2章 蝶の王国

1.恋の季節

 季節の移ろいがわたしの敏感な肌を刺激し始めた頃、言葉に出来ない謎のむず痒さに悩まされ始めた。生家では味わったことのない感覚の正体が分からず、わたしはしばらく一人で悩み、苛々していた。けれど、身の回りの世話をしてくれるキュイエールの目にも、わたしの心身の変化は明らかだったらしい。いつの間にかこの事はフィナンシエにも伝わっていて、わたしは応接間に呼び出されることとなった。フィナンシエと一緒にいたのはアマンディーヌだった。ビスキュイでは一緒ではなく、珍しいことに彼女一人で屋敷を訪れていた。そんな二人から真っ先に告げられたのは、わたしにとっては衝撃的な今後の方針だった。

「半月くらいかしらね。ビスキュイには会えなくなるけれど、我慢してね」

 アマンディーヌにそう言われ、わたしはその不安を顔に出してしまった。あまり良くないことだといつもなら言われなくとも分かるはずなのに、今だけはいい子にしていられる余裕がなかった。その為だろう。アマンディーヌはわたしに微笑みかけ、勇気づけるように言ったのだった。

「まあ、マドレーヌ。怖がらなくていいわ。半月なんてあっという間よ。その後はまた前みたいに遊べるから大丈夫よ」

 そして、アマンディーヌはすぐに、わたしと同じく不安そうな表情を浮かべるフィナンシエに言った。

「フィナンシエもそんな顔をしないで。マドレーヌが怯えるでしょう?」

「す、すまない。初めての事だから不安で」

「もう、しっかりなさい。それよりもフィナンシエ? この子のケアの準備は大丈夫? 生産者からも説明を受けたでしょう?」

「そうだ……そのことで相談したかったのだが」

「そんな事だろうと思った。それならわざわざ私をここに呼び出すことないじゃない。何が必要か連絡をくれたら向こうで速やかに手配してあげたのに」

「あ、ああ、そうだね。ごめん」

 今、思い出したようにフィナンシエは苦笑した。だが、わたしにはお見通しだった。我が主人はあれこれと理由をつけて、ただ愛しのアマンディーヌの顔を見たかっただけなのだろう。そもそも、サヴァランとの激しい競り合いでわたしを競り落としたのだって、アマンディーヌにいい所を見せたかったからなのではないかと囁かれているくらいなのだから。しかし、そうだとしても、その好意をうまく面に出せないのが我が主人の内気なところだ。わたしがここへ来て数か月は経つのに、この二人の関係があまり進展しているように見えないところも関係ないわけではないだろう。そんな二人の関係を思うと、季節ゆえのむず痒さと合わさって歯痒くて仕方ないのだが、出しゃばりが許されるはずもないのでわたしはぎゅっと唇を結んで黙っていた。

「おかしな人ね。でもいいわ。私にして欲しいことは何?」

「あ、ああ……この時期の蝶の女の子には良血花と一緒にした方がいいって聞いたのだけれど、生憎、その当てがなくて」

「分かった。その協力してほしいのね。ちょうどよかったわ。ヴェルジョワーズの友人にシャルロットというご婦人がいてね、花の妖精のブリーダーをやっているの。マドレーヌにぴったりの花を貸し出してくれるはずだから、私が連絡を取ってあげる」

「ありがとう、すごく助かるよ」

 フィナンシエの言葉に、アマンディーヌは美しい笑みを浮かべた。

「どういたしまして」

 そして、アマンディーヌは付け加えた。

「不安になるのも気持ちは分かるわ。私も昔、蝶の女の子のお世話をしたことがあるから。でも、大丈夫よ。恋の季節の蝶のことは、花の妖精が一番よく分かっているから」

「分かった。肝に銘じておくよ」

 フィナンシエが頷くと、アマンディーヌも満足したように頷いた。そんなやり取りを見つめながら、わたしはふと疑問を浮かべた。恋の季節って何なのだろう、と。その後、キュイエールに連れられて部屋に戻ると、わたしはさっそく彼女に対してその疑問をなげかけた。

「ねえ、キュイエール。恋の季節って知っている?」

 同じく知らないことを共有したいという気持ちもあったのだが、どうやらキュイエールはわたしよりだいぶ世界の事を知っているようで、あっさりと頷いた。

「わたしはよく知らなくて」

 もじもじとしながらそう言うと、キュイエールは微笑みを浮かべた。

「ああ、恋の季節のことを知りたいのね」

 そう言って、キュイエールはわたしと視線を合わせてから話してくれた。

「恋の季節っていうのはね、その言葉通り、妖精たちが異性に恋をする時期のことなの。この季節が来ると、妖精の女の子たちはうんと綺麗になって、妖精の男の子たちの心を虜にしてしまう。だから、妖精たちはこの時期に結婚するのですって」

「結婚……?」

「ええ、人間たちの結婚とは少し事情が違うけれどね」

「じゃあ、どうしてわたしはビスキュイと会っちゃいけないの?」

「あなた達は結婚にはまだ早いから。恋の季節はね、神様が妖精たちにかけた魔法みたいなものだから、抗えないものなのですって。人間たちが配慮してあげないと、あなた達は結ばれてしまう。そうなると、望んでいない卵が出来てしまうの」

「卵? わたしとビスキュイの?」

「うん。でも、今のあなたが卵を産むには早すぎる。もう少し女性らしく、ふっくらとしてこないとね。だから、この時期は卵が出来ないようにしなきゃいけないの」

「それでビスキュイと会っちゃダメなのね?」

「そういうこと」

 キュイエールの言葉に、わたしはようやく納得した。結ばれる、という意味が自分でもまだよく分かっていない気もしたけれど、ともかく何故、ビスキュイと会えないのかというその事情は理解できた。だが、理解できたところでやっぱり半月は長すぎる。

「ねえ、キュイエール」

 わたしは再びキュイエールに甘えた。

「半月って長すぎると思わない? 今からでも三日くらいにしてくれたらいいのに」

 すると、キュイエールは小さく笑った。

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