3話 俺をチキンとは言わせない

「……え? なんで?」


 俺の返答に、水嶋は心の底から不思議そうに目をぱちくりさせる。

 まさか断られるとは思ってもみなかった、という顔だ。こいつ、マジか。


「あのなぁ……百歩、いや千歩、いやもう譲れるだけ譲歩して、お前が本当に俺のことが好きで告白してるんだとしても、だ。それで俺が『じゃあ付き合おう』って言うとでも思ったのか?」

「え、うん」


 即答かよ。

 なんでそこまで勝利を確信できるんだよ。


「だって、颯太っていまフリーでしょ?」

「そういう問題じゃ……いや俺がフリーになったのはお前のせいでもありますよね!?」


 いたって真面目な顔でアホなことを呟きながら、水嶋がぎゅっと胸元で腕を組んだ。


 ブラウス越しでもよくわかる豊かな双丘がぐいっと押し上げられるもんだから、俺は突っ込みつつも目のやり場に困ってしまう。


 こいつ、本当に高一かよ……じゃなくて。


「お前にはもう江奈ちゃんっていう恋人がいるだろ。そのうえ俺とも付き合うっていうのは、そりゃ完全に浮気だろうが」


 水嶋の胸元から視線を逸らしつつ、俺はビシリと正論を突きつけた。

 それでも、水嶋はケロッとした表情を崩さない。


「大丈夫じゃない? 江奈ちゃんは女子の恋人で、颯太は男子の恋人。ほら、ちゃんとすみ分けできてるから問題ナシ。というか、そもそも私の本命は颯太の方だし」

「いや、その理屈はおかしい」


 こいつ……頭良いくせに、ひょっとしてバカなんじゃなかろうか?


 いや、もしかして水嶋ほどの陽キャラにとっちゃ、恋人が何人もいるなんてのはごく普通のことなんだろうか? 


 だとしたら、俺みたいな陰の者にとってはまったく別世界のお話だ。


「はぁ……なぁ水嶋さんよ。少しは俺の立場にもなって考えてみてくれ」


 たしかに水嶋は美人だし、人気者だし、誰もが憧れる存在だろう。

 本心で言っているのかは甚だ疑わしいが、正直、そんな彼女に「好きだ」と言われて全く嬉しくないと言えば嘘になる。


 しかし、それでもこいつが俺の宿敵である事実は揺らがない。


 いくら人気者で顔が良くても、ネズミが猫を恋愛対象として見るなんてのは無茶なお話だ。


「要するにだ。そもそも浮気になっちまう上に、俺は別にお前のことが好きじゃない。だからお前とは付き合わない。以上。おわかり?」


 俺がきっぱりそう言うと、それまではクールな顔を保っていた水嶋が初めて不満げに眉を寄せた。


「なんだよ、その反抗的な目は」

「颯太のケチ。いいじゃん、付き合ってくれるぐらい」

「ケチで結構。話は終わりか? なら俺はそろそろ帰るからな」


 言って、俺が屋上の扉へと向かおうとすると。


「じゃあ、しよう」

「は? 勝負?」


 また訳の分からないことを言い出したぞ、こいつは。

 俺が渋々振り返った先では、水嶋が悪戯っぽい笑顔を浮かべていた。


「一か月」


 水嶋が、白魚みたいに華奢な人差し指をピンと立てる。


「一か月だけ、私と『お試し』で付き合ってよ。そして一か月後、私はもう一度キミに告白をする。そこでキミが今日と同じように私の告白を突っぱねられたらキミの勝ち。その時は潔く諦めるよ。もうしつこく迫ったりしないって約束する」


 そこで一旦言葉を切った水嶋が、ツカツカと俺の目の前まで近づいてくる。


「でも、もしキミが私の告白を受け入れちゃったら、私の勝ち。颯太には大人しく私の恋人になってもらう。つまりこれは、私が一か月で颯太のことを攻略できるかどうかの勝負ってこと」

「いやいや、なんだそりゃ? なんで俺がそんな面倒なことに付き合わなきゃいけないんだよ」


 そもそも、仮に一か月間「お試し」とやらで付き合ったとしても、それで俺がこいつの告白を受け入れるなんてことはありえない。


 だって、好きじゃないんだもの。初めから勝負は見えているじゃないか。

 大した利があるわけでもなし、やるだけ時間の無駄ってもんだ。


「どう? 勝負してみない?」

「断る。俺には何のメリットもない勝負だ」

「なら、追加報酬。そっちが勝ったら──私がなんでも一つ言う事を聞いてあげる」


 水嶋が不意に俺の耳元に唇を近づけて、囁くようにそう言った。


 至近距離から聞こえてくるハスキーボイスに、サラサラな髪から漂う金木犀の香り。


 突如として耳と鼻を同時に刺激され、俺は「へぅおん!?」と自分でも笑っちまうくらいに変な声を挙げてしまった。


「お、お前っ、その急に近づいてくるのやめろって!」

「ごめん、ごめん。で、どう? 私になんでも命令できる権利。十分メリットだと思うけど」

「なんでも、って……」

「ん、。えっちなことでも良いよ? 私、颯太になら何されたっていいし」


 水嶋がやたらと煽情的な目で俺を見上げ、さらに半歩ほど近づいてくる。


「す、するわけないだろ! そんな命令!」


 彼女のブラウスの隙間から見えてしまった深い谷間から慌てて目を逸らし、俺はすぐさま水嶋から距離を取った。


「あはは、赤くなってる。可愛いなぁ、颯太は」

「やかましい! とにかく、俺は別にお前に命令したいこともないし、そんな勝負を受ける義理はないからな!」


 今度こそおさらばしようと、俺は肩を怒らせながら屋上の扉に手を掛ける。

 そのまま押し開けて校舎に入ろうとして。


「ふ~ん……?」

「……あんだって?」


 挑発するような水嶋のセリフに、思わずピタリと足を止めて振り返った。


「『面倒』とか『メリットが無い』とか色々言い訳してるけど。本当はたった一か月で私に攻略されちゃうかも、って不安なんじゃないの?」

「はぁ? そんなわけ……」

「そういえば、江奈ちゃんも言ってたっけなぁ。『私、颯太くんの意気地ナシな所が嫌だった』って。あはは、たしかにこれは、とんだ意気地ナシチキン野郎かもね」


 カッチーン。

 俺の中で、何かのスイッチが入る音がした。


「は、はは、はははは……そこまで言われちゃ、さすがに黙ってられるかってんだ」


 たしかに、彼女を奪われるだけならまだしも、売られた喧嘩からもおめおめ逃げるなんてのは情けなさすぎるよな。


 ここで退いたら、それこそ俺は本物のチキン野郎に成り下がっちまうだろう。


 雀の涙ほどちっぽけなもんだが、こんな陰キャ男にだってプライドってもんがあるんだ!


「いいぜ。お前のその安い挑発に乗ってやろうじゃんか」


 俺の答えに、水嶋がニヤリと口端を上げる。


「そうこなくっちゃ」

「ふんっ。そうやってな、澄ました顔で笑っていられるのも今の内だぜ。たとえ一年かけたって、俺がお前の告白を受け入れるなんてことはありえない。何を企んでいるか知らないが、この一か月せいぜい無駄な努力をするんだな!」

「う~ん。セリフの『かませ犬臭』が半端ないよね」

「かまっ!? や、やかましいわい!」


 畜生、どこまでも癪に障るやつだ。

 出鼻をくじかれて顔をしかめる俺に、水嶋は愉快そうに笑いかけた。


「それじゃあ──これから『恋人』としてよろしくね、颯太?」


 ※ ※ ※


 こうして、俺と水嶋の「勝負」の一か月は幕を開けた。


 しかし、この時の俺はまだ想像だにしていなかったのだ。


 俺たちのこの「勝負」が、まさかを迎えることになるなんて。

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