12.それでも家族になりたくて
屋敷に戻ってみれば、フィナンシエは血相を変えてわたしを出迎えた。何しろ、肉食妖精に関する忠告を受けたばかりだ。こんな状況で外に出るなんて思いもしなかったのだろう。これまではキュイエールを始めとする使用人たちに甘すぎるとそれとなく苦言を呈されてきたとは思えないほど、この度の叱り方は尋常でなかった。いつになく感情的にくどくど説教を続ける彼の言葉を、わたしは黙って聞いていた。その激しさは、いつもならば誰よりも先に感情的に叱ろうとするキュイエールすら驚かせ、わたしを庇おうとするくらいだった。
そんな彼の様子に、わたしの心情はぐちゃぐちゃになってしまった。反省するべきだとかつてならば思うだろうが、その時のわたしならばそもそもこんな事にはなっていない。勝手に外に出て、心配をかけるなんて事、昔のわたしだったら絶対に出来なかった。けれど、今はわたしにだって言い分はある。反抗的な不良妖精だと思われたとしても、やっぱりこの度の外出だってやむを得ないとしか思えなかった。
しかし、そんなわたしに追い打ちをかけるように想起されるのが、ルリジューズの忠告だったのだ。叱られ尽くして感情が震える中、ルリジューズが味わった恐怖と絶望のほんの一欠けらに近いだろうものがわたしの心にぽつりと生まれた。涙を必死に耐え続けていると、段々とフィナンシエもだいぶ冷静になってきたのか、言葉の勢いは衰えていった。やがて、彼はため息を吐くと、いつもの穏やかさに近い声でわたしに訊ねてきた。
「何とか言ったらどうなんだ」
その言葉に、わたしは観念して顔をあげた。泣いてはいけない。悪いのはわたしだから。けれど、心の中に巣食ってしまったこの不安を密かに抱えたままでは、彼にきちんと向き合うことも出来なかった。
「フィナンシエ様……」
かつてのように愛すべき主人と愛される妖精でいるためにも、わたしは真っすぐ彼に訊ねたかった。
「フィナンシエ様は、従順でないわたしを収容所送りになさいますか……?」
その言葉を絞り出すと、周囲にいた人間たちが一斉に息を飲んだ。フィナンシエも同じだった。目を丸くしてわたしを見つめ、息を飲む。顔色は一気に悪くなり、口を開け、しかし、言葉を見失っていた。しばらくして冷静さを取り戻すと、彼はようやく言った。
「そんなこと……するわけないじゃないか!」
そして、わたしの両肩を彼は強い力で掴んだ。
「ずっとそんな不安を抱えていたのか? 私がいつか君に酷い仕打ちをするかもしれないと。だから、何度も外に出て、野良たちと触れ合っていたのか?」
押し殺したその声には、怒りと悲しみの感情が含まれている。わたしの問いが主人の心を傷つけてしまっている。その表情とその態度に、わたしもまた痛みを感じていた。周囲の人間たちが固唾を飲んで見守る中、わたしははっきりと答えた。
「違います」
戸惑いつつ、躊躇いつつ、わたしは思いのままに彼に言った。
「違うんです。わたしはフィナンシエ様のことを信じております。疑いたくないのです。けれど、わたしのように人間を信じて裏切られた妖精たちがいるんです。愛を失い、酷い目に遭った良血妖精たちが。その事実があまりに怖くて」
「君が怖がる必要なんてない。私はそんな事しない」
彼は言った。だが、すぐには安心できなかった。一度白状すれば、恐怖はすっかり薄らいだ。勢い任せにわたしはさらに、フィナンシエに確認するように訊ねた。
「では、わたしが酷い怪我を負い、醜い姿になったとしたら? わたしのせいで誰かとトラブルになってしまったら? 価値のある妖精でなく、損害しかもたらさない不良品の妖精になってしまっても、フィナンシエ様はわたしを手放さずにいられますか?」
咎めるような形になってしまっていたという事に気づかないまま、わたしはフィナンシエを問い質した。フィナンシエはわたしの肩を掴んだまま、狼狽えつつも、一つ一つの質問に答えてくれた。
「怪我をしたなら治療する。姿がどうなろうと関係ない。それにトラブルになったら? 全ての責任を負うつもりで君を迎え入れたんだ。価値が変動したとしても同じこと。誰かが君を傷つけようとするならば、私は全力で君を守る。君は私の家族なんだよ」
フィナンシエは必死になってわたしに言った。震えの止まらないわたしの肩を掴んだまま、彼もまた震えていた。
「頼むよ、マドレーヌ。私を信じてくれ。私の前からいなくならないでくれ。アマンディーヌだって君を愛している。いつの日か、ビスキュイも含めて四人で暮らしたい。そんな日が来るかもしれない。だが、マドレーヌ。それとも君は……ひょっとして、君にとって、この未来は幸せな事ではないのだろうか……」
力なく呟く彼の言葉を受けて、わたしはいよいよルリジューズに言われたことを思い出していた。わたしにとって、幸せの在り処はどこなのか。すっかり憔悴し、元気のなくなったフィナンシエを見ていると、先ほどまで酷く叱られていた辛さすら吹き飛んでしまった。
彼が怒っていたのは、そのプライドが傷つけられたからではない。わたしにはよく伝わった。彼が怒っていた理由は、キュイエールが叱っていた時と同じ。本気で心配していたからこその態度だったと。自分は間違いなく愛されている。
「フィナンシエ様」
肩を掴み続けるその手に触れて、わたしは彼を見上げた。
「ご心配おかけして申し訳ありません。わたしの幸せは、フィナンシエ様の妖精であり続ける事に違いないはずです」
彼にそう告げると、わたしの脳裏にルリジューズの姿が浮かび上がった。かつて人間のもとで輝いていたルリジューズは、どんな表情をしていたのだろう。今もその栄光を思い出してしまうと言う彼女は、どんな気持ちでわたしにあの話をしていたのだろうか。次に思い浮かべたのは、アンゼリカだった。彼女もまた同じだった。良血妖精として生まれて当然ながら望んだ未来を失って、どんな気持ちでわたしを見つめていたのか。初めて会った日に睨まれたあの時の事を思い出すと、これ以上、わがままでいることなんて出来ないと素直に感じた。
フィナンシエはわたしを見つめ、そしてゆっくりと屈んで視線を合わせてきた。
「怒鳴ったりしてすまなかった」
彼は言った。
「無事に帰ってきてくれて本当に良かった。マドレーヌ、疲れただろう。今日はもうゆっくり休みなさい」
その言葉に深く頭を下げると、傍で控えていたキュイエールがすぐに近寄ってきた。彼女に背中を支えられながら部屋へと戻ろうとしたその時、フィナンシエがふと思い出したように呼び止めてきた。
「──そうだ」
振り返ると、彼は書斎の机の上に置かれた手紙を手に取り、わたしに示しながら言った。
「ヴェルジョワーズから招待状を貰ったんだ。愛好会ではない。王立歌劇場で新作の歌劇があるらしい。そういった場所ではね、良血妖精を同伴させることも多いんだ。アマンディーヌもビスキュイを連れて行くと言っていた。マドレーヌもぜひ一緒にとのことだが、来てくれるか?」
その言葉にわたしは丁寧にお辞儀をして答えた。
「フィナンシエ様が来いと仰るのなら、喜んで御同行いたします」
すると、彼はほっとしたように目を細め、頷いた。
「約束の日はちょうど一週間後だ。覚えておいてくれ」
わたしもまたその言葉に黙って頷いた。
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