5.まだまだ先の話
「ところでさ」と、長く続いた沈黙を破ったのはビスキュイだった。視線で答えると彼は何故だか目を合わせようとせず、俯いたまま照れくさそうに言った。
「マドレーヌは知っているかな? アマンディーヌ様とフィナンシエ様の事」
彼の言葉にわたしはすぐにぴんと来て頷いた。
「恋人なんだよね? 二人ともそうは言わなかったけれど」
すると、ビスキュイは驚いたようにわたしを見つめて頷いた。
「お屋敷の誰かに聞いたの?」
その問いに首を振ると、ビスキュイはくすりと笑った。
「そっか、じゃあ自分で気づいたんだ。すごいね。僕はアマンディーヌ様のお屋敷にいる世話係のお姉さんから教えて貰ってようやく知ったのに。あ、でもね、厳密にはまだ恋人じゃないんだって」
「そうだったんだ」
素直に驚くと、ビスキュイは少しだけ嬉しそうに教えてくれた。
「うん、そのお姉さんが言うには、正式な恋人になるにはあともうちょっとって所なんだって。アマンディーヌ様もフィナンシエ様もあんなに親しそうなのにね。でも、結婚するのは間違いないってお姉さん言ってた」
彼の言葉にわたしまで少し照れてしまった。いつかは家族になるかもしれない。そんな予感はフィナンシエが初めてアマンディーヌの話をした馬車の中ですでに感じていたことだ。だが、こうしてビスキュイと実際に会って改めてその可能性を考えて見た時に、わたしは初めて喜ばしい可能性に気づいた。
「もしも二人が結婚したら、わたしたち毎日一緒に遊べるのかな?」
すると、ビスキュイはわたしをじっと見つめてきた。まじまじとわたしの顔を見ると、何故だか彼は俯いてしまった。もしかして、あまり嬉しくなかっただろうか。少し心配になっていると、ビスキュイがふと呟くように切り出した。
「実はね……僕、アマンディーヌ様に聞いたことがあって」
「何を?」
問い返すと、ビスキュイは緊張気味に答えた。
「あのね……アマンディーヌ様によると……僕たちはなる予定なんだって……お父さんとお母さんに」
「お父さんとお母さんに?」
その意味がすぐには分からず問い返すと、ビスキュイはとても不安そうにこちらを見つめてきた。
「僕とじゃ嫌かな?」
その問いにわたしは慌てて首を振った。
「い、嫌じゃないよ。ただ、ちょっと分からなかったの。お父さんとお母さんって、つまりどうやってなるの?」
思えば考えた事もなかった。そもそもわたしは、生みの親の顔を見たこともない。卵から孵った時に見守ってくれたのは生産者の人間たちだったらしい。わたし自身はその時の事を覚えてすらいない。母親は生家にいたものの常に別室にいたし、父親に至っては血統表に記された名前しか知らず、どんな妖精なのかも深く知る機会がなかった。つまり、お父さんとお母さんという存在自体が、いまだによく分からないのだ。どういうものなのかも、どうやってなるのかも。ビスキュイなら知っているのだろうか。アマンディーヌから何か聞かされているのだろうかと少し期待したのだが、わたしの素朴な質問に、彼もまた真顔になってしまった。
「僕も分かんないや」
ビスキュイはそう言って首を傾げ、すぐに声を弾ませた。
「でも、その時が来たらアマンディーヌ様が教えてくれるって言っていたよ。五年くらい先の事らしいけれど」
「五年か。結構先なんだね」
わたしはぬいぐるみを抱きしめながら、五年前のことを思い出そうとした。確か五年前は蛹にすらなっていなかった。身体にも女性らしさなどほんの少しもなかったし、まさしく子供だった。
「そうだよね。五年は長いよね」
ビスキュイもまたそう言って、しかし、ほっとしたように息を吐いた。
「でもよかった。僕じゃ嫌って言われなくて」
そう言って笑う彼がいじらしくなって、わたしはそっと囁いた。
「ビスキュイこそ、わたしでいいの?」
少しだけ揶揄ったつもりだった。けれど、ビスキュイは思いのほか大真面目に頷いた。
「勿論、僕も君がいい。だって、君と僕は相性がいいってアマンディーヌ様がそう言っていたのだもの」
「相性?」
「マドレーヌはさ、自分の五代血統表って見たことある?」
彼の問いにわたしは静かに頷いた。
五代血統表とは、蝶の妖精のみならず全ての良血妖精の価値を決める重要な情報でもある。両親と祖父母、さらにその両親といった五代前までの先祖の名前がずらりと並ぶ血統表で、わたしも何度か自分のものを見せられたことがある。人間たちはその名前一つ一つに価値を見いだし、わたしの希望価格を決めた。当のわたしは彼らの言っていることがさっぱりだったが、この血筋の情報こそが、この先のわたしの良血蝶々としての暮らしに影響を及ぼすだろうことは、何となく理解していた。
「その五代血統表がどうしたの?」
わたしが問いかけると、ビスキュイは少しだけ恥ずかしそうに言った。
「実はね、君と会う前にアマンディーヌ様が僕の血統表と君の血統表を並べて教えてくれたんだ。血統的にはね、君と僕の相性はぴったりなんだって。まるで初めから出会うために計算されて生まれてきたようだって」
その言葉を聞いて、彼が恥ずかしがる理由がよく分かった。わたしも急に気恥ずかしくなり、それでいて無性に嬉しくなってしまった。運命の相手、というのはこういう事なのだろうか。そんな話を聞いた途端、ビスキュイのことをまるで遠い昔から知っていたかのような気持ちになってしまう。
「ごめんね、こんな話してさ」と、ビスキュイは照れながら言った。その神秘的な銀髪に触れながら、彼は「五年も先のことなのにさ」と呟いた。そんな彼にわたしは笑いかけた。
「いいの。教えてくれてありがとう」
そして、わたしは彼の手にそっと触れた。
「今は五年も先の話だけどさ、わたし、まずはあなたと一番の親友になりたい」
すると、ビスキュイは花が咲いたような愛らしい笑顔を見せてくれた。
「僕も!」
そう言って彼は、手を握り返してきた。
「僕も君と一番の親友になりたい」
その菫色の目に、わたしはしっかりと頷いた。彼の手の温もりを味わっていると、早くもこれから待ち受ける未来のことが楽しみになってきた。二人の主人が家族になろうとなるまいと、この先の五年の月日はきっと素晴らしいものになるに違いない。
ビスキュイと並んでいるだけで、わたしはそんな夢を抱かずにはいられなかった。
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