11.お別れの前に

 祈り場までへの道のりは、普段はいないアマンディーヌのお屋敷からであっても迷うことなくたどり着けた。ビスキュイが一緒だったとはいえ、何処をどう通っているのかも把握できたことは、自分にとっても驚きだった。しかし、これも今日で最後となるかもしれない。わたしとビスキュイの未来がどうなろうと、この祈り場が祈り場として機能するのもあとわずか。それ以降は、妖精たちの暮らしていた痕跡だけを残して何もなくなってしまうのだから。そう思うと無性に寂しくなってしまったが、わたしは寂しさを堪えてビスキュイと共に祈り場へと足を踏み入れた。

 祈り場では多くの妖精たちが集まっていた。ただし、まったりしているわけではない。皆、とても忙しそうだった。恐らく、引っ越しの為の準備に追われているのだろう。荷物がまとめられ、妖精の中でも力自慢らしき人物たちが分別している。その横で、クレモンティーヌがジャンジャンブルの話に耳を傾けている。ルリジューズやノワゼットも一緒だった。

 忙しそうだ。ひと目で分かるその事実に気後れしそうになったが、勇気を振り絞って声をかける前に、無邪気な声が広場に響いた。

「マドレーヌ、それにビスキュイ!」

 グリヨットだ。彼女の明るい声によって、その場にいた誰もがわたし達の姿にようやく気付いた。以前ならば、もっとわたし達を警戒する眼差しは強かっただろう。しかし、この度は違った。明らかにわたし達に向けられる眼差しが穏やかなものに感じられる。いつもならば厳しいはずのジャンジャンブルでさえ、わたし達を睨みつけるようなことをしない。かといって、誰もがひと目で分かるように歓迎してくれているわけでもないようなのだが、少なくともわたし達の存在を否定はしない。その空気に救われた。グリヨットが近づいてくると、空気はさらに変わった。

「会いに来てくれたんだね」

 手を握られて、わたしは恐る恐る頷いた。

「うん、もしかしたら最後かも知れないから」

 その返答に、グリヨットは一瞬だけ言葉に詰まった。だが、すぐに笑みを浮かべ直し、頷いた。

「そっか。うん、そうだよね」

 その笑みが、先ほどよりも少しだけ寂しそうに見えたのは気のせいではないだろう。しかし、グリヨットは目を輝かせながらわたし達に言った。

「ありがとう、すごく嬉しい」

 じゃれついてくる彼女と笑い合っていると、そこへクレモンティーヌが近づいてきた。ノワゼットに支えられながらルリジューズもやって来る。やや緊張したものの、その表情はいずれも穏やかなものだった。グリヨットが道を譲ろうとすると、クレモンティーヌは静かに首を振り、そのまま声をかけてきた。

「見送りに来てくださったのですね」

 わたしはビスキュイと共に姿勢を正し、人間相手にする時と同じように丁寧に頷いた。

「……はい、もうじき旅立ちの日が来ると聞きましたので」

 ビスキュイがそう言うと、クレモンティーヌは軽く頷いた。

「そうですか。では、あなた方はあなた方の道を見つけたのですね」

 わたしもビスキュイも頷いた。グリヨットの寂しそうな視線が気になったものの、わたし達を咎めるようなものはいない。むしろ、ルリジューズ達に至っては安堵しているような表情に思えた。クレモンティーヌも同じだった。わたし達に微笑みかけながら、彼女は言った。

「それでいいのです。妖精が幸せになれる場所に決まりはありません。人間がそうであるように。あなた方が考え、決めたその道もまた尊ぶべきものとなるでしょう」

 そう言ってから、クレモンティーヌは声を潜めた。

「……ですが、一度決めた道であっても途中で引き返したり、別の道を捜し直したりするべき時もあります。柔軟さこそが妖精を救う。そういう事もあるのだとどうか理解しておいてください。その上で、もしもあなた方が、私たちの新たな王国を目指したくなった時は、王都から日の沈む方角へと進むのです。その先の道は、必ず妖精に訊ねるのですよ。いいですか、決して人間に聞いてはなりません。それだけは覚えておいてください」

 道は残されている。クレモンティーヌの言葉を胸にしまい込み、わたしはその事に安堵していた。勿論、フィナンシエやアマンディーヌのことを疑っているわけではない。愛想を尽かされてもおかしくはないと思っていても、それでもやはり彼らなら分かってくれるという信頼がわたしの心にはいつでもあった。

 しかし、彼らが変わらなかったとしても、状況が変わる時はあるだろう。愛すべき主人たちと離れ離れになることが全くないとは言えない。クレモンティーヌの言葉は、そう言う時の備えとなる。どうなろうとも、わたし達には道が残されている。そう思えることは、それだけで希望に違いなかった。

 ジャンジャンブルに呼ばれてクレモンティーヌがその場を去ると、続いてルリジューズがわたし達に声をかけてきた。

「まさか再びお会いできるとは思いませんでした」

 そう言って、ルリジューズは口元に薄っすらと笑みを浮かべた。

「あなた方の大胆さに今日は感謝しましょう。もう一度、声を聞けてとても嬉しく思います」

 その優しい言葉が身に沁みた。ルリジューズには厳しい事を言われたこともあった。厳しいけれど、知っておくべき本音を聞かせてもらえたことがあった。それだけでなく、彼女はきっかけでもあった。妖精が妖精として持ってもいいはずの尊厳。修道蝶々である彼女は、その象徴的な存在でもあった。ルリジューズに祈ってもらわなかったら、今のわたしはいなかっただろう。

「今までたくさんお世話になりました」

 しっかりとお辞儀をして、わたしはルリジューズに言った。その目に映らなかったとしても、この態度は声に乗るはず。そうでなくとも、ノワゼットが伝えてくれるかもしれない。

「あなたの祈りのお陰で、わたしは何度も救われました。そしてきっと、この先も、迷った時にはあなたの祈りが道標となるでしょう。あなたに出会えて本当に良かった」

 わたしの言葉にルリジューズは俯き、そしてしばし経ってから答えた。

「この祈りが……役に立って本当に良かったです。マドレーヌ、ビスキュイ。クレモンティーヌ様の仰ったことをどうか忘れずにいてくださいね。私たちはいつでも味方です」

 涙ぐんだその声を聞くと、わたしまで泣いてしまいそうだった。笑顔で見送るつもりだったけれど、もう会えないだろうと思うとやはり寂しくなる。かといって、ついていくのは躊躇われる。やはりわたしは、どうあがいても良血妖精なのだ。フィナンシエたちのもとで、明日以降もこれまでのように暮らし続けることを当たり前だと思っているのだから。

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