここは既に安全ではないのです」

 彼女の言葉をわたし達はただ黙って聞いていた。アンゼリカがどのようにして命を失ってしまったのか、知れば知るほど心が痛むし、同じ道は辿りたくなかった。しかし、ルリジューズたちはいつ誰が同じ目に遭うか分からない世界にいる。そして、わたしとビスキュイも今は同じなのだ。

「ここは全ての蝶たちのための場所」

 ルリジューズは言った。

「クレモンティーヌ様も、フランボワーズ様も、あなた達のことを拒んだりしません。もちろん、私もそうしたい。同じ良血妖精として生まれた者として、あなた達にとってここが必要ならば、来ることを禁じたりはしたくないのです。それでも、今はその時ではない。あなた達には安全な家があります。私やアンゼリカの失った安全な家が。グリヨットやノワゼットが持つことすら許されなかった安全な家が。どうかそれを大事になさってください。肉食妖精のことが片付くまでは、なるべく優しい人間たちのもとを離れないようにしていて欲しいのです」

 突き放すような、寄り添うような、そんな言葉だった。その言葉に反論なんてとても出来ず、わたしもビスキュイも大人しく頷くしかなかった。無意識に首元のチョーカーに触れてしまう。ルリジューズには見えていないはずだけれど、彼女の前でこれをつけていることに、罪悪感を抱いてしまった。

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