8.生き証人

 生きていた。だが、辛うじて生きている。誰もが息を飲む状況で、フランボワーズはシトロンを引きずって入ってきた。妖精たちはしばしその様子を眺めていたが、真っ先に我に返ったジャンジャンブルの声がかかり、慌てて皆は手を貸した。シトロンは殆ど意識がないようだった。長椅子に寝かされた後は、苦しそうに息をしている。手足はいずれも繋がっているが、いかんせん傷が深すぎる。それに、傷の状態もあまりよくないらしい。

「これはまずい。薬を取ってくる。誰か、水を運んできてくれ」

 ジャンジャンブルの言葉で、妖精たちは動き出した。その傍でフランボワーズは息を整えていた。だが、そのまま休んだりはせずに、姉のクレモンティーヌの元へと真っすぐやってきた。

「ヴァニーユは何処ですか」

「たった今、私たちも探そうとしていたところです」

 フランボワーズの表情を見て、クレモンティーヌは付け加えた。

「この二人が到底無視できない情報をくださったのです。ヴァニーユは、私たちのことをよく思っていない人間の紳士サヴァランと繋がっている。アンゼリカを殺したのも、ババを殺したのも、彼女であると」

 すると、フランボワーズは胸を抑えた。動揺しているらしい。

「そうか……では、シトロンの譫言はそういう意味だったんだ」

「譫言?」

 クレモンティーヌの問いに、フランボワーズは頷いた。

「見つけた時に彼が言ったんです。『ヴァニーユに、見つかってしまう』って」

 これで十分だろう。わたし達の証言の信憑性が少しは増したはず。だが、安心している場合ではない。ヴァニーユは今どこにいる。この場にはいないようだし、隠れ潜んでいるのだろうか。

「姉さん、ヴァニーユは何者なんですか?」

「恐らく花蟷螂でしょう。花のふりをして、蝶や蜂といった花と親しい妖精を狙う。王国があった時代も、花蟷螂の話はたびたび語られたようです。将来を期待された王女や王子の中にも彼らの犠牲となった者はいたそうです」

「花蟷螂……じゃあ、あの傷も」

 フランボワーズは表情を歪めながらシトロンを見つめた。わたしは、シトロンをそれ以上、直視することが出来なかった。あまりに痛々しい。生きていてよかったと素直に喜べない。間違いなく明日以降も生き続けられるとジャンジャンブルが認めない限りは、まだまだ安心できる状態ではない。それに、無事だったとしても、これまでのように暮らせるのだろうか。そのくらい、酷い傷だった。動揺のあまり震えが生じる。あれよりも酷い状態でアンゼリカやババは死んだのだと思うと、そして、わたしもまたあのようにされる可能性があるのだと思うと、今更ながら怖くて仕方なかった。そんなわたしの手をビスキュイがそっと握ってきた。彼の手の温もりを感じていると、少しは気持ちが落ち着いた。

「ヴァニーユは一体どこにいるのですか?」

 クレモンティーヌが再度、そう訊ねた。その場にいた妖精たちは顔を見合わせ、首を傾げている。だが、その中で一人だけ、青ざめた顔で前へと出てきた妖精がいた。ノワゼットだ。がたがた震えながら、彼女はクレモンティーヌに言った。

「少し前に偵察から戻ってきて、そのまますぐに外に出ていきました。もう一度、夜の見回りをしてくるって……」

 そして、取り乱した様子でノワゼットはフランボワーズに縋りついた。

「お願いです。フランボワーズ様、誰か、すぐに彼女を追いかけてください! ヴァニーユは一人じゃない。一人じゃないんです。グリヨットが……グリヨットが一緒なんです! 二人きりで、見回りに行ってしまったんです!」

 その叫びに、わたしもまた気が遠くなってしまった。

 グリヨットがヴァニーユと一緒に?

 何故、連れ出したのか。何故、二人きりなのか。その目的は、今となってはあまりにも分かりやすかった。フランボワーズは目を丸くした。だが、すぐに手に持っていた木槍を構え直すと、クレモンティーヌに向かって叫んだ。

「姉さん、ここで皆を守っていてください!」

 そして、止める間もなく外へと飛び出していった。後に続く者はいない。皆、出て行こうとしたが、躊躇ってしまった。シトロンの苦しそうなうめき声が聞こえてくる。誰だって、こうはなりたくない。アンゼリカのように、ババのように死にたくはない。だが、わたしの隣にいたビスキュイは違った。わたしの手を離すと、そのままフランボワーズの後を追って外へと飛び出してしまったのだ。

「ビスキュイ!」

 彼の背中を驚いて見送ったが、すぐにわたしも勇気を貰った。行かないと。探さないと。戦えなくたっていい。見つければそれでいい。グリヨットを連れて逃げてくることだけを考えればいいだけだ。歌劇を観る恰好は、夜の町を走り回る恰好ではない。しかし、そんな窮屈さだって、今のわたしを鎖で繋ぐことは出来なかった。夜の町へと飛び出していくと、すぐに後ろからわたし達の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。シュセットがそうしたように呼んでいるのは、恐らくノワゼットだ。わたし達には荷が重いと判断しての事だろう。だが、わたしは気にせず走っていった。

 わたしにはフランボワーズのように戦う力なんてない。ビスキュイのように男の子らしく成長しているわけでもない。それでも、わたしにだって目があるし、鼻がある。それに声がある。グリヨットが思い出させてくれたあの声が。その力を使えば、きっと見つかるはずだ。間に合うはずだ。そう信じて、わたしは夜の路地裏を彷徨った。フランボワーズの姿も、ビスキュイの姿も、何処にいるかすぐに分からなくなってしまったけれど、怯えずに壁に手を突いて、探りながら進んでいった。

 ──グリヨット。

 暗闇の中で、わたしはひたすら願った。

 ──どうか無事でいて。

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