7.蝶と花の愛好会
ヴェルジョワーズの屋敷は、王都の中心地から少しだけ逸れたところに存在する。広々としたお屋敷の周囲は、中心地の外れとはいえフィナンシエの屋敷の周辺よりもずっと賑やかな場所である。けれど、お屋敷の敷地がとても広いこともあり、ここが町中であることを忘れてしまう空気に包まれていた。外門から玄関までの間には、腕のいい庭師の作品がずらりと並び、シンプルながらも立派な噴水が清々しい空気を生み出している。我が家であるフィナンシエの屋敷だって十分立派なものだけれど、ヴェルジョワーズの屋敷はまた違った美しさが備わっている。中に入れば、新鮮な光景が広がっていた。視界に入る家具の一つ一つがわたしの心をぎゅっと掴んで離さない。どうやら蝶を愛でる貴婦人らしく、蝶が好む壺をしっかりと抑えているらしい。
だが、見惚れていられたのもわずかな間だった。会場に集まった溢れんばかりの人と妖精の数に気づくと、たちまちのうちにわたしは怖気づいてしまった。けれど、幸いな事に、エントランスにはわたしをほっとさせる人物の姿もあった。
「まあ、フィナンシエ。それにマドレーヌも」
アマンディーヌだ。ビスキュイも一緒だった。彼女たちの存在にほっとしたのはわたしだけではない。隣にいる頼みの綱であるべき我が主人フィナンシエもまた心から安堵したようだった。
「よかった。待たせてしまったかな?」
「いいえ、私たちも今来たところ。マドレーヌ、とても似合っているわね」
アマンディーヌに微笑まれ、わたしは遅れてお辞儀をした。いつも以上に見栄えがいいのは確かだ。それこそ、見栄えがもっとも大事と何度も言われたオークション当日にも劣らないほど着飾っている。それはビスキュイも同じ。自慢の愛玩蝶々を見せびらかすのがこの会の趣旨でもあるのだから当然だろう。とはいえ、今日のアマンディーヌの姿もまたいつも以上に美しかった。わたしが見惚れるくらいだ。彼女に首っ丈の我が主人が見惚れないはずもない。見ていてこちらまで恥ずかしくなるくらいフィナンシエは顔を真っ赤にしていた。そんな彼の様子に、アマンディーヌはどうやら緊張しているだけだと思ったらしい。微笑みながら彼女はそっと手に持っていた扇子を翳して耳打ちした。
「そんなに緊張しないで。私が一緒だから大丈夫よ」
「あ……ああ、そうだね」
そう言って、フィナンシエは情けない笑みを浮かべた。さて、主人の心配ばかりしている場合ではない。緊張しているのはわたしも一緒だった。オークション会場以来の緊張だった。一生が左右されるわけでもないのに、周囲の人々の視線が刺さるように痛かった。そんなわたしを気遣ったのか、ビスキュイがそっと手を繋いでくれた。
「大丈夫。僕が一緒だから」
「あ、ありがとう、ビスキュイ」
我ながら情けない声だった。どうやらフィナンシエもわたしもお似合いの主従らしい。けれど、今のわたし達にはアマンディーヌとビスキュイという心強い味方がいる。そのお陰で人混みを泳ぐように歩くことが出来たし、そのお陰でこの度の主催者であるヴェルジョワーズへの挨拶も無事に叶った。ヴェルジョワーズはダンスホールの隅っこにいた。招待客に囲まれながら優雅に座り、茶を飲んでいるその姿はアマンディーヌとはまた違った気品がある。髪色はサヴァランのような銀狐の色合いだが、暗い印象よりも高級感の方を真っ先に感じるのは、艶があり、綺麗にまとめられているからだろう。
「ヴェルジョワーズ」
近づいてアマンディーヌが声をかけると、周囲にいた招待客が道を開けてくれた。ヴェルジョワーズの方も早々にわたし達の存在に気づき、血色の良い顔いっぱいに笑みを浮かべて歓迎してくれた。ヘーゼル色の目が光を受けて輝いている。その色合いに、わたしは早くも見惚れてしまっていた。
「まあ、アマンディーヌ。それにフィナンシエさんも。お越しいただけて嬉しいわ」
にっこりと笑う彼女にフィナンシエは丁寧にお辞儀をした。ぎこちなさはあったが、気品はあっただろう。その事に内心ほっとしていたわたしは、手を繋いでいたビスキュイがお辞儀をする姿が目に入って、慌てて自分もお辞儀をした。遅れてしまった。その焦りと恥じらいで顔が真っ赤になる。けれど、ヴェルジョワーズは全く気にしていなかった。微笑みながら彼女は言った。
「ビスキュイ、久しぶりね。元気になったようで良かったわ。それにマドレーヌだったわね。お会いできて光栄よ」
声をかけられ、わたしは顔をあげた。こういう場面では何と言うべきなのか頭の中はとうに真っ白だったが、身体が覚えていたのかどうにかこうにか口は動いた。
「お招きいただきありがとうございます」
すると、ヴェルジョワーズは笑みを一層深めて、椅子を開けた。
「さあ、二人とも座って。少しお話しましょう。マドレーヌのことももっと近くで見せてちょうだい」
促されるままに二人の主人が座るのを見て、わたしとビスキュイも空けられた席に座った。そして、その時になってようやくヴェルジョワーズの隣にちょこんと座っている妖精の存在に気づいた。そっと頭を下げると睨まれてしまい、戸惑ってしまった。
「マドレーヌ、もっとよく顔を見せて」
ヴェルジョワーズに声をかけられ、わたしはすぐに視線を向けた。ヘーゼルの目を言われたとおりに見つめていると、彼女は色気をたっぷりに含んだため息を漏らした。
「ああ、血統表の通り従順な子ね。従順の母フルールの直系らしさがあるわ。オーラが違うもの。初めてこの子の血統表を見た時はね、ぎょっとしたのよ。ただでさえお利口さんだった妖精たちの血が重なっているのに、さらに知性の母と呼ばれたガナッシュのクロス。理想の妖精を追い求めてきた生産者たちの熱い思いのつまった配合なのよ。だから本当に……」
そう言ってヴェルジョワーズは周囲を窺うと、扇子を片手に急に声を潜めて続けた。
「この子があなたに買われて良かったわ、フィナンシエさん。サヴァランなんかのもとに引き取られなくて本当に良かった」
彼女のその正直な言葉にフィナンシエもアマンディーヌも苦笑していた。まただ、と、わたしは忘れかけていたあの不安を思い出した。わたしをサヴァランに売りたがらなかったのは生産者も同じだった。けれど、何故だろう。結局のところ、わたしはその理由を知らないままだ。この疑問の答えは見つからないまま、話は進んでいった。
「それにしても、マドレーヌの血統を覚えていらっしゃるとはさすがです」
フィナンシエがそう言うと、ヴェルジョワーズは笑みを浮かべた。
「わたくし、無事に羽化を経た妖精の血統表に必ず目を通さないと気が済まない性分なの」
謙遜するようなヴェルジョワーズを前に、アマンディーヌが付け加える。
「彼女、太陽の国にいる全ての蝶の血統を覚えているのよ」
「それは凄い」
フィナンシエは素直に驚きを示し、ヴェルジョワーズに笑いかけた。
「駆け出しの妖精愛好家として、今日はぜひとも色々とお話を伺いたいものです」
「勿論、お付き合いしていただくわ」
悪戯っぽく笑うと、ヴェルジョワーズはふと隣に座っていた妖精に声をかけた。
「シュセット。少しの間、退屈かもしれないからこの子たちにお屋敷を案内してあげて?」
だが、シュセットと呼ばれたその妖精は、驚くべきことに全く返事をしなかった。髪はわたしと同じ栗色で、目の色は菫色。よくいる蝶の妖精にしか見えないのに、何故だか彼女は従順さの欠片もなく、愛らしいがきつい性格を隠すこともない表情で、わたしを睨みつけていた。けれど、やっぱり腐っても良血なのだろう。シュセットは不満を態度で表しつつも言われたとおりに立ち上がり、わたし達にも立つように促した。その態度に一々驚いていると、ヴェルジョワーズは苦笑しながら言った。
「御免なさいね、びっくりしたでしょう。シュセットはね、珍しいペシュの直系の子なの。一応、インブリードで従順さや愛嬌を強調しようとしたそうなのだけれど、結局は母系の血が勝ってしまってみたいでこの通り」
「ペシュというと……あのペシュですか?」
フィナンシエが驚いたように訊ね返すと、アマンディーヌがそっと答えた。
「大昔の話よ」
「ええ、大昔の話。ただし、だいぶ薄まったとはいっても、この通り、自尊心の塊と言われるだけあるでしょう」
ヴェルジョワーズは微笑みながら言った。
「でもまあ、むしろこれがペシュの血の良さでもあるわけ。従順すぎる子に物足りなくなったベテラン向けの品種ですけれど」
ヴェルジョワーズはそう言うと、シュセットを促した。それを見て、シュセットが嫌々ながらも頷き返すのを見て、アマンディーヌが声をかけた。
「シュセット、悪いけれど、うちのビスキュイたちをよろしくね」
その気遣うような声にもシュセットは笑みを浮かべもしない。ただ、失礼のないようにという気遣いだけは心得ているらしく、やけに丁寧なお辞儀を返した。そしてシュセットはくるりと背を向けて、数歩歩いてから再び振り返ってきた。
「何をしているの。さっさとついて来て」
シュセットの言葉になおも戸惑っているわたしの横で、ビスキュイが立ち上がる。さり気なく手を繋がれ、わたしもまた覚悟を決めて立ち上がった。
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