第59話 答え

 翌日の月曜日。


 いつも通りと言えばいつも通りなのだが、俺はロクに授業なんか聞いちゃいないまま、ずっと眉間にしわを寄せて過ごしていた。


「ねぇ、颯太。知ってる? 特進クラスの水嶋さん、午後から学校来てるんだって」


 5時限目が終わったあとの小休憩のタイミングで、前の席で伸びをしていた樋口が振り返る。


「先週はずっと体調不良で休んでたみたいだけどね。いやぁ、さっき特進クラスの前を通りかかったらすごい人だかりでさ。やっぱり人気者だよねぇ」

「……おぉ、そうか」

「『そうか』って……やれやれ。颯太はもうちょっと世情とかトレンドに興味を持った方がいいよ? 興味ないことでも、知っていれば話題のネタにもなるしさ」


 悪かったな、世情に疎くて。

 というか、それに関しちゃ多分俺の方が事情を知っている。


 ……いや、今はそんなことよりも、他に考えるべきことがある。


「……ふぅ」

「颯太? どうしたの、ため息なんてついちゃって。そういえば、今日はなんだか朝からずっと難しい顔してるよね。歯でも痛いの?」

「……まぁ、そんなところだ」


 樋口の質問に適当な答えを返し、俺は視線を窓の外へと戻す。


 コの字型になっている本校舎東棟の2階。そこにある俺の教室からは、見上げれば反対側にある西棟の屋上のフェンスが見えた。


 ちょうど1か月前、俺が人生で2回目の告白をされた場所。

 俺と水嶋の「勝負」の1か月が始まった場所。


 そして──今日、その「勝負」の決着がつく場所。


『1か月後、私はもう一度君に告白をする』


 そう言った時の、どこか一世一代の大博打にでも挑むかのようなあいつの真剣な顔は、不思議と今でもはっきり覚えている。


 俺がその告白を受け入れたら、水嶋の勝ち。

 あくまでもお試しだった「恋人」という肩書は正式なものとなる。

 この1か月にあいつと過ごしたような日々が、これからもずっと続いていくのだろう。


 逆に、俺がその告白を断れば、俺の勝ち。

 水嶋は俺の事をすっぱりと諦め、もう付きまとったりすることはない。

 あいつとの仮の恋人関係も、今日限りをもって終了だ。この1か月にあいつと過ごしたような日々は、きっともう二度と訪れることはないだろう。


(…………俺は)


 無意識のうちにポケットの中の拳を握りしめ、俺は目を閉じた。


(俺の答えは、もう決まってる)


 決着の時は、もうすぐだ。


 ※ ※ ※ ※


【16時半】


 帰りのホームルームが終わって教室を出たところで、水嶋からそんなシンプルなメッセージが届いた。


「場所は言わなくてもわかるよね?」というあいつの試すような笑顔が目に浮かぶようで、なんだか少しムカつく。ふん、と鼻を鳴らし、俺は既読だけしてスマホをポケットにしまった。


 それから適当に放課後の時間を潰した俺は、やがて約束の時刻が近づいてきた頃、いよいよ本校舎西棟の屋上へと続く階段下にやってきた。


 約束の時間まではまだ10分ほどあるが、多分あいつはもう来ているんだろう。

 薄暗く、人気のない階段の踊り場には、微かにキンモクセイの香りが漂っていた。


「……行くか」


 深呼吸をして、俺は1段、また1段と階段を上っていく。


 上る度に心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、やがてたどり着いた屋上への扉に手をかけ、押し開けた。


「……っ」


 ビュオッ、という一陣の風とともに、扉の向こうから眩い陽光が差し込んできて、俺は思わず目を細める。


 そして、薄暗い室内から明るい屋上に出たことで生じたホワイトアウトがおさまってきたところで。


「──待ってたよ、颯太」


 屋上の扉に背を向けて立っていた水嶋が、くるりとこちらに振り返る。


 後ろ手を組んで凛と立つ彼女のサラサラの髪や、透き通ったアクアマリンの瞳が、陽の光を受けてまるで宝石のように輝いて見えた。


「……ああ。待たせたな」


 一瞬目を奪われていた俺は、しかしすぐに我に返って扉を閉める。

 仕切りなおすように咳ばらいをして、水嶋の前へと歩み出た。


「こんな時間になっちゃってごめんね。放課後に職員室で復帰の手続きとかしなくちゃいけなくてさ」

「別にいいよ。1人で時間を潰すのには慣れてるからな……ケガの具合はどうだ?」

「おかげさまで、もう痛みはほとんどないよ。まだちょっと痕は残ってるけどね。まぁ、服を着れば隠せる場所だったのは良かったかな」


 当たり障りのない挨拶を二言三言交わしたところで、やがてどちらからともなく押し黙る。


 聞こえてくるのは、そよ風が屋上を吹き抜ける音や、校庭の方から時折響く「カキンッ」という野球部の打球音だけだ。


 そして。


「それじゃあ、さ」


 しばし場を支配していた沈黙を破り、水嶋がおもむろに切り出した。


「答え、聞かせてよ」


 いつかと同じその言葉を口にする彼女に。


 俺は、人生で3度目の告白をされた。


「佐久原颯太くん──私と、付き合ってください」


 いつか俺に向けたような、あの獲物を追い詰める女豹みたいな目ではない。

 俺を攻略するために権謀術数を巡らせる、あの女狐のような笑顔ではない。

 何を考えているのかわからない、あの霞のように飄々とした態度ではない。


 真剣な、ただただ真剣な表情で告げられた、その言葉に。


「……俺は」


 だから俺も、真剣な言葉で返した。


「俺は────水嶋とは付き合えない」

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