12.妖精マニア

 蝶に限らず良血妖精が身につけるべき教養に、芸術と触れ合う心というものもあったものだが、義務としてではなく純粋により良い音楽は心を華やかにするものだということを、わたしは今回学ぶことが出来た。ヴェルジョワーズが依頼した楽団は、王立楽団出身の名演奏家ばかりで、奏でられる音楽に人間たちのみならず集まった全ての妖精たちが惚れていた。曲名も、背景も、わたしには分からない。それでも、美しい旋律は心にすっと入ってくるものなのだろう。

 けれど、その楽しみが終わってしまうと、いつまでもずっと余韻に浸っていることは出来なかった。各々が歓談を再開しているその喧騒の中において、わたしの頭にじわじわと浮かんできたのは噴水で水浴びしていたあの翅有妖精だった。今頃、彼女は何処に行っただろう。もう立ち去ってしまったのだろうか。確認しに行きたい気もしたが、フィナンシエたちの傍を勝手に離れるのは気が引けて、我慢に我慢を重ねて座り続けていた。しかし、彼らの楽しげなお喋りはちっとも頭に入ってこない。わたしはひたすら少女のあのきらきらした目のことを思い出していた。

 遠目だからはっきりとは覚えていないが、たぶん菫色の目ではなかった。良血妖精の大半は菫色の目をしているか、せいぜい片目だけ違う色をしたオッドアイが認められているくらいなのだが、彼女の目は恐らくもっと地味な色合いだった。髪の毛の色はわたしやシュセットと同じ栗色の範疇に入るかというところ。入ったとしても、あのぼさぼさの髪では、生産者たちがしかめ面になるだろう。

 それでも、彼女の目は生き生きとしていた。水浴びを楽しみ、一人ではしゃいでいるその姿は、まるで人間たちが時折語りたがる小天使のようにも見えた。しかし、天使などではない。彼女はわたしと同じ妖精だ。それも、わたしよりもずっと不幸で、苦しい立場に置かれているはずの野良妖精。なのに、どうしてあんなに生き生きとした目をしていたのだろう。

「それにしても、あの野良の子には驚かされましたね」

 ふと、我が主人の声が聞こえ、わたしは我に返った。

「あんなに人間たちに見つめられて怯えないとは大した度胸だ。野良妖精ってもっと警戒心が強いのかと思っていました」

 そう言って笑うフィナンシエに、ヴェルジョワーズは苦笑しながら頷いた。

「ええ、あの子は前々からそういう所があったのよ。でもまさか、愛好会を開いている時にも現れるなんて思わなかったわ。ここにいるのが妖精好きばかりで本当に良かった」

 ヴェルジョワーズの言葉に頷き、フィナンシエはそっと小声で言った。

「背中の翅の名残も興味深いものがありました」

「あの愛らしい翅の名残ね。今生きている野良の子たちにもエクレールの血は流れているはずだけれど、先祖返りの一種なのかしらね」

 ヴェルジョワーズはそう言って、隣に座るシュセットを見つめながら言った。

「この子たちにもあの子にも、かつては美しい翅が生えていたのですもの。けれど、その美しい翅をも凌駕する素晴らしい身体をエクレールは持っていたと言われているの。だから、そのお血筋のこの子たちも彫刻のようでしょう。翅の色合いや模様を楽しむことはもう出来ないけれど、人間により近い、完璧な妖精に近づいた……ってことになっているわ」

 その含みのある言葉に、シュセットがちらりと真意を窺おうとしている。わたしもまたおずおずとヴェルジョワーズたちの会話を見守っていた。たぶん、ビスキュイもそうだろう。

「翅のない妖精を私たちのご先祖様は求めたってわけね」

 会話を繋いだのはアマンディーヌだった。

「けれど、それが野良になると途端に翅が復活するのだから面白いものね」

「それにあの図太さと逞しさ。マドレーヌやビスキュイにはない雰囲気を持っていたね」

 そう言ってフィナンシエは首を傾げた。

「あれもペシュの血なのかな」

 すると、アマンディーヌがくすりと笑った。

「図太さといえばファリーヌの血の影響もありそうよ。愛嬌の母だなんて言われているけれどね、要領よく自分の願いを叶えさせようとするところは図太いと言えなくもないわ。ねえ、ビスキュイ」

 突然主人に名指しされ、ビスキュイはびくりと震え、小さくなってしまった。そんな彼の様子に微笑むと、ヴェルジョワーズは改めてビスキュイの顔を見つめた。

「ところでビスキュイ。しばらく見ない間に、ますます綺麗な髪色になってきたわね。あなたのお父さんのシュクルもそのくらいの年齢からどんどん銀髪になっていったのよ。今に美しい雪色になるでしょうね」

 その言葉にビスキュイが愛想笑いをすると、ヴェルジョワーズはフィナンシエとアマンディーヌをそれぞれ見つめ、ウズウズしたかと思うと語りだした。

「この子の父親のシュクルの話ですけれどね、特徴的な銀髪は彼の血を継ぐ全ての子に引き継がれたそうよ。シュクルは両親ともに銀髪だったから、その血が濃かったのでしょうね。ビスキュイのお母さんは銀髪ではなかったわけだけれど、さて、マドレーヌとの間にはどんな髪色の子が誕生するかしらね」

 うっとりとした様子で語る彼女を前に、わたしもまたそわそわしてしまった。五年も先の話ではあるけれど、いずれはわたしとビスキュイの子が生まれるのだと思うと少し不思議な気持ちになった。

「なるほど、私も気になります。マドレーヌの卵からどんな子が孵るのか。けれど、生憎、生まれた卵はいくらか生家に引き渡すという約束でしてね」

 フィナンシエがそう言うと、ヴェルジョワーズは意外そうな顔をした。

「あらそうなの。あのお家も随分とケチなのね。ずいぶんお支払いになったでしょうに」

 アマンディーヌもまた呆れたように頷いた。

「通例通り、最終評価額の十分の一の価格分ですって。それって一体どれだけの数になるのかしら。先の話ではあるけれど、妖精売りの方々もちょっとは柔軟に考えて欲しいところよね。この子の負担も考えてあげてほしいわ」

 今のわたしには少し難しい話のようだ。けれど、分からないなりに人間の主人たちを辟易させる内容なのだと理解できた。

「その頃には妖精売りの常識も少しは変わっている事でしょうよ」

 ヴェルジョワーズはそう言って茶を一口飲んだ。そして、笑みを浮かべ直し、今度はわたしを見つめながら言った。

「それよりマドレーヌ。今度はあなたの話をさせてもらいましょうか。この子の血統は皆も知っての通り従順さに磨きをかけた配合で──」

 そう言って、ヴェルジョワーズはわたしの血筋についてぺらぺらと話し始めた。わたしは圧倒されながら彼女の話を聞いていた。自分の知らない先祖のことをヴェルジョワーズはよく知っていた。血統表で名前を見ただけの先祖たちが、どのようにして人間たちに気に入られて、そしてどのように生涯を終えたのか。それらのエピソードの一切は、生家の人間たちの口から語られることがなかった。良血として身につけなくてはならなかったあらゆる教養よりも、やはり自分の事だから興味を抱かずにはいられない。けれど、ヴェルジョワーズの口から、わたし自身が知らないわたし自身の事が語らえる毎に、わたしは何故だか寂しい気持ちになった。

 どうしてわたし自身よりも、人間たちの方がわたしに詳しいのだろう。その疑問が自棄に引っかかり、何故だか胸の中にしこりのように残ってしまったのだ。けれど、気にしたって仕方がない。世界を学ぶ機会の多い人間たちの方が、わたし達よりも多くの事を知っているのは当然のことだ。それよりも、今はこの場を楽しみ、新たな知性を身につけた方がいい。わたしの良血妖精としての成長はフィナンシエの評価にも直結するのだから。

 いささか肩に力は入ったけれど、愛好会はそのまま問題なく進行していき、来た時よりもだいぶ緊張感は薄まっていた。やがて帰るのが恋しくなるくらいには打ち解けて、次の参加が待ち遠しくなる形でヴェルジョワーズたちに別れを告げたのだった。だが、音楽を楽しんだときのように、夢のひと時が終わると余韻も薄れていくものだ。馬車に揺られている間も、わたしの脳裏にはあの野良妖精の姿があった。けれど、ふとした瞬間に、忘れかけていたもっと恐ろしい人物の事を突然思い出してしまったのだ。

「あの……フィナンシエ様」

 声をかけると、疲れの為か半分眠っていたフィナンシエはぱちりと目を開いた。

「ん……どうしたんだい?」

 眠たそうな目を擦りながら問い返されて、わたしは内心申し訳なくなりながらもせっかくなので思い浮かんだ疑問を口にした。

「サヴァラン様ってどういう御方なのでしょうか?」

 すると意外な問いだったのか、フィナンシエは答えに詰まってしまった。

「サヴァランさんねぇ……」

 わたしはそんな彼に向かって慌てて付け加えた。声を潜めてそっと。

「この名前を聞いた妖精たちが少し怖がっていたのです。それで、どうしてだろうってちょっと気になってしまって」

 すると、フィナンシエは考え込み、小さく唸ってから口を開いた。

「そうだね。私も詳しくは知らないのだが、アマンディーヌによると、彼は頻繁に蝶の妖精のオークションに参加されるそうだ。それで、毎回、気に入った良血蝶々を買っていく。当然ながらその生産者は頻繁に連絡を取り合おうとするわけだ。君の生家の人たちがそうするようにね。しかし、サヴァランさんは生産者の方たちに連絡をちゃんと返してくれないらしい。それだけじゃない。彼に買われた良血蝶々たちは、引き取られてほんの数か月で病死してしまうんだ」

「病死……?」

 思わぬ言葉に身体が震えた。フィナンシエはそんなわたしを見つめ、そっと訊ねてきた。

「続きも聞きたいかい?」

 その問いに、わたしは勇気を出して頷いた。すると、フィナンシエは苦笑しながらも、応じてくれた。

「生産者たちにとって君たち良血蝶々はただの商品じゃない。我が子のようなものだ。それなのに病気の時に連絡一つくれないなんてと不満を持つわけだが、厄介な話だがサヴァランさんは生産者の方々よりも高貴なお血筋の御仁だからね、彼らには案内された墓を見舞うことしか出来ないそうだ。ならばせめてどんな病気だったか知りたがるものだろう。けれど、サヴァランさんはその調査にも協力してくださらない。いつも埋葬が終わってから連絡を入れる上、その遺体も火葬してしまっているらしくて検死も出来ない。となると、当然、彼に蝶を売りたくないという声があがるわけだが、さっきも言ったようにサヴァランさんの参加を阻止できる人物はいない。噂じゃ、国王陛下にすら難しいだろうなんて言われているくらいだからね」

「そう……なのですね」

 サヴァランが嫌われている理由が何となく分かった。だが、訊かなきゃよかったかもしれない。それほどまでにわたしは寒気を感じていた。もしもわたしがフィナンシエに買われなかったら、今頃生きていなかったかもしれないわけだ。けれど、どうして病死してしまうのだろう。不思議に思いながら俯いていると、フィナンシエはわたしに笑いかけてきた。

「サヴァランさんの事はもう気にしなくていいんだよ」

 優しい声で彼は言った。

「君は私の妖精なんだから」

 その温かな笑みに、わたしの寒気はだいぶ和らいだ。

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